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死ぬことばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目過ぎるから

ある人のTwitterにこんなretweetがありました。「食べ物ください」コロナで解雇、路上生活の末、恐喝未遂の女に刑猶予。

以下引用

今年8月、福岡市・天神の真珠販売店。女(30)がカッターナイフを店員に向けて現金を脅し取ろうとした。結果は未遂。恐喝未遂と建造物侵入の罪に問われ、福岡地裁は21日、懲役1年2月、執行猶予3年(求刑懲役1年2月)の判決を言い渡した。新型コロナウイルスの影響で解雇され、路上生活を経ての犯行。相談は恥だと思っていたという。コロナ禍は弱い立場の人ほど追い込んでいく。福祉、行政は頑張りどころにきている。

この女性はついた時には、久留米市の施設にいました。中学卒業まで施設で過ごし飲食店での勤務を点々としています。当時から現在まで家族とは絶縁状態で父親の顔は知らないといいます。

今年の二月にコロナで客足が遠のいていた勤務先のうどん店を解雇させられ家賃が払えなくなり、相談相手もいないまま夜逃げ同然で久留米市のアパートを出ました。福岡市に向かい、中央区の公園その他の周辺で、寝泊まりし、紙に「食べ物を下さい」と書いて路上に立ち、現金の差し入れがあった時はネットカフェで休んでいたそうです。

公園で過ごしているうちに通りすがりの人に「福祉施設に入ったほうがいい」と話しかける様子も見かけられたそうですが姿を見せなくなりました。

彼女は福祉に頼ってはいけないと思い込んでいました。その理由は「私は健康だし、恥ずかしい」ということだったようです。その後反抗に及び未遂に終わり交番に自主します。

公判で被告は押し入った店や被害者に謝罪したうえで「普通の生活がしたい」と打ち明けたということです。

彼女の今後は一時的に宿泊場所や食事が提供される法務省の「再生緊急保護」制度で生活再建を目指すそうです。

裁判官は判決言い渡し後「自分でなんでもできる人ばかりではないから、さまざまな支援制度がある。相談することを考えてください」といい、被告は裁判官の説諭にうなずき、仕事がしたいといったそうです。



ざっと、こんな記事なのですが、「支援があるから頼ってね」という前に、支援がある、という情報すら取りに行けない情報弱者がいるということを行政は知らないんでしょうか?

知りませんよね。知るはずがない。それはなぜか。なぜ支援から漏れてしまう人がいるか?という事実を切り取るために必要な「想像力の欠如」にほかなりません。

行政の人たちは、自分たちの支援が、仕事であり、専門ですから、その存在を知っているに決まっています。しかしですよ、支援を受ける側がどういう人たちなのか?という視点が全く欠けている。私はそこにこそ、今回の事件の根深さがあると思うのです。

この被告は犯罪行為を犯しました。つまりは問題行動ですよね。その問題行動の奥に潜む、彼女の主訴は一体なんだったのでしょうか?

記事にあるとおりの物、金じゃないのですよ。

「基本的人権を満たしてください」という、心の奥底からの叫びなんだと私は思います。彼女は家庭にも恵まれなかった。高等教育も受けられなかった。支援情報の収集力もなかった。誰にもそのやり方を教えてもらえなかったのですから、当たり前です。

私は、彼女が暮らしていたという施設の生活指導の中で、

「あなたたちがもしこの先社会に出て、生きるか死ぬかの瀬戸際にたったら、日本国民には『基本的人権』という名前の、生存する権利があるのだから、そういう権利を行使するのは当たり前だし、

自死することや犯罪に走ることが最もいけないことなのだから、それを使って自分の人生を豊かにする基盤にしてもいい」

ということを、きちんと教えてあげるべきだと思うのです。自分でどうすることもできなくなったら人を頼っていい。

世の中にはいろんな考え方をするひとがいる。自分の利益になるようなことにしか考えを持たない人もいるし

人に頼られたら嬉しいと思う人もいる。あなたを嫌いになる人もいるかもしれないけど、あなたが好きでたまらないという人がいることだってある。

「人に頼るのは恥ずかしい」そんな価値基準がまかり通ったら社会はもっとギスギスしますよ。

ネットをチラ見しましたが、この女性が路上生活をするのは自己判断でやったことだからとか、自己救済しなきゃ生きられない社会になってきた、とか上げている記事もありましたけれども、

それはその記事を上げている方々の考え方なのでいちいち突っかかったりはしません。

(そんなの、時間の無駄ですし)

昔、『裸の大将』という、放浪の天才画家、山下清のドラマがありました。

「お、おなかが空いたんだな、おなかが空いたら、お母さんがおにぎりを下さいっていうんですよ、って教えてくれたんだな」

というセリフがありましたけれど、(そのセリフ、私の生きる基本です)

それ、なんですよ。


お腹が空いたら、交番にでも駆け込んで、泣きながら「助けてください」と頼んでもいいんです。わたしなんか、しょっちゅうおまわりさんに、「助けて、助けて」って騒いでましたから

私がこの記事を書かずにいられなかったのは、自分がDVサバイバーだったからです。

DVで警察呼んでいた時もひどかったですけれども、無事?離婚出来て、一人で自立しようとしていた時が最も悲惨でした。

離婚後、住む家がなくなりました。25年の間専業主婦だったので、専門職とか手に職、というものも持っていません。精神疾患があり、病院に掛かりたかったのですが、逃げ回っていたので、一か所に落ち着けず、病院にも書かれません。

自分の小説にちらちら、そのあたりのことは書き連ねていますから、興味のある方はご一読ください。

ほんとうに、路上生活が、リアルに迫っていたんです。五年前のことです。幸いなことに、わたしは情報だけは取ることが出来たので、路上生活は免れましたが、シェルター生活の経験もあります。

彼女は施設で育ったそうですが、施設というのがどんなところか、というのは、体験したので多少は知っています。社会の最下層にいると私は思っていましたが、

離婚後本当にいろいろな人との出会いがあって、今は最低限の基本的人権が守られている、安全、安心な場所にいます。

彼女もそうだと思いますが、人権をはぎ取られた人間は、自己肯定感がひくくなります。自己肯定感が低くなるとどうなるか?

すべて自分のことは自分でしなければいけない、人を頼ってはいけないという、自分で自分を苦境に陥れる思考に陥ってしまいます。

専門家と名乗りながら、「施設に居た子どもたちがなぜ支援の手を払いのけるのか、支援が行き届かないのかわからない」

ということの方が、私にはわからない。

わたしは今、精神疾患をかかえて、生活保護を受けています。社会の最下層にいるからこそ見えてくる視点で、情報発信をしていきたい、とそう思っています。

読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

スキしてくれたあなた、応援してくれるすべての人たちにありがとう♥

そして、愛しています。ありがと♥てんきゅ♥

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