210629


雨の音がやけに煩い夏の夜なんて無闇に人恋しくなってしまって困る。そうか、だからみんなテレビを観るんだなと思う。ラジオでも聴こうかと思いながら億劫で結局やめる。

いまさら悲劇だとも思わないし人に同情してほしいわけじゃないけど、わたしはただ事実として、あの赤い家で、パパとママと、妹と猫と暮らしてた日々がとてもとても幸せで満ち足りていたといまでも思う。

もうあの四人でどこかに旅行に行くなんて、死ぬまで二度とないんだなと思うと寂しい。四人でご飯を食べるというのも下手したらないかもしれない。パパには会える。ママにも会えるけど、もう一緒に住むことはないんだな。休みの日に起きて、キッチンに座っているママを見るのが好きだった。甘いミルクティーを入れてくれる姿を見るのが好きだった。世界で一番愛してた。パパの休みの日だったら、わたしが寝坊したらもうパパは着替えを終えていて、なにか素敵なレコードをかけている。新聞を読みながら今日の映画を選んだり、本を読んだりしていて、わたしが来たらちょっとだけこちらを見て、脚を組んだままで口だけ笑う。パパの作る料理がすき。二人きりでいる時のパパは、いつもより少し静かで好きだった。本の話をしてくれるのが好きだった。いくらでも聞いていたかった。観た映画や読んだ本のことを話して、褒められるのも嬉しかった。パパが好き。ずっと大好きだった。

ミニクーパーの前の席に座る二人の間から、顔を迫り出して仲間入りさせてもらうのが好きだった。仕事場から駐車場まで歩く時、二人がだんだん近くにいくから、真ん中のわたしが後ろに押し出される。寄り添う二人を見るのが好きだった。赤いソファにみんなで座って、テレビを観るのが好きだった。観ている映画について、ママがトンチンカンなことを言って、それをパパと二人でからかうのが。土曜の夕方に早上がりしたママと、自由が丘でケーキを食べながらパパの悪口を言うのも。

大好きだった。いまだって愛してる。二度と戻らない空気感と、戻らない場所と人。その光と匂いの記憶はわたしを苦しめて、そして同時にわたしをどうしようもなく救う。

わたしがまだこの世に生まれていない時の、ふたりの往復書簡を盗んで持っている。ふたりが愛し合っていたことを忘れたくなかったから。世界で一番かっこいいふたりだと思っていた。夜中に怒鳴り合う幻聴を聴いたり、パパが出て行った朝の絶望感を思い出すことはいまでもつらいけど、それでも、やっぱりあの日々の仲間にいれてもらえたことを今でも感謝している。

愛とは難儀なものよのう。人は愛せるうちに愛せ。人生は容赦なく美しいものや大切なものを押し流していく。

本を買います。たまにおいしいものも食べます。