かわら版No.45 米沢をどう守り、つくっていくか、自然・風景・景観など、について
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この引用は、吉本隆明さんが、米沢での生活をもとに、「東北」の自然観を描いたものです。吉本さんは、文字通り吾妻連峰を見ながら、東北の自然の大きな特徴を考えていました。その一番近くの肌で感じる自然は、ここ米沢の自然で、だから引用の冒頭の「東北」は「米沢」と読み替えることもできると思います。
一口に、自然、風景、景観といっても、このような言葉は、単なる対象を記述したにすぎないのではなく、環境、時代、歴史、文化、人々とその営みなどを統合的に含む言葉として使用されています。吉本さんの表した「米沢の自然」も、実に吉本さんらしく、私たちと自然の本質的なつながりに感覚を研ぎ澄ませた中での、主観的でも客観的でもない統合的な表現です。
後に、吉本さんは、「アフリカ的段階」というあまりにもインプレッシブな(印象的な、感動的な)歴史哲学的な自然と人間の時間的な解釈を提示するわけですが、一方で実は、地理哲学的な自然と人間の空間的な解釈を、私たちのまち米沢で思考していたことは、特筆に値します。吉本さんは、私たちの住む米沢から、自生物の音響を、人語に響いてくる声に耳を澄まし聴き入っていたわけです。
私たちはこれまで、この米沢の自然や、風景、景観を所与のものとして、つまり与えられたものとして、前提として取り扱い考えすぎているのではないでしょうか。どのように自然を守り、残し、またつくっていくのか。どのような風景がこのまちの風景として理解されるのか。どのような景観を、米沢の歴史的景観、文化的景観、自然景観として、次世代へ受け継ぐ財産であることを認識し、これらを整備し、保全するよう努めていくのか。米沢をどう守り、つくっていくか。自然・風景・景観などについて考え、何を求めるかを決断をするのは、私たち市民一人一人です。
この他にも、環境問題がさまざまに論じられる中で、環境(environment)、生態系(ecosystem)、風土(milieu)、など「環境」に相当する概念をその違いに注意し、取り違えたり混同したりぜずに使用することも大切です。思慮深く、本質的な議論と判断力が必要です。より現実的で具体的な事案で考えるためにも、この度は総論として頭出しをさせていただきました。
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かわら版No.45
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