changes

思い切って髪型を変えた。

私はとにかく地味で、クラスに居ても居なくても気付かれないくらい地味で、普段は同じように地味な友達としか話さないで過ごしている。
それでもこんな日には派手な子たちに話しかけられることもある。

「思い切ったね〜」
「ね〜!かわいい〜」
「イメチェン?」

悪気がないことはわかっているのに、笑われているような気がしてしまう。
半笑いの彼女らに、ヘラヘラ笑い返して「う、うん、そうなの」とか言って。

変えたかったのはこの性格のほうなのに。

髪型くらいじゃ何も変わらない。



放課後、落ち込んだ気分を切り替えるように、部室のドアを思いっきり開けた。

「お、お疲れ様です……!」

部室と言ってもここは空き教室で、もしクラスが増えたら取り上げられちゃうような、即席のものなんだけど。
一応地元の中では進学校と謳っている我が校での軽音楽部というのは、そういう部活なのである。


「お疲れ」

こちらを見て挨拶を返してくれたのは2つ上の先輩だった。
びっくりしたのとは別の意味でドキッとした。
なぜなら私はこの人に新歓で一目惚れして、地味なくせに勇気をふりしぼって軽音楽部に入部したんだ。
いま教室には先輩と私しかいない、と気づいて変な汗が出てきた。

「髪切ったんだね」
「あっ、はい切りました!」
「そうなんだ」

先輩はギターでタッピングの練習をしながら興味なさげな口調で返事をした。
のに、指を動かしながらも視線は私と合ったままだった。
さっきからじわじわ出てきている汗が勢いを増していよいよ流れてきそうだ。
でもなんとなくこちらから逸らすのももったいないな、と思ってじっと見ていると、

「なに?似合うって言ってほしいの?」

と、なんだか見たことない、目は真剣なのに口元だけ笑ったみたいな変な顔をして先輩が言った。

「ち、ちがいます!なななんでもないんです!」

恥ずかしさが勝ってしまって目をそらした。
ちょっと不自然だったな、動揺しすぎだ。

「ふうん」

また興味なさそうに呟く先輩。
なんだろう、いつもとちょっと違う雰囲気だなと、そのときは思った。
先輩はギターに視線を戻して、またタッピングを始めた。


私も弾こうかな、と荷物を下ろしてギターを出して、先輩の2つ前の席に座った。
チューニングをして、いざ、と構えたところで

「かわいいよ」

と先輩が言った。
ような気がした。
本当に聞き間違えたと思った。
から振り向いて聞き返した。

「えっ?なんですか?」
「だから、かわいいよ。その髪型似合う」
「え、あ、ありがとうございます……」

その後また先輩は黙って、タッピングの微かな音だけが教室に響いていたが、私はギターどころじゃなくなっていた。
憧れの先輩の「かわいい」がこんなにも攻撃力があったなんて知らなかった。
朝のクラスメイト女子とは比べものにならない。
何度も何度も頭の中でリフレインして、練習しようと思っていた曲がなかなか頭に入ってこない。

私がそんなことをしているうちに、先輩はタッピングをやめていた。
ガタンと席を立つ音がして、私はやっとそれに気付いた。
あ、帰っちゃうのかな、と思ったら先輩は席を詰めてきた。
真後ろの席。
思わず振り向くと、先輩はギターを構えたまま机に頬杖をついて、またこちらを見て「かわいい」と言った。


いや、やっぱりなんか変だ!
ドッキリか何かだきっと!


それでもまたなんとなく目が離せなくて、だんだん焦ってきた。

ふたりっきり。
この距離。

意識した途端、ぶわっと顔に血がめぐり、背中に汗が伝った。


前髪を片手で抑えて、もう一方の手で先輩の視線を遮るように伸ばした。

「か、からかうの、やめてください……!」

すると先輩は私の両腕をつかんで「隠すなよ」と言った。

驚いて顔を上げたら思わず合ってしまった視線に、ますます顔の熱が上がっていくのを感じる。
両腕は力を込めて引いても離れなくて、せめてもの思いでできる限り顔をそむけた。

「照れてんの?」

そむけた顔に先輩の顔が近づいて、自然と耳元で囁かれる形になる。
ぞわっとして体がビクッと跳ねた。


しばらくの沈黙のあと、両腕は解放されて、先輩は離れていった。
まだ心臓の音がドッドッと身体中に響いて、耳まで脈打っている。
あのまま大人の階段的な何かでどうにかなっちゃうのかと思った。
し、どうにかなっちゃいたかっ……いやいや。


そのとき、教室のドアが勢いよく開いて、部長が入ってきた。
私たちを見るなり「おう!お疲れ!!」と言って教卓の上に持っていた荷物を置くと、黒板に次のライブまでのスケジュールを書き出し始めた。

そのあとはどんどん部員が入ってきて、さっきまでのことが嘘みたいに、いつも通りの部活の雰囲気になった。
たまに髪型の話題を振られるものの、大げさな反応はなくて、先輩のほうを見てもまたタッピングの練習をしているみたいで目は合わなくて、心臓のドキドキはいつの間にか楽器の音にかき消されていった。


バンドごとの音合わせや部会が終わって自由行動になって、部員たちが帰り始めた頃、先輩がまた真後ろの席にきた。

「続きしたい?」
「えっ」

目が合うと、先輩がまたあの変な顔をした。
目だけ真剣で口元だけ笑ったみたいなやつ。

先輩はそれだけ言うと自分の居た場所に戻ってギターをしまって、「お疲れ〜」と手をひらひらやりながら教室を出ていった。
なぜだか自然と、追いかけなきゃ、と思った。
急いで自分のギターを拭いてケースに入れて、まわりの先輩たちに「お先に失礼します!お疲れさまでした!」と繰り返して3回くらいお辞儀して、教室を飛び出した。


すぐ先の廊下の壁にもたれかかって、先輩がこっちを見ている。

「来ると思ったよ」

そしてまたあの変な顔をした。
どう考えてもからかわれている気がして悔しいけど、願ってもないお近づきになれるチャンスだ。

先輩のそばに駆け寄って見上げると、変な顔の先輩と目が合って、そのまますぐに手を引かれた。
手を引かれるがまま歩きながら、その繋いだ手の感触にドキドキした。

私のとは全然違う手だ。
大人の手だ。
私の手を包み込んじゃうくらい大きくて、熱くて、ちょっと骨張ってて、ちょっとかさかさしてて。

この手がさっき両腕をつかんで、すごく力が強くて、ってさっきのこと思い出してまた心臓がどくどく言い出した。
手汗やばい。

階段まで歩いてきて、降りるのかと思ったら登って行く先輩。
なされるがままついていく私。
1つ目の踊り場、角を曲がった瞬間に手を引く力が強くなった。
急に振り向いて立ち止まった先輩の腕の中に、私は慣性の法則ですっぽり収まった。

抱きしめられている……?

今いる場所は僅かに死角になっていて、この体勢だからこそ上階からも階下からも見えていない。

いろんな意味で動くことができない。

心臓の音とか汗とかもうそんなの吹っ飛んでいて(あとで思い返したとき思い出すんだけど)
なぜか誰にも見られちゃいけない気がして、少しでも先輩との距離を縮めようと額を先輩の肩に預けた。
先輩も同じように思ったのか、抱きしめる腕の力が強くなった気がした。


階下を部員たちが通っていく。
こんなに近いのに、意外と誰にも気づかれない。

「せ……先輩」
「なに?」
「いや、……なんでもないです」

さっきの続き、これで終わりですか?って言いそうになった。

すると急に腕の力が緩んだ。まだ充分強いけど。
私の肩の上にあった顔が目の前に動いた。
さっきより離れたはずなのにさっきより近い。

「あとで文句言うなよ」

その直後、先輩の顔がもっと近づいてきて、恥ずかしくて見てられなくて、私は目をぎゅっと瞑った。

しばらくしても何も起こらなくて、おそるおそる目を開けたら先輩はさっきの距離のまま私を見ていた。

「え?な、なんで」
「もっと自分を大事にしなさい」
「?……ど、どういう意味ですか」

先輩は答えずに私から離れて、階段を降りていった。
呆然として立ち尽くしていたら、先輩は階下でたまたま通りかかった部長と合流して、そのまま歩いて行ってしまった。


なにが起こったのかよくわからなくて、でもここに1人で居るところをなぜか誰にも見られたくなくて、それに先輩を追いかけるのは違う気がして、とにかく階段をのぼった。

途中、職員室の階でコーヒーの匂いがしてきて、大人っていいな、と思った。

早く大人になりたい。
大人になったらわかるかな、先輩の考えてること。