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呪いの言葉

変えられないのか
変え続けてきたがゆえなのか
常に流動的に変えているつもりだが
多分それさえも伝わらないのだと思う


「不立文字」
言葉では言い尽くせない伝え尽くせないそれらのことを言うらしい
体感して悟って知ることは言葉で伝えようとするのはおこがましいので辞めましょう
ということらしいのだが
仏門の言葉の究極は「無」なので
これはある種「宇宙理論」と同じだったりする
(あくまでも私の中での見解)
神道においては万物は意志を持ってそこに在る
なのだが

物質的に頼りがちな時代の中での
実に日本的な曖昧でふわふわとした物言いをする神道のやり取りは仏門のそれとは違ってとても好きなのだが、だがしかし。
最近はそのふわふわを理論建てて根拠を元に話すような形でないと何も伝わらなく、意味の無いものと定義付けられてしまうようなので
特に私の書くものたちはそうなのであろう

世の中全てフィクションの世界

実にリアリティのあるフィクションで
人は翻弄され惑い苦しんでいるのではないか
とさえ思うのだが
そんな事さえどこにも届かず伝わらず


不立文字とはまさにこれの事かと
何となく昨夜Twitterのトレンドの文字を辞書で調べ思ったりした


という話でした。

都心からちょっと離れた場所には
自然に囲まれた世界があると知る


また
そのままで良いと思う
という呪いの言葉を頂いた
ありがたい事です🙏


道祖神の多い街を歩きますと
少し心が安らいだりするのです
いつだって見守ってくださるそれらを
大切にしながら生きている人々が住む町と
知らぬ間に思ったのだろう


これは祠か?


きっと人は物理的な法則がないと
安心して上下左右を確保できないんだろうね
宇宙空間には上下左右も無ければ
時間という概念も存在しないのだから
定義付けや法則で枠を決めなくては
落ち着かないのだろう
何もかもは無限のように見えて有限
宇宙空間のそれも
人の命も
時という概念は存在しないというのに
思い込みでそう恐れおののいている

そう
全てフィクションな世界
真実を知るための命では無いということ
全てを知ることができるのは
きっと役割を全うした時なのだろう


そのままで良いという呪いの言葉は
それらも含めなのかもしれない




寝ぼけながら書いたので
詳細や間違いなどのツッコミは
優しめにお願いしたい
とはいえ
お言葉を頂けるなど滅多にないこと

「他者との対話とは己の気付きに必要な事」

そうは思ってもなかなか頂けないものなのだと
こうしてご覧いただけているご縁もなかなかにないことなのだろう
有難いことです 
もっと多くの縁と…
などという欲は良くない
Σ(ㅇㅁㅇ;;)エッ…


大きな栗の木の下で
あなたと私
仲良く遊びましょ
大きな栗の木の下で…
(とても危険だと思うのは私だけでしょうか)



児童唱歌というものは
ある種のrapのようなものなのではないか

この
大きな栗の木の下で
を入力しながら思ったのだよね
もしもし亀よ亀さんよ〜
にしてもそうだし
うさぎうさぎなにみて跳ねる
だってちょっとrapじゃない?
会話にいんとおんを付けて抑揚をナチュラルにしてるだけよね
リズム変えたら即rapになる

あ、
そんなこと言ったら全てrapにもなるし
児童唱歌にもなる
日記にメロディを付けたら歌になる
あらまぁ
なんてくだらないところにたどり着いたのかしら
申し訳ありません
調子に乗りました
そろそろ書くのを止めようと思います。
(次々出てくるのでキリがないのです)


ほんと
ダラダラと書いてしまった
失礼致しました
読んでくださったあなた様の
貴重なお時間を頂きありがとうございました

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