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【連載小説】『小さな悲劇で満ちたこの世界で』 15. 姉妹のような2人

【これまでのお話】
プロローグ
1. 硝子のマリア像 2. 不器用な教え子
3. 弱い男
4. 都合のいい夫
5. 好奇心
6. 悲劇の未亡人
7. 刑事たち
8. 交わる運命
9. 未亡人の告白
10. 藤原美羽
11. 不幸な少女
12. 消えた未亡人
13. 脱出
14. 長野刑務所

15. 姉妹のような2人
 
 私は東京に着くと、新宿西口にある24時間営業の漫画喫茶で夜を明かしながらアルバイトを探しました。養父、安田源次のことが新聞やテレビのニュースになっていないか、毎日びくびくしていました。
 何日経っても、源次がニュースになることはありませんでした。でも、死ななかったのなら、生きている源次に仕返しされるかも知れないと思い恐ろしくなりました。茨城には絶対に帰れないと思いました。
 そして、4月に入り、東京に出て2週間ほど経った頃、私はよく寝泊まりしていた漫画喫茶で藤原美羽と出会いました。
 同じような年齢、同じような背格好の2人の家出少女は、お互いに何か感じるところがあったのだろうと思います。
 どちらともなく近づき、気がつけば互いの境遇を打ち明け合っていました。源次とのことまで話している自分に驚きました。
 それほど美羽とははじめて会った気がしなかったのです。祖父母との縁が切れて、人の温もりに飢えていた私は、美羽に会えたことに心から感謝していました。
 晴香も同じように感じていてくれたと思います。美羽と私は、夜、お互いにもたれかかり合いながら眠りました。
 美羽は、私と同じ頃、生まれ育った北海道の釧路から上京してきました。これも私と同じように家出したのです。
 お父さんは高級鮮魚をあつかう仲買人で、子供の頃は金銭的に恵まれた生活を送っていたと言っていました。
 12歳の冬に、両親がそろって交通事故で亡くなり、父方のおばあちゃんの富子さんに引き取られました。
 でも美羽は、富子さんと折り合いが悪く、反抗してタバコを吸ったり、万引したりしては富子さんにこっぴどく叱られていました。
 地元のチンピラと付き合うようになってからは、富子さんと毎日喧嘩していたそうです。
 美羽は、お父さんとお母さんが亡くなってから、どんなに富子さんがよくしてくれても、寂しくて、寂しくて、自分でもどうしていいか分からなかったと言っていました。
 高校の卒業式の数日後、また富子さんと激しい口論になったそうです。止めようとする富子さんを振り払って、富子さんのたんすからお金を持ち出し、家を出たそうです。
 そのまま札幌に行って、1日以上かかって電車とバスで東京にたどり着いたそうです。
 美羽と私は、働いて一緒にアパートを借りようって計画を立てました。急に未来が明るく見えました。
 でも怪しいアルバイトは怖かったし、かと言って、何の経験もない田舎から出てきたばかりの未成年者の私たちを雇ってくれるアルバイト先は、なかなか見つかりませんでした。
 そんな中、ゴールデンウィークが目前に迫ったある日、美羽は突然、クラブでホステスとして働けることになったと私に告げました。
 私はホステスという言葉にドキドキしました。でも、2人でマクドナルドへ行き、ビックマックとストロベリーシェークを買って美羽の就職を祝いました。
 美羽がホステスを始めて1ヶ月ほど経ちましたが、私はまだアルバイト先を見つけられないでいました。持ってきたお金がどんどん少なくなって、心細くてたまらなくなりました。
 源次のことがあったから仕方がなかったとは言え、なんの準備もなく思いつきで家を出てしまった自分を愚かだと思いました。
 私のように安心できる場所がどこにもなくなってしまった人間は、いつでも警戒と準備を怠ってはならないと心に刻みました。
 暗い顔をしていたのでしょう。美羽が、私に同じ店でホステスとして働かないかと誘ってくれました。ホステスは男たちを相手にする仕事なので、美羽は、源次とのことがあった私を誘うのは迷ったと言いました。
 美羽の思いやりはすごく嬉しかったし、美羽の言うとおり、男たちを相手に自分にホステスが務まるか不安でした。でも、店でママの陽子さんに会って、やってみようって思いました。
 陽子ママは、私たちが未成年だって分かっていたと思います。でも詮索しないで「ウィステリア」で働かせてくれました。
 しつこい客がいると、ママがさり気なく私たちを席から遠ざけ、代わりに客の相手をしてくれました。お金も、他のアルバイトでは簡単にもらえないような額をくれました。
 ママが保証人になってくれて、美羽と足立区にアパートも借りられました。私たちの人生が新しく始まったのです。
 アルバイトが見つかり、住む場所もできました。渋谷でウィンドウショッピングしたり、湘南に泳ぎに行ったり、美羽と私は幸せでした。2人で節約料理を考え、洋服を貸し合って、お金をできるだけ使わないようにしました。
 2人で大学受験の勉強もしました。美羽は最初、ファッション関係の専門学校に行きたいって言っていました。でも、私が大学に行きたいと言うと、同じ大学に行くと言って、一緒に勉強を始めました。
 美羽と私は、ずっと2人で幸せに暮らせると思っていました。でも、私たちのような人間には、人生はうまく行かないように決められているようでした。
 12月26日、クリスマスの翌日ですから忘れません。普段はママが終電で帰れるようにしてくれていましたが、その日、クリスマスで忙しかった「ウィステリア」の仕事が終わったのは、午前2時を過ぎていました。
 美羽と私も、クリスマスの余韻と疲れで変に浮かれていました。陽子ママがタクシー代をくれたのに、「ウィステリア」から行けるところまで歩いて帰ろうということになりました。
 私たちは歩きながら、自分たちがどんな目に遭っても不死鳥のように蘇るヒロインなんだと言って盛り上がりました。笑ってはしゃいでいたと思います。
 急に背後から、3人の若い男たちが声をかけてきました。
「お姉さんたち、きれいだね。僕たちと遊びに行かない」
3人が口々に「行こうよ、行こうよ」と言いました。
 美羽は言いました。
「私たち、仕事のあとで疲れてるからまた今度ね」
 すると、男たちは、いきなり美羽の髪の毛を鷲掴みにして怒声を上げました。
「仕事って、どうせ身体売ってんだろ。俺たちにもやらせてくれよ。もっと疲れさせてやるからさ」
 男の1人が私の手首を掴んで言いました。
「俺、この子がいい」
私は全身の血が凍りつき動けなくなりました。
「ああぅ、何しやがる」
美羽の髪を掴んでいた男が、悲痛な叫び声を上げたと思ったら、背中を丸めて座り込みました。美羽は、その男の股間を膝で思い切り蹴り上げたのです。
 仲間の2人の男たちが美羽を捕まえました。美羽に罵声を浴びせながら、顔やお腹を殴りました。
 美羽がその場に倒れると、今度は足で美羽を蹴りました。座り込んでいた男も加わって、美羽を蹴り続けました。
「まったく、気分、ぶち壊し」
1人が芝居がかった台詞を叫んだと思ったら、足を後ろから前に振り下ろし、美羽のお腹を思い切り蹴りました。
 私は動けませんでした。男たちが立ち去ってもしばらくその場に立ちすくんでいました。
 やっと身体に力が入るようになって、こわごわ美羽に近づきました。ぐちゃぐちゃになった美羽の髪をかきわけて、顔を見ました。
 ひどく殴られていたのに、右の頬に黒い汚れがついていて、唇の端が少し切れて血が出ている以外はいつもの美羽の顔でした。でも、美羽は息をしていませんでした。
 何もかもうまく行っているように思えたのに、また未来が見えなくなりました。私はまた一人ぼっちになったかと思うと、悲しくて、寂しくて、涙が次から次へと溢れてきました。
 そして、明るい美羽が何も話せなくなったこと、もう笑うこともできなくなったことが悔しくてたまらなくなりました。私たちは幸せになるところだったのにって、悔しくてたまりませんでした。
 現実感がないまま、今まで知らなかった私の中の何かが私を突き動かしました。急に頭がクリアになりました。
 私は、美羽が警察に捕まったことがないこと、釧路の家から現金300万円を持ち出しアパートに置いていること、美羽の財布に健康保険証が入っていること、パスケースに定期券があることを思い浮かべました。
 私は、美羽の財布とパスケースを自分のバッグに入れました。それから、美羽をすぐ近くのビルとビルの間の50センチもないすきまに動かしました。
 路地から2メートルほど奥まで美羽を引きずって行きました。ゴミ箱の横に放置されていた床に敷くようなラグだったでしょうか、重くて分厚い布を2枚、路地側になっている美羽の下半身にていねいにかけ、路地から見えないようにしました。
 近くの公園の公衆トイレで手を洗いました。美羽の血が付いていたと思います。顔もごしごし音が聞こえるのではないかと思うほど洗いました。
 洗っているうちに、水が冷たくて手の感覚がまったくなくなりました。トイレの薄明かりの中で、コートに血がついていないか、破れていないか確認しました。
 案の定、コートの前側には黒い血の滲みが点々と付いていました。仕方なくコートを脱いで、首の開いたワンピース1枚になりました。
 そして、本当に歩いて足立区のアパートまで帰りました。やっとアパートに着いたのは、午前10時頃でした。身体が冷え切っていました。
 浴槽がないので、熱いシャワーを長い間浴びました。やっと見つけた唯一の家族だった美羽はもういないんだと思うと、涙が止まりませんでした。私は声を上げて泣きました。髪も乾かさないで、深い眠りに落ちました。(つづく


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