啓蒙と羞恥心

面白くて衝撃的な記事でした。ブラボーとしか言いようがない。

教員免許を持つ私。
我が子にも幼い頃から性教育はしてきたつもりでいた。
「赤ちゃんはどこから来るの」って絵本をいつでも見れるように置いたり、
トイレにも生理用品をさりげなく隠さずに置くとか。

母親の生理も隠さないで、お腹が痛いことも、具合悪いことも、伝えてきた、
つもり。


でも、

やっぱり、年代的にか、羞恥心 が先に立つのが事実。
そういう価値観で育ってきている自分。
抗えない刷り込まれた価値観。

男の子に面と向かって伝えるには、恥ずかしい。
生理用品を手に取って見られるのも恥ずかしい。
さりげなく…しか伝えられていなかった。

きちんと内容を伝えたことはなかった。
反省しきりだ。


そして、今現在も。
相手には、やっぱり「恥ずかしく」て、「生理」という言葉も伝えられない。
元夫には言えたのにな。

相手が、尚更、古い価値観を持った男性だからかもしれない。
女性の秘めたことをアカラサマにされるのを嫌がる人だ。
醒めると言うか、引くと言うか、男女の「別」に欲情するタイプの人だ。

だから、「生理」と口にはできない雰囲気がある。

嫌われたくないし、好かれていたい。


そう言う気持ちが、ひとは、頭と心が別々に動くことがある。

理路整然と、人間という動物を、生理的な部分を説明できる自分がいながら、
羞恥心やブリっこで、頭の悪いふりをする自分と。


考えてみれば、医学的・生理的な話は出来るのに、
下ネタは苦手な私。

結局、まだまだ自分自身が啓けていない証拠なんだな、としみじみ思うのです。アラフィフにもなって。

そんな、私が相手に伝える言葉は、

「女の子の日」

ね、馬鹿みたいでしょう?
ブリっこどころではないな。
わざと、女を貶めている。

自分に、嫌悪感を抱く。

気付かせてくれた記事に感謝です。

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