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居場所 2022

先日、といっても1ヶ月ほど前になるけれど、久しぶりに外で飲む機会があり、女性ばかり4人で集まった。
誘ってくれたのは仕事で知り合った少し歳下のバイタリティー溢れる人で、彼女の部下のひとりと、一緒に仕事をした他の会社の方と、初めてご一緒したにも拘らずとても楽しい会だった。

誕生日直後だった私に、こっそりバースデー・プレートと花束を用意してくれるあたり、心遣いが憎い。
にしても、今どきの婚活事情やマッチングアプリの事など、世の中凄いことになっているんだー、と驚くばかりだった。
あまりに別次元の話すぎて、あれこれ質問攻めにしてしまったけれど、よくよく聞くとツールが変わっただけで、本質的なところは変わりはないのかもしれない。

同じ頃に、ある企業の人事の方から連絡をいただいた。
どうも私の経歴をみて、空いてるポジションにハマりそうだからどうですか?という、所謂スカウトだったのだけれど、これも逆にマッチングアプリと本質は変わらない。
Resumeを提出してスルスルと面接が決まり、3回の面接を経てもうあとは条件交渉、というところで急に連絡が滞った。
外資系には良くある話、急なポジション調整(クローズ)か、他の候補者(Candidate)の結果待ち。
こちらだって、自ら転職したくて動いた訳ではないし、話を重ねていって“行っても良いかも“とは思っていたけれど、案件が止まったところで“こんなのtimingだものね“と頭のどこかで割り切っている。

では、件のマッチングアプリはどうなのだろうか?
もしお互いの条件が一致した人と、それなりに何度か会ってみて、いざきちんと(結婚まで見据えて)お付き合いしようかな、と思っていたら、相手から「もうちょっと考えたいんだけど。」と梯子を外される感じ。
その後、相手が「色々考えて君に決めようと思う」と言ってきたところで、もうこちらは白けてたりして。
と、思ったけれど、そもそも“条件“から始まっているから逆にそんな事もなく、淡々と生活共同体としての結婚生活へ進んでゆけるものかもしれない、と思い直した。

“条件が合致した“生活共同体。
そこには恋愛感情は上乗せされるんだろうか。
全て自分の希望通りな人が現れて、本当に好きになれるんだろうか。
何か“あれ?“と思うような事が結婚後に発覚しても、そこもまた愛おしいと感じられるものなのか、私には皆目見当がつかない。

誰かと居場所を作ること。
誰かの隣が自分の居場所になること。

居場所の作り方はそれぞれだし、旧来の枠組みに捉われないpartner shipの形もあると思う。
居場所はひとつじゃなくたって良い。
たまに、そこには行かなくなっても良い。
でも心のどこかに大事にしまっていて、いつかは帰る場所があったら、きっとそれは心の支えになってくれるはず。

どんな形でも。
どんなに遠くても。
たとえ小さな休息場所にしかならなくても、誰かに思い出してもらえる居場所になれたなら、きっとそれはこの上なく幸せで、素敵なことなのだと思う。

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