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心と身体⑤

きっかけ

 2人の子供を保育園に預けて、仕事をする生活は常に時間に追われていました。今でもあの慌ただしい日々を振り返ると、いつもこの2つの事を思い出します。
 いつものようにぎりぎりで保育園にお迎えに行き、自宅へ到着し、まず子供を車から降ろす前に、荷物を全部家の中へ運びます。
そのあとチャイルドシートのベルトを外し子供を順に家の中へ。
 その日は、下の子を先に家の中へ連れて行った。それがダメだった。
2歳の上の子が『なんで、○○が先なんだ!』と怒り出した。1分も変わらないのに、いつも順番も決まってなくて、何の気無しにやっているこの行為なのに。その日は違った。車の中でまず大泣きし暴れ、車から降ろし家に入るまでも庭で大泣き、やっと家に入っても火が付いたように泣き大暴れ
『なんで、なんで』が永遠に続いた。どれだけなだめても2歳はおさまらなかった。当然0歳も泣き出す。気づいたら自分も泣いていた。
『なんで?どうして?』
しかも声を出して泣いていた。母だけどママだけど大泣きした。
荷物の片づけも夕飯の準備もできないまま、リビングで3人暫く大泣きした。

 もう一つの出来事も帰宅後の事です。
帰宅後、一番に取り掛かるのは夕飯の支度。その日も慌ただしく準備。
子供たちもリビングでおもちゃで遊んだり、大好きなビデオや本を見ていることが多い。2人で遊んでくれている事もよくあった。
 ほんの一瞬、キッチンから離れた時、カウンターに置いた温めたばかりのカレーの器に下の子の手が伸びた。器は倒れ右手にこぼれた。
 私の悲鳴と熱いのとびっくりしたので大泣きの子供。子供を抱えて水道で延々と手の甲を冷やした。15分ほど冷やしてから病院へ。帰宅後なので救急しかやっていない。主人が帰宅前なので上の子も連れていく。保冷剤やら飲料、マグ、おむつ、おもちゃ、本をマザーバッグに詰め込んだ。主人と病院で落ち合う約束をして向かった。
 痛くてずっと泣いている。火傷は痛い。少しの範囲でも痛い。私のせいだ。自分を責めた。私の不注意で火傷させてしまった。
 救急外来に主人も来た。すぐには診てもらえないので待合で待つ。そこへ60歳過ぎ位のおじさんがフラフラ現れた。
 息子をみて『やけどか!こんなもん母親が悪いわ。なあ。母親がちゃんとみとらんからだわ。そうだろー。』と・・・。
 わかってる。何も言えない。下を向いて、息子の手を保冷剤で抑えることしかできなかった。診察後に車に乗ってから泣いた。声を殺して泣いた。

 子供2人連れて、毎日こんなにバタバタ忙しくして、自分も主人もイライラすることがどんどん増えて、喧嘩も増えて、自分の不注意で子供にとうとう火傷までさせてしまって。何をやっているんだ。こんな毎日を送ってまで
今の仕事を続けるのか?もっとゆっくり向き合う時間をもって、私も、主人も笑っていた方がいいのでは?子供はこんなママで幸せなのかな?
 その日から、そんなことばかり考えるようになりました。

3人目と決心

気持ちがモヤモヤしたまま答えも出せずにいた頃、3人目の妊娠がわかりました。もともと子供は3人欲しかった。その時は、正直、今じゃないと思った。もう、仕事続けられない・・・とその時は泣いてしまった。

 気持ちの切り替えは早かった。
いずれ、仕事を辞めなくてはならない日が来るのはわかっていた。
私の住んでいるところには、学童保育がなかった。小学校までは徒歩3キロの地域だったから、朝は、子供を送りだせても帰宅後何時間も子供を1人にはさせられない。正直、子供が小学校へ上がるタイミングで辞めることになるだろうと思っていた。 
 それが2年早まったと思うことにしよう。
 それに、今の保育園は子供の小学校の校区にはない。小学校に入る前に校区の子が通う保育園に変わろう。そうすればお友達も沢山出来る。
 私も、朝早く出て、夜帰るので、住んでいる地域のママを全く知らない。これを機にママ友もできるかな?
沢山のプラスの要素を並べ、考え、退職の意を職場に伝えた。

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