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取り戻せ、ライブハウス

ライブハウスでマスクを外して音楽を浴びたのは、3年ぶり、らしい。

新型コロナウイルス感染症 というものが本格的に問題視され始めたころ、わたしたちSOMOSOMOというアイドルグループはデビューして半年ほどだった。2020年 暖かくなってきたころのはなし。

1月に渋谷Milkywayでの超満員のワンマンライブを終えて ここからさらに上へ、というところでの打撃。次々にライブを中止にしていくアイドル業界の中でも ぎりぎりまでライブに出演していたものの、「こんなご時世にライブをしているなんて」という声が囁かながら確かに聞こえ始め、泣く泣く予定していたライブは全て中止、初めての遠征も中止、やっと呼んでもらえて楽しみにしていたフェスも中止。解散や活動休止を選ぶグループまでもが現れるなかどうにか生き延びたものの、7月に開催予定だったはずの1周年記念ワンマンライブも開催できなかった。

コロナ禍を生き延びるためにわたしたちは四方八方に試行錯誤を重ねた。重ねまくった。ライブができないならSNSやYouTubeを。ファンの方と会えないならビデオ通話の特典会を、チェキやグッズの販売を。ライブで声出しも移動もできないなら、立って見ているだけでも飽きさせないライブを。

アイドル特有のMIXやコールという文化は 手拍子で代用されたし、曲中ファンの方とハイタッチをするシーンは 手を振るだけにした。特典会ではマウスシールドやマスクをして ビニール手袋もしたし、ファンの方との間にはビニールシートがかけられた。でも別に平気だった。それが普通になった。それどころか、いつからか「そうしないと嫌だ」とまで思うようになってしまっていた。


「声出しを解禁しないか」とプロデューサーに提案されたとき、わたしたちはすぐにはイエスと言えなかった。

わたしたちはそのご時世に圧迫されて、いつかのあの、とち狂ったライブハウスを忘れてしまっていた。
生まれも育ちも年齢も仕事も何もかもばらばらで 普通に生きていたら出会うはずのなかったひとたちが寄って集って 笑ったり泣いたり汗をかいたりぶつかり合ったりばかでかい大声で歌っていたあの、ライブハウスを。

「でもやっぱりSOMOSOMOのライブはメンバーとお客さんの戦いであるべきだと思う」と説得され挑んだ声出し解禁ライブは、悔しいけれど あまりにも楽しかった。『声出し解禁』に釣られて集まったとち狂ったフロアを負けじと音楽で押し返して、念入りにセットした髪もメイクもずたぼろになって ほとんど放心状態で楽屋に帰ったのを、未だに覚えている。

そうだ、音楽は鳴らすだけじゃ成り立たないのだ。


3月15日、川崎CLUB CITTA'にて TENDOJI主催フェス『OTENTO』。出演はオープニングアクトのpavilion、KOTORI、ズーカラデル、キュウソネコカミ、Hump Back、そして主催でありトリのTENDOJI。
『3月13日からマスクの着用は個人の判断で』を迎えてから初めてのライブハウス。

「このスタッフで、このバンドで、このお客さんで、ライブハウスを取り戻しましょう」

マスクを外すこと。歓声を上げること。一緒に歌うこと。難しくないはずだった。この3年で難しくなってしまった。失って初めて気付く、だなんてそんなのもう聞き飽きた言葉だけど、そうとしか言いようが無いのだ。
失って初めて気付いたのは、当たり前にあった楽しさが当たり前ではなかったことと、もうひとつ、それを取り戻したときのあの言葉にできない多幸感。


コロナ禍を迎えて、ライブを始めとした『不要不急の外出』に該当する娯楽は真っ先に切り落とされた。悔しかった。悲しかった。じゃあわたしたちはどうやって生きていったらいいんだとヤケクソになりたかった。でもならなかった。音楽を、ライブを、アイドルを、ライブハウスを、悪者にしたくなかったから。強行突破で声出しも移動も規制無しのライブをやることだって、できないわけじゃなかった。でもしなかった。慎ましく過ごした。いつかまた、いつかのライブハウスが帰ってくるように。いつかのライブハウスに帰れるように。

コロナ禍でライブは中止になったけれど、解散したバンドやアイドルグループはあったけれど、音楽を辞めた人はいたけれど、それでもいま またわたしたちはライブハウスに集っている。『不要不急』、あってもなくても生きていけるようなもの、だというのに 音楽は滅びなかった。それが全てだ。


取り戻せライブハウス。未来は僕たちの手の中にある。

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