見出し画像

〜セルフビルドによる、お店の作り方〜 エピソード 1

実際のお店作りの詳細に入る前に、凄く重要である「物件との出会い」について、今回はまとめてみる。

お店、どこに出そうか

「えっと、まず、新潟のどのエリアに出店したら良いのだろうか、というトコロから相談したいのだけど…」中山くんは新潟市内出身といえど、高校を卒業してから長らく関東に身を置いていたため、今の新潟の状況や飲食業会、人の流れといった「新潟という地域」についての情報が乏しかったのである。

その為、決め手となる要素はほとんどなく、たまに新潟に帰ってきては評判のお店や地域に出向き、自らの身をもって新潟という地方都市への帰還を試みていた。

また、相談された私自身も魚沼出身で、専門学校への進学をキッカケに新潟へ移り住んだ身であるため、昔ながらの新潟市を熟知しているわけでもなく、むしろ未だに「外から来た人間としての視点」を持って、日々生活しているように思う。

ちょうど中山くんと私の新潟での生活歴を足せば、ほぼ隙間なく埋まる、という状態。一応、ここ最近の新潟を知っているという事と、そして中山夫妻はまだしばらく関東での生活を続けるので、新潟にいる私の視点からの、出店エリア探しが始まった。

内野との出会い

とはいえ、私にもどこか心当たりがある訳でもなく、仕事でアチコチに出向きがてら、2人がお店を出すいい場所ってどこかな〜と考えていた。そんな時に訪れた内野という地域のお祭りで、あ、ココはいいかもしれない、という直感めいたものが働いた。

理由はいくつかあって

①駅前に商店街が残っていて、他の駅より駅前っぽい

②その商店街の空き店舗に、チラホラと新しい飲食店が入り始めている

③駅前にコンビニ、ドラッグストアがない

④中山くんの実家に近い(電車で一駅)

③は特に重要だと思っていて、コンビニやドラッグストアのチェーン店がない、と言うことは、ある程度そういったお店を排除する力が働いているのではないか。それは裏返すと、内野という地域を住民たちが守っているように感じた。

だがしかし、この時には良いな〜と感じたこの守備力の高さが、のちに我々に立ちはだかるとは、この時点では思い及ばず…

早速私なりに空き店舗などの情報を集めて、中山夫妻に内野を勧めてみた。内野での物件情報はやや特殊で、不動産屋さんに出回る事が少なく、個人間でのやりとりが主だった収集方法だった。まとめた資料を元に町を案内すると、2人の感触も良好で、内野をメインに検討してみよう、という方向で歩み始めた。

本格的に物件探しに入ったのは、2018年6月中旬に中山夫妻が関東での仕事を辞めて、頻繁に新潟へ来れるようになったトコロから。いよいよ2人の物件探しの始まりである。

内野での挫折

そこから、内野を中心に物件探しを始め、はや2ヶ月。所有していた車を手放して新潟へ移住した2人は、この2ヶ月間、電車とバスと、主に徒歩で人と出会い、場所と出会い、街との出会いを重ねていった。

内野でもあらゆるキーパーソンとの出会いなどを経てきてはいるものの、なかなか話がまとまらず、また違う物件へ、をひたすら繰り返す2人。会う人会う人、凄く良い人ばかりなのだが、良くも悪くも「鉄壁の守り」が発動し、断られてしまう、という回数だけが増えていった。

そうこうしているうちに、現在の内野という街でのパワーバランスのような、勢力図のような、そんなトコロまで詳しくなってしまった2人。だが結局、内野との深い縁を結ぶことができず。残念無念。

関屋での出会い

内野での物件探しが迷宮入りしていたある日、2人から「関屋なんだけど、良さそうな物件を見つけたよ!」と連絡が。

たまたま違う目的で関屋駅付近を通りかかった時、気になる物件を見かけて、その中の設計事務所に飛び込みで話を聞いてみたところ、この建物は近々解体の予定があるので難しいと思うけど、と、すぐ隣の建物を紹介してもらったのだそう。

中山夫妻と私とで、その時はまだ営業していたその物件の中を見させてもらい、とりあえず簡単な図面を描いてみた。条件としてはなかなか良く、なにせ家賃が安い、そして何より、大家さんから「どんな風に変えてもらっても構わない」とのお言葉まで。え、本当に、好きにしていいの??

内野での物件探しが難航し、行き先を見失いつつあった我々に差し込んだ、一筋の光。何度か打ち合わせを重ねて、内野を諦めて関屋の物件に決めよう、と結論を出したのは、それから間もなくであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?