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Fly Me To The Moon

私がパートに出ている施設で年末年始のイベントライブが行われることになって、その企画進行を任されてしまった。

クラッシックがどうのとかジャズがどうのとか、若い同僚たちにいつも知ったかぶりばかりしているせいで、お役が廻ってきたのだか、私は元より楽器がおに出来ないので、ツテを頼って、ようやくジャズセッションの演者を探すことが出来た。

施設の支配人からは年末年始らしくやって下さいね、と釘をさされているのだが、ジャズには正月らしい琴の響きや獅子舞の出し物もないので、ない知恵を絞って、女性ヴォーカルを入れて華やかになれば、と考えたのである。

後日、演者の女性ヴォーカルからレパートリーのリストが送られてきた。
その中の一曲に、fly me to the moonが入っていた。
私は即座にその曲に飛びついて、プログラムの最後に入れてもらうことにした。

英語で歌われるジャズのスタンダード曲は、美しい旋律や軽快なリズムで、私達のイメージを快く刺激する。
大抵は男と女の愛の歌が多くて、その歌を聞きながら、さぞかし美しい愛の言葉がつづられていることだろう、と和訳に挑戦してみるが、いつも期待はずれの思いをする。

和訳しなけりゃよかった。メロディーのロマンチックが台無しになる。

ところが、fly me to the moonは、少し違う!

Fly  me to the moon
(私を月へ連れてって)
Let me dance among  the stars
(星たちの間で躍らせて)
Let me see what spring is like on jupiter and mars
(木星や火星の春がどんな様子か私に見せて)
in other words hold my hand
(つまり、私と手を繋いで)
in other words darling kiss me
(つまりね・・・キスして欲しいの)
Fill my heart with song 
(歌が私の心を満たす)
and let me sing forever more 
(ずっと、もっと歌わせて)
You are all long for all worship and adore 
(あなただけが私にとって何ものにも代えられない)
(あなただけが大切で尊いもの)
in the words please be true
(だからお願い、変わらないでいて)
In other words I love you
(つまりその・・・愛してるの)

私を月に連れてって!と無茶振りしといて、少しずつ本音を打ち明けてくる、そして最後には in other words 言い換えれば、つまりは、要するに、I love you あなたを愛してる、って、何、このツンデレぶり。
私に限らず、こんなふうに女性に言われれば、もう世の男性はイチコロだろ?(若干、自分の感性を疑っている)

この曲はもともと原題が in other words でそこが肝なのだろう。
曲を聴きながらフワフワした気分になりながらも、私は不意にin other wordsについて別の考えを巡らした。

つまりは、詩人が使う言葉についてである。

詩人が使う言葉はおそらく他の言葉にはきっと置き換えられないものだろう。
そこまで研ぎ澄ましてこそ、それは詩になり、人々の共感を呼ぶ。
それ以前に詩人は何度もin other wordsを繰り返し、その言葉にたどり着いたのかもしれない。

たとえばこんな話がある。

夜勤のパートに出ている男の朝は早い。
仮眠を終え、早朝、まだ明けやらぬ頃に作業を始める。
デッキに出て、ふと見上げると、暗い漆黒の空から、雪が降りだした。
男はふと作業の手を止め、空を見上げたまま、振り落ちてくる白い雪に見入った。
この時、男の脳裏に去来する詩の一節がある。

汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる・・・

その時の男の心境を表すには、その言葉しかない・・・それ以外には

後日、男は今住む町が見渡せる丘に来て、物思いにふける。
思えば長い放浪だった。
今住む町が夕日に沈んでいる。
この時男の脳裏には別の詩の一節が浮かんでくる。これしかない。

ああ おまえはなにをして来たのだと・・・吹き来る風が私に云ふ

決して自虐の言葉ではない。
しみじみとした感慨である。
故郷喪失者になった男にはその言葉が心地よく胸に刺さる。

詩人の言葉はこのように、もうin other wordsのない、尊いものだと思っていたい。 





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