見出し画像

徳島なんか燃えてしまえ

ノスタルジーなんかくれてやる

1時間おきのディーゼル車に乗った牧歌的なかったるいクソ田舎の思い出とかそういう名前のついたものを新快速に15分おきにクチャクチャにしてもらいに6年前私は都会に来た

岸和田出身の知人が「岸和田なんか燃えてしまえ」と言っていてどうもそれがめちゃくちゃよかった
頭の中にフレーズだけ濾し取られたそれは地元への熱いヘイトも相まってその“岸和田育ち”っぽさが否が応でも出ちゃっていてとてもよかった

徳島なんか燃えてしまえなんてタイトルは岸和田ほどの火力はないけど、愛憎の雑煮みたいな土地にこのフレーズを放火するくらいにはちょうどよく最悪だ

徳島生まれ徳島育ち、田舎のカルマを呪いつつ実家との家族仲が壊滅的になってる奴は大体友達
壊滅的すぎて家族の誰にも言わず何回も仕事辞めて黙って丸1ヶ月インドネシアに行ってきたとかいう奴もいた

あんまり美味しくないグズグズのパスタを黙って食べるみたいに低い山裾を臨んでいたダサい時間さえ、原宿で買った艶々の小さなハンドバッグには入らない
でもメルカリで売っちゃうのも惜しい気がして結局ワンルームの隅でひとりごちて腐っている

なんだかんだ言って盆と年末年始地元には帰る
片手くらいの数の親しい人たちに呼ばれて帰る
いつか有象無象と一緒くたに捨てたはずのかつての自室とかいう巨大な粗大ゴミが私を出迎えるので私はしばしゴミ溜めと一体化する
私はこの巨大な焼却炉の中にいるといつか燃やされる
それはここが地獄の一丁目だからだ

吉野川の浅瀬で小魚が群れで泳いで、
眉山の向こうから空気が澄んでいて、
都会よりよっぽど星が綺麗に見えるし星団だって視認できる

「趣味は読書と星を見上げること」

そんな後妻業の女がいけしゃあしゃあと言いそうな耄碌した趣味が素で罷り通ってるような何にもないけど何もかもが豊かな田舎
そんなこと言ったって“思い出”とか言って正しく生きてた奴らの持ち物が嘔吐中枢を刺激する

電車の一本もない土地で自転車を漕いでも漕いでもどこにも着かなくて6年ほど遭難しているうちに随分大人になっていた
私が感じた地元の全ては“ダサい”し“死にたい”
ありふれてきらきらなんかしてたまるか

去年の暮れに断片的に記憶がなくなった時があって、その時人生の端っこがちょっとだけ見えた

“人生の端っこがちょっと見える瞬間”って、「あっわかったこうやって終わりが来る」みたいなひらめきがあって、だいたいそういう時って空気が澄んでいて絶望的に青空が深い

すごく穏やかに「しね」と思う

「きっとうっかり死んでしまうんよ」と先輩の言葉、「そういう風にずっと死ねずに生きていくんだろうね」と友人の言葉、私はこれを何度も何度も反芻する

あんまり長く生き過ぎてしまって「簡単なことすらなんもわからん」になってしまった
南條あやにはなれない
その代わりに、入れない教室の前で片田舎の私がずっとあそこにいるのを見た
今も彼女は幽霊だから、FM電波の中くらいにしか居場所がないらしい

徳島なんか燃えてしまえ
帰る場所なんか燃えてしまえ 

地獄の一丁目に電波が届いていたら応答してください
愛していたとお伝えください

執筆者:南村杞憂

#エッセイ #詩 #地元 #写真 #生活 #日常 #huji #note文芸部 #ブログ #学校生活