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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑲


前回はこちらから。


※なお、実は前回の「手巻き寿司パーティー」のタイミングは、冷静に思い出してみると私の記憶違いで、この春公演後だったと思います。というのは、冬の本公演はクリスマスくらいの時期にあるもので、その後は稲田にせよ後輩たちにせよ、下宿組は帰省するからで、そんなことをしている暇はなかったはずだからです。いずれ時間があれば書き直します。そして、例によって繰り返しますが、名前は全て仮名もしくはイニシャル、エピソードは実話です。

19. 春公演

・公演日
 どうにかこうにか人手も集まり、『見知らぬ女』の練習は続いていた。同時に、稲田には別の用事もあった。そんな設定あったっけといいたくなるが、稲田は何しろ外交官になりたいと言い出して上級公務員試験を受ける身分であったから。一応、彼の宣言通りならば、本公演の練習と並行して勉強に励み、この頃には準備オッケーという手はずだったのだが、当然ながら結局サークルの演出でいっぱいいっぱいになり(これは彼にとって必要な言い訳だったと思う)、勉強など大してできたはずもないし、できていたとして、大学に入る時点でその道を目指して勉強する現役生たちに太刀打ちできるはずはない。兎に角、春公演の前に落ちたのか後で落ちたのか若干記憶が判然としないが、多分まだこの時は練習と並行して勉強していた頃だったのだと思う。多分、結果がはっきりと出たのは公演の後だったのだと思う。この間、特に面白くもない初詣に行ったり、色々あったはずなのだが、練習以外のことでは、バレンタインデー事件以外もうあまり記憶に残っていない。もう、私にとっては稲田はその人格がどうであれ、半ば、春公演をやり遂げるために必要なキャストであって、将来がどうとか、稲田の中では恐らく彼との結婚の行く末を私が心配しているはずだったのかも知れないが、私は全くそんなことは考えていなかったし、自分は院に進む気でいたので、卒論頑張らなきゃ!と考えていた。その卒論を巡り、この時期より前だったか、もう少し出来上がってからだったか、兎に角稲田に一度見せると「ソラリスが院に行ったりすると、学問を混乱させると思う」という意味不明な反応をされたのだが……以前も書いた通り、へたに知識をつけずに、大人しく花嫁修業をして、自分に人生をささげて欲しいと思っていたのだろう。冗談ではないが、それはさておき。
 練習は存外楽しかった。稲田と二人の時間がメインだったら色々と物足りなかったかも知れないが、後輩たちは元気いっぱいだし、同期で手伝ってくれた人も優しかったし、外部から助けてくれた役者さんも面白い雰囲気があって、劇作りは楽しかった。寒くて辛い練習ではあったが、遣り甲斐はあった。大変ではあったけれども、本番は三月の初旬だったから、あっという間だ。

 さて、この芝居についてはそれなりに満足なのだが、この日はセミナーハウスでの合宿でもあって、何人かOBOGも飲み会に来る感じだったのだが、芝居には残念ながらそんなに来なかった。皆忙しいし、飲み会にだけ来るという人が多かった。その飲み会には、なんと、劇団での稲田の最初の恋人が来ていた。稲田が「死にました」と無礼な扱いをしたその美人だ。就活中だったか、スーツを着ていて、他の先輩たちとお喋りしている。きっと、今も頑張って働いているだろう。
 この時の私の心理は、元カノが来ていて嫌だな!とかそういうのではない。稲田が、ちゃんと彼女に声をかけるかどうか、そして同時に、私のことも蔑ろにしないかどうか、この二点が気になっていた。世の女性たちの一般心理など決まりはなく、人にもよるだろうが、私は、自分の前でも、付き合っている相手が前の恋人に対して、特に前の恋人の方が悪いことをしたのではないのであれば、礼儀を保って欲しいほうだ。
 話が飛ぶようだが、私は中学生くらいのときか、『犬夜叉』がすごい好きだったのだが(今でも殺生丸様は好きだが彼がロリコンなのも二次創作じみた続編も認めない派である)、当時はかごめが結構嫌いだった。クールで美しい桔梗様推しだったからではあるが、犬夜叉が桔梗を想うような素振りや行動をとったときに、嫉妬からとはいえ、束縛したり責めたりするような態度に腹が立っていた。桔梗が犬夜叉をあの世につれていっても、全然オッケー寧ろやってしまえ!だったが、兎に角悲劇が二人を引き裂いたのであって、かごめが無理に遠慮する必要はないが、二人に配慮するべきだとさえ思っていた。……が、とてもそうは見えないもののかごめは中学生である。今思えば、かごめの身になってみれば、色々無理はなかったと思うし、彼女はなかなか立派な人物だったと理解できる。けれども、やっぱり、犬夜叉が桔梗を大事にしようとするのは当然だし、寧ろ犬夜叉が桔梗を邪険にするような男じゃなかったのは良いことである。
 というわけで、私は稲田が元カノを邪険に扱うのを見たくはなかった――そして、それは見ないで済んだのだが、ちょっと意味合いが違った。いつの間にか稲田は飲み会から姿を消していて、外にいた。多分、いたたまれなかったのか逃げたのかも知れないし、なんだか孤独を味わいたい中二病的気分だったのかも知れない。そんなに深い人ではないので、せいぜいそんなところだろう。常にそうだが、彼は都合の悪いことからは逃げまくる。逃げて逃げて逃げて、生にしがみつくがいい……。(byイタチ兄さん)ちなみに全然関係がないが、稲田はNARUTOはそんなに好きではなかった。なんでも、影分身がワラワラ出てくる所で爆笑してしまうらしいのだ。ジョジョは好きだったみたいだが、私は当時NARUTOが好きすぎて、ジョジョは絵柄がちょっときついと思っていた。私も、今ではジョジョのほうが総合的に凄い漫画だとは思っているが、イタチ兄さんはやっぱり格好良いと思う。NARUTOじゃなくてITACHIだったらもっと良かったのにとさえ思う……いや本当に関係なかったな。なんだっけ。
 そうだ、兎に角、セミナーハウスの飲みが行われていた建物から外に出ると稲田がいて、なんだか微笑みかけてきたのだが、特に何か話した記憶はない。そういえば、京都でドアキックした後も、他にも何かあった後でも、稲田は一息置いて、どういうわけか微笑みかけてくる男なのである。「今のナシ」なのだろうか?未だによくわからない。今の私にとっては、稲田の愚行は全部仕切り直し不可なので、もしどこかでばったり会ったら「アナタもうお終いなのよ……」と、眼光鋭く威圧し、エアー葉巻しながら「ひざまずけ!」をかます!(中二病でも構わない。バラライカの姐御のように威厳のある女になりたい……)
 さて、ついつい漫画ネタに走りまくってしまったが、これでいよいよ、稲田との物理的距離が開くのである。これは思い出すだけでちょっとニヤニヤしてしまうくらい、開放的な気持ちになったことなのである。私のクソ父もモラDV野郎だったことは既に書いたが、あれをどうにか遠ざけることができたときも、家の風通しがよくなり、それだけでハッピーだった。ハッピーかい?!って聞いて欲しい。とにかく、稲田が実家に戻り(といっても、せいぜい熊谷なのでいつでも東京に来れるレベルではあるのだが)、私は安心して卒論や自分の趣味に専念できるようになったのである。この居心地の良さが、稲田との別れをより一層後押ししてくれたのは間違いない。

・春の新生活

 手巻き寿司パーティーも終わり、稲田は高円寺のボロ下宿を引き払い、実家暮らしになった。卒論の評価は良かったらしい。私は一部しか読んでいないが、ドストエフスキーの「場面」についてとかなんとか、そんな感じだった。余計なお世話かも知れないが、自分をある程度題材にして、ドストエフスキーや太宰治などを並べてダメ男論を奴が自分で書いたら結構面白かったんじゃないかと思う。自分自身と向き合う作業にもなるから、有益でもあっただろうに、残念である。
 それはともかく、私は残りの単位をとるのと(面白みもない真面目学生だったので、単位をとるのは楽なものだった)自分の卒論でそこそこ忙しく過ごしていたが、稲田に、彼の勉強を応援するようにと頼まれていたし、前々から書いている通り結婚の青写真は持っていなかったが友人的な気持ちで、彼には自分の人生のために努力を怠らずにいてほしかったので、時々ちょっとしたメールを送ったりした。稲田との関係がメールだけで済む生活は、快適だった。つまりアレだ。会いたい!!と思わなかったのである。加えて言うと、私は元々稲田の地元に行くのが好きではなかった。この春だったか、その前の春だったか、稲田の実家に呼ばれて花見に行ったりもしたし、夏祭りであったりとか、何かと稲田の実家の熊谷やそこから近いレジャー空間に行ったことはあったし、行くと喜ばれるので断れなかったが、暑さに滅茶苦茶弱い私は盆地熊谷の暑い盛りの祭りに参加するのも好きではなかったし、文化的なものも、私の趣味とはかけ離れているのを隠して楽しむふりをしていたし、極めつけは、生理になってしまい、男所帯である彼の実家にいるだけでも辛かったが、そのまま小高い古墳でお花見という苦行になったりとか、まあなんというか、おもてなしの気持ちは有難かったのだが多分根本的に相性が悪いのである。私も悪かった。行きたくないと素直に言えば良かった。機嫌を壊されてモラハラされまくるに決まっているが、それですっかり嫌になって別れれば傷跡も少なく済んだだろうし、後の祭りである。恐らくだが、女は、生まれながらに色々な場面で我慢させられて育っていくので、周囲の顔色を伺って自分だけが忍耐するということも少なくないだろう。女は、意識して、多少の誹りを覚悟してでも自我を通すようにしたほうが良いのかも知れない。男は、手伝いもしなくていい、悪いことをやってもやんちゃで済ませられることもある(勿論、ノットオールメンと言われなくても、そんなことは百も承知だが、娘にはケチだったり家父長的価値観で厳しくしておいて息子に甘い親が多いという現実の傾向の話である)。私も、我慢しないことを早くから実行すれば良かったのだが……そうはいかなかった。でも、前向きにとらえてみれば、稲田とのことがあったからこそ、気が付いたことであるのかも知れない。

・試験の後

 稲田は実家に帰り、やがて試験の日を迎えたはずである(試験の日程が毎年いつなのかを調べればわかることであるが、めんどくさい)。兎に角、彼が試験を受けた日には、労いのためという名目で私たちは夕方に会うことにした。正直に言うと、あまり楽しみではなかった記憶は残っているのだけれど、その時はそういう自分の正直な感情を直視しないように、自己欺瞞用のベールみたいなものがかかっていた気がする。頑張って疲れた日には、元気づけてやらなくては――なんというか、初めてお使いに行ってきた子供にでも対するような感情である。彼はいい大人で、研究したいとか創作活動に打ち込みたいとかが無い以上は、とっくに就活に勤しみ、見通しをつけるとか、なんなら世界を見てきたいといって海外で労働をしてみるとか、多少は現実的な挑戦をしていなければならない時期だったのだが、彼の挑戦は現実離れしていた。一握りの望みもありえない挑戦は、挑戦と呼ぶことすら躊躇われる。それでも、彼を労わなければいけない感じだった――というのも、明確な表現ではないけれども、彼は自分の頑張りが、私のためであるように仄めかしていたから、私は頼んだこともないしそもそも何の期待もしていないのだが、私には支える義務があるような錯覚をしていた。
 そういう訳で、試験後、彼は私の家の最寄り駅から来るということで、外で待ち合わせをした。現れた彼は、なんだか疲れ切ったように優しく微笑んでいて、花を一輪持っていてくれた気がするが(実際、ツイッター界隈などを見ていて確信したが、総じてモラハラ男は失態をごまかすのに花とかケーキを寄越すのが好きらしい……)、受かるのは難しそうであることなどを言った気がする。頑張った自分を認めて欲しいという気持ちにはそこまで罪はないと思うが、花も自己防衛の一種だったのかと考えると、ただただ情けない。しかも、夕飯を外で食べることにしていたから、どのお店にするかあちこち歩き回ったのだが、この日の稲田は気持ちが弱っていたのか、絶望的な優柔不断っぷりで、「ここにする?」「それともここ?」と、私が店を示す度、「うーん」「うんー」「んー……」みたいな、気が向いているのかいないのかさっぱりわからない感じで、なんというか、母親がずっと世話をしてくれるように気を惹く子供の心理だったのかも知れないが、兎に角私が疲れ切るまで店探しをする羽目になってしまった。まあ、今思えば、「時間がもったいないから、もうここでいいね!」と二つ目三つ目くらいで決めてしまえば良かったのだが、彼の顔色を伺う癖はまだまだ身についていた。だからこそ、彼と物理的に離れている間に、彼の機嫌をとらなくても良い快適さに目覚めてしまったわけだけれども。
 正直に言うと、既婚者の事情にはあまり興味がないけれども、退職した夫が家にいることで起きるというタイプの夫源病は、これまで仕事で夫が家にいない時間があったから辛うじて保てていた安らぎの時間を失う訳だから、私のあの時の解放感の逆なのだと思えば、そりゃ病気にもなるわ!!と理解できる。まあ、日本みたいに男女不平等極まるとはいえ、一応「結婚しない自由」はある国に住んでいるわけだから、本当に自分のためを思うのなら結婚自体しないのが一番良いと思うけれど。ありとあらゆる「オンナの幸せ」というキラキラコーティングをどんどん剥がしていきたい。


★次回は、前も別の流れで少し書いた話になるのですが、稲田との別れの大きなきっかけになったというか、距離を置きたいと確信するに至ったラストデートについて書きます。

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