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父のこと。

お久しぶりの投稿です。
父のことでまとめ切れなかった部分を少し書きたくなったので、綴りたいと思います。
もし、良ければお付き合い下さい。

1つ目はわたしが3歳の頃。
きっかけは何だったか定かでは無いが、例によって酔っ払った父に、有無を言わせず抱えられて愛車のブルーのポーターキャブへ乗せられた。
当時はキッズシートも無く、勿論シートベルトをされた記憶もない。
わたしは泣き叫びながら母に精一杯手を伸ばしたが、努力虚しく車は発進してしまった。

時間は恐らく21時過ぎ。

どこへ連れて行かれるのだろう。
何をされるのだろう。

当時、悪い子は山に捨てる!
と教え込まれていたわたしは、真っ青になりながら車に揺られていた。

しばらく走って着いた場所は工事中の公園?
の様な場所。
ショベルカーや重機が無造作に置かれていた。

父に降りろと促され、1台のショベルカーの近くに車は停まった。
何が始まるのか不安に思っていたところ、おもむろに父がショベルカーに乗り出した。
お前も来い!と言われ、父の膝に乗りながらなんとショベルカーを運転し始めた父。

今では考えられない事だけど、当時の管理はゆるゆるで、夜間ショベルカーには鍵が付きっぱなし。乗り放題!(乗ったらいけません。)

父はあっちにこっちにショベルカーを運転し、アームをぐるぐる動かしたかと思うと、誤って愛車にぶつけていた。
もちろん車も重機も飲酒運転だったんだろうなぁ。とほほ。

わたしは最初こそ怖さを感じていたけれど、徐々に楽しみ始めて居ていたと思う。
きゃーきゃー言いながら父の膝に乗っていた。

その後、一通り気の済んだ父はもと来た道を運転し、家へ帰り着いたのだった。
(帰り着いた記憶は無いので私は車で寝てしまっていたのかな?と思う。)

何よりも肝を冷やしていたのは母だったろうなぁ。。私が母の立場だったら生きた心地がしないと言い切れる。酒乱おそるべし。

…そして父との最後の記憶は、お別れの時。
父が母の実家に来た次の日に急に入ってきた訃報。
周りの大人たちが
「あなたのお父さんは事故で急に亡くなってしまったんだよ」
って教えてくれた。
【死】が何かよく分かって居なかった4歳の私。
家に人が沢山で、賑やかで楽しい思い出しかない。涙もあまり出なかった気がする。

最後に棺の中の父にお花を入れてあげようねって言ってくれた誰かと一緒に見た父の死顔を今でも鮮明に覚えている。

私は一緒に居た誰かに
「お父さん、どうしてベロが出てたんだろうね?」って聞いた。
その人は多分、何とも言えない顔をしてたと思う。泣いていたのかも知れない。
私は、父は何かヨクワカラナイけど、事故にあって亡くなったって思っていたから、その死顔がとても不思議で仕方なかった。
いろんな大人に聞いてみたけど、誰も答えてはくれなかった。

20歳を超えた辺りで叔母に聞いた父の本当の死因は首を吊ったことによる窒息死。
その時、だから父のベロは出てたんだ!っていろいろ合点がいったのを覚えてる。
けっこう、衝撃的だったなぁ。。

私の中にある4年間だけの父のキオク。
ろくなもんじゃないけど、父じゃないと今の私は居なかったもんね。
私はいろいろ認知も歪みまくってはいるけど、必死に自分と向き合ってるつもり。

すこーしづつ、自分の事大切に愛していこうっておもっているところです。

読んでくださった方が居られたら、ただただありがとうございます。
ゆっくり、次はおじいちゃんの事を書けたらなって思っています⁠(⁠・⁠◡⁠・⁠)⁠/

年内に、書き出せると良いな!
それでは、おしまいです。

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