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桜の木の下で。

2010.3.29
国立市・大学通り

まだまだ厳しい残暑が続く折に春の話をするのも何だけど、私は以前、4年間東京の国立駅から徒歩5分程のアパートに住んでいたことがある。

文教地区に指定されているから治安が良く、素敵な喫茶店はあるし、落ち着いた雰囲気で住みやすくて好きな街だけど、通勤に不便で致し方なくこの地を去ったのだった。

国立といえば、駅から一直線に伸びている大学通りの桜並木は有名で、毎年この時期になると大勢の見物客で賑わっていた。

桜の花を撮るのは、難しい。
接写ならまだしも、遠景だと桜の花の淡いピンク色が鮮明に写らないのである。

数年間、毎年桜の花の撮影を試みてみた。しかし、現像した写真はどれも同じようにしか見えず、最近では諦めてスマホのカメラで撮るか、自身の目に焼き付けるかするようになってしまった。

それにしても、なぜ人々は桜の花を求めて集まるのか。

万葉集では"花といえば梅"だったのが、古今和歌集では"花といえば桜"に変わり、以降、日本では桜は春を象徴する花として愛でられている。
満開の桜が綺麗なことに間違いはないが、現代のお花見と称する宴の光景を目にすると、単に昼間からお酒を飲む口実にされている気がしてならない。
一体、どれほどの人が桜を眺めているのだろうかと。

でも、たとえ花より団子、とりあえずお酒が飲めれば良いという気持ちであったとしても、お花見というイベントがなかったら、今ここにいる人達は顔を合わせていなかっただろう。

そう考えると、桜は人と人とを結びつけ、そして心と心を繋ぎ合わせてくれている。しかも、千年以上も前の平安の時代から変わらずに。

それで十分だ。
写真がうまく撮れなくても、それで良い、と思えてしまった。

#エッセイ
#写真
#カメラ
#フィルメカメラ
#桜

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