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極端な事象から普遍性に至る——ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』を読む

それゆえ、言語が最も普遍的に指示するものを、理念として認識せずに、概念として理解するのは、誤っている。普遍的なものを平均的なものとして説明しようとするのは、本末転倒である。これに対して経験的(エムピーリシュ)なものは、それが極端なものとしてより精確に識別できるものであればあるほど、それだけ深く、その核心に迫りうるものとなる。概念は、この極端なものに由来する。(中略)それぞれの理念も、そのまわりに極端なものが集まってくるときにはじめて、明確な輪郭を示す。

ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源 上』筑摩書房, 1999. p33-34.

ヴァルター・ベンヤミン(Walter B. S. Benjamin、1892 - 1940)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。ユダヤ系ドイツ人。第二次世界大戦中、ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明。ハンナ・アーレントは、彼を「homme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)」と呼んだ。エッセイのかたちを採った自由闊達なエスプリの豊かさと文化史、精神史に通暁した思索の深さ、20、21世紀の都市と人々の有り様を冷徹に予見したような分析で知られる。(Wikipediaより)

引用した文章は、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』(1928年)の「認識批判的序章」の中の文章である。そこでは、「真理」と「認識」をめぐる問題がとりあげられている。ベンヤミンによれば、真理は「認識」されるものではなく、「叙述」されるものである。認識とは一つの「所有」であるが、真理は決して所有されえない。すなわち、 真理は認識連関から隔絶した絶対的客観存在である(プラトンの「イデア論」に連なるもの)。

では、哲学的方法としての「真理の叙述」はどのようになされるのか。そこでは「理念―概念―現象」という三者の関係が重要となる。真理は叙述された理念(イデーン)の中にあらわれる。理念は、概念のように認識の対象とならない(所有されない)。理念とは「存在」(自ら析出するもの)である。いっぽうもろもろの「現象」 は、「仮象が混じり込んでいる粗雑で経験的な状態」におかれている。したがって理念の領域と、現象の領域は隔絶している。それゆえ、「概念」の働きは「現象」を諸要素に分割し、含まれていた経験的なものを消去し、そのうえで、諸要素が「理念」の領域へと入って行くことを可能にすることである。

「理念」は、ベンヤミンにとって、「一回的に極端なもの」が同様のものとの間につくり出す「連関の形姿」である。理念は「普遍的なもの」である。しかしこの「普遍的なもの」を、「平均的なもの」のように考えることは、むしろ一種の「本末転倒」であると、ベンヤミンは述べる。理念は、 「極端なもの」として、もっともめずらしく、もっとも顧みられることのない 諸現象を抱え込んでいる。そうした極端なものたちが、対立と緊張を孕みながら、諸現象の客観的な潜在的配置であり、諸現象の客観的な解釈である「星座(コンフィグラツィオーン)」をつくりなす。
(平井守『ベンヤミンのモナドロジー (その 1)』. 愛知県立大学大学院国際文化研究科論集, 12: 69-85, 2011. より要約)

この「一回的に極端なもの」、つまり逸脱性や個別性をもった事象こそが普遍的なものに至るというのは、私たちの常識とは反対ではないだろうか。わたしたちが普段考える「普遍性」とは、多数の事象から得られる統計的な傾向や平均的なもののほうを志向している。しかしながら、言語の本質や真理について、哲学的に徹底的な考察をしたベンヤミンからは、むしろ「極端な事象」のほうに真理=普遍性は宿っていると考えたわけである。

このことを現象学哲学者の村上靖彦氏は、上記のベンヤミンの記述を引用しながら「個別の経験を尊重することは『理念』に達する」と述べる。

ベンヤミンは、平均によって得られる科学的な一般性とは異なる場所に普遍と理念があると考える。個別性を追求したはての極限に概念があるという。現代社会において普遍性は、論理的な必然性か、測定の正確さか、もしくは統計によって得られると考えられている。これらの帰結は、多数のサンプルを集めてきたなかの平均値や傾向性である。「普遍性 universality」は語源からしてすべてに当てはまるということだろうから、すべてではなく大多数のサンプルに共通するものは、「一般性」「妥当性」と呼んだほうがよい。いずれにしても多数のサンプルと一般性とが結びつくときには、一人ひとりの経験が意味を持つ余地はなくなる。

村上靖彦『客観性の落とし穴』筑摩書房, 2023. (Kindle版 No.1372-1378).

哲学者や人文科学研究者が、一回性の事象や個別事例の中に、普遍的な真実を求める根拠は、ベンヤミンの思想によって説明することができる。それは、科学的な「認識」による真理追及の方法とは全くことなる考え方や手続きに依っている。個別の経験や個人の語りの中にこそ、「真理」あるいは「理念」があると考えることで、私たちはもう一度、一人ひとりを大切にする社会を実現できるのではないだろうか。





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