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短編小説 『諸悪』



 蜘蛛は観ていた。天井から一本の細い糸を垂らした蜘蛛が。
 西陽に照らされた少年の顔を、ジッと観ていた。
 少年もまた、見ていた。
 黒光りする太い梁に渡した一本の荒縄が。母親の首に隙間なくギリリと食い込む様や、かすかにユウラリと揺れる母親の全身を、ジッと見ていた。
 口元からはブクブクと泡を吐き出し、端からはツーッと細い糸のような赤い血が流れていた。宙に浮く、ダラリと垂れ下がった素足の先から雫がポタポタと滴る。それは色褪せた畳の上でじんわりと手のひらほどのシミを作っていた。

 お母さん、汚ったねェ。

 小学校六年に上がったばかりの春の黄昏に首吊り自殺を遂げた母親の姿。ソレを目の当たりにした息子の陸雄りくおが抱いたことのすべて。むしろそれ以外には何も思いつかなかった。お母さん、汚ったねェ。 

 陸雄は二週間ほど学校を休んだが、何事もなかったかのようにケロリとして登校してきた。小さな農村の小さな学校のことだから、陸雄の母親がどんな死に方をしたのかも含めて、噂は余計な尾鰭まで付けて十二分に知れ渡っていた。学友たちは最初の数分こそヒソヒソと声を潜めて何事かを話し合っていたが、席についた陸雄がニコニコと笑みを浮かべながら、
「あぁ腹へったぁ」
などと軽口を叩いた瞬間に教室中が子供らしい歓声やら奇声に包まれた。
 元来、陸雄という少年は根が明るく冗談ばかり言う子供だったから、教室中の人気者だった。少年が不在だった教室はその時ようやく日常を取り戻した。子供たちの聞きなれた笑い声が一時にドッと溢れて、最も胸を撫で下ろしたのは他でもない、彼らの担任の教師だった。

 お調子者の性格はそのままに、陸雄は中学に上がると部活動に打ち込んだ。どちらかというと小柄な方だったのだが骨格が太く、また力も有り余っていたからか、彼が選んだのは柔道だった。顧問の体育教師は体罰も酷く生徒たちからは好かれていなかったが、自分の教えに忠実な陸雄をことさらに可愛がった。根は優しくて力持ち、そんな陸雄は生徒からも教師たちからも好かれていたのだった。けれど要領が良くないせいで、勉強の方は芳しくなかった。
 それでも周りが彼を進んで助けるから、何不自由なく高校にも進学することができたのは奇妙な彼の人徳ゆえだったのだろう。陸雄の周りには常に彼を支える誰かがいた。
 暗い過去の出来事を忘れることはなかったが、それを補って余りあるほどの愛情を、彼は享受していたのだ。そこにはやはり奇妙なほどにねたみやそねみとは無縁でもあった。けれど三十路を過ぎても童貞だったのは、陸雄の他者からの印象を裏付けるものだろう。
 つまりは人畜無害の聖人君子のように思われていた、ということだ。本人の胸の内など真にはどうであったかなどお構いなしに。

 だが陸雄自身も彼ら彼女らに感謝の気持ちを忘れることはなかった。
「俺を助けてくれた世間に、恩返しがしてぇな」

 高校を卒業した陸雄が見つけた道は、介護職だった。もっと身近に感じられる愛情を返したい。恩返しの対象を、数ある中から彼は老人に向けたのだった。どんな心境や考えでそこに向かったのかはわからない。陸雄は誰にも語らなかった。しかし間違いなく、母親の最期の姿が強く影響を及ぼしていたのだろう。汚いから綺麗にしてあげたい。そのカケラみたいな想いが彼のどこかにあったはずだ。
 介護はとても厳しく辛い職業だった。特に痴呆の症状が顕著な老人たちの介護は日々問題の連続だ。けれど陸雄は持ち前のお調子者の気楽さを遺憾無く発揮していたし、奇妙な人徳もある。それは特に問題のある環境でこそ伝播していき、陸雄が通れば怒りの形相も微笑みに変わった。
「神様みたいないいひとだ」
 いつか誰かが思わず口にした。もちろん陸雄のことをそう表現したのだ。
 神様みたいな、いいひと。
 身も蓋もないかもしれないが、結論から言ってしまえば。
 この世にそんな人間など存在しない。人が人としてこの世に誕生してから今日までの気が遠くなるほどの歴史の中で、ただの一度もそんな存在は現れてはいないのだ。善も悪も表裏一体で常に為される。誰かが笑えば誰かが泣くのがこの世の人の営みの結果で、綺麗にふたつになど分けられない。だから陸雄が善の象徴であるところの神様だという道理も金輪際ない。

 とある入居型老人介護施設に勤務するようになって六年目の春に。
 陸雄は痴呆症を発症していた八十六歳の男性を殴り殺した。
 執拗に何度も何度も殴りつけ、男性の顔を潰したのだ。
 報道によれば、「ボケ老人は淘汰されて当然だ」などと供述したのだという。
 突然の陸雄の乱行に彼を知る者は口々に「信じられない」と言い合った。
しかしどこかの週刊誌が陸雄の過去、つまりは母親の自死の事実を書き立てると彼の評価は一変した。尾鰭さえも付き、父親の育児放棄と虐待にまで言及される始末だった。もちろんそんな事実はなかったのだが。
 神の座からの堕落。
 屈折した精神は異常な家庭環境から生み出された。狂気の悪魔。

 その悪は、一体どこにあるのか。

 *  *  *  

 薄っぺらくて弾力のない頬を殴りつけると、「ボキッ」と骨の砕ける音がはっきりと聞こえた。怒りのままに二打、三打と左右から殴り続けるたびにそのボキッゴキッという音が顔以外のどこかからも聞こえてくる。
 それが嫌で嫌で、陸雄は骸骨みたいな老人を見つめながら、怒りが急激に冷めていくのを感じていた。目の前が滲んで霞む。慌てて右手の甲で擦ると、ヌメっとした生温かい何かが更に上からそこに付着して目が開けられなくなった。今度はユニフォームの裾でゴシゴシと顔全体を拭いた。
 薄目を開けるとグチャグチャに潰れた顔が転がっていた。
 反射的に後方に飛び跳ねると、ゴツンと背中に壁が当たった。
 辺りを見回せば、見慣れた施設のだだっ広いトイレの中だ。
 糸の切れた操り人形みたいな異物を除けば。
 そこではたと気が付く。
 頭を抱えて隅にうずくまっていたあの女性職員の姿がない。
 そうか、腰を抜かしていたわけじゃなかったか。ここから自力で出て行けてよかったな。

 ここには自分とこの死体だけ。そういうことだ。

 陸雄は血糊のベッタリとついた両手で、トイレの出入り口に取り付けられたステンレスの取手を握りしめた。そうして上下に擦り付けながら、
「俺はボケ老人を殴り殺したかったから殴った」
と、誰が聞いているわけでもないのにそう呟いた。

 それ以後、陸雄は警察の取り調べに対して、完全黙秘を貫いた。

 *  *  *

 蜘蛛は観ていた。天井から一本の細い糸を垂らした蜘蛛が。
 混乱のあまりに目を見開いたまま全身を硬直させている女の姿を、ジッと観ていた。
 老人もまた、見下ろしていた。 
 自らの性器を女の唇に押し付けて、「舐めてくれよ、おい。舐めろよぉ」と掠れた声で繰り返しながら。
 女の身体がビクッと震えたかと思うと、右手で頬に押し付けられている老人の性器を払いのけて立ち上がった。そこに老人が両手を伸ばして女の胸を乱暴に鷲掴んだ。
 悲鳴が上がった。覆い被さるようにして下半身を露出した老人が女に抱きついたのはほとんど同時のことだった。
 この状況を理解できる冷静さは、施設の女性職員には皆無だった。この行為の理由など問えるはずもない。混乱は全身にまで広がり、抵抗することすらままならないのだから。分かっていることとと言えば、これが深夜の介護施設で、尿意を催した痴呆症の男性からコールを受け、介助しつつ入室したトイレ内で突如起こった出来事だということだけだ。
「ヤラせてくれるって聞いたぞ、おい!はやくしろ!」
 骨と皮だけだと思っていた老人のどこにそんな力が残されていたのかと唖然とするほどの腕力で、職員の右手首を握ると、露出した陰部に押し付ける。悲鳴とも嗚咽ともつかない声とともに涙が両目から溢れてきたとき、ガラガラと音を立てて勢い良く出入り口の引き戸が開いた。
 滲んだ視界に、薄ぼんやりと見慣れた濃紺のユニフォームのシルエットが映った。
「金子さん!」
 声の主は大声で女性職員の名を叫ぶと、彼女と老人の間に割って入って、覆い被さるその老人を力任せに引き離した。
 老人は壁に背中を打ち付けると、呻き声をあげてその場に丸くなって倒れた。女はトイレの隅で頭を抱えてうずくまった。腰が抜けたように足に力が入らなくなっていた。

 陸雄はその女性職員のもとに駆け寄り、もう一度名前を呼んだ。大丈夫だから安心してと、そんなことを努めて穏やかな口調で語りかけた。小刻みに震えている、専門学校を卒業したての若い女の子だ。この子がたった今受けた性被害はとんでもないトラウマをこの子に植え付けてしまったことだろう。もうここでは働けないかもしれない。
 そんなことを咄嗟に考えた瞬間、不意に後頭部を襲った激震に意識を失いかけた。徐々にそれはドクンドクンと脈打つような激痛に変わっていった。後頭部に手をやれば、ヌルリとした感触があり、慌てて顔の前に持っていくと手のひらが真っ赤に染まっていた。
 ゆっくりと後ろを振り返る。
 柄の短いデッキブラシを手にした老人が、立っていた。
 かろうじて立ってはいるが、腕はダラリと力なく垂れ下がり、足はガクガクと震え、失禁していた。陸雄をモップで殴り倒すのに命の全てを使い果たしたかのような老人の姿を見て、陸雄は覚えた。
 同情ではない。哀れみでもない。

 あの、赤い、畳の上の、水たまり。
 口元の泡と、赤い、血の、一筋。

 お母さん、汚ったねェ。

 そんな、殺意に似た強い感情を。汚いから、殺す。
 陸雄はユウラリと立ち上がると、腰を使って右腕に力を溜め込み、足を踏み出すと同時にゾンビみたいな老人の顔面めがけて拳を突き出した。
 ゴリッと鼻の骨が砕ける感触が伝わってきて、ゾクリと鳥肌がたった。

 *  *  *

 頭が痛くてと呟いてみた。
 陸雄と金子さんは、快く「仮眠室で休んでいていい」と言ってくれた。
 内心では予想通りの成り行きにほくそ笑むとともに、口では二人に感謝を述べた。それから仮眠室のドアをしっかりと施錠すると、部屋を暗くしてスマホのホームにあるアプリを起動させた。入居者用トイレの天井近くに設置した小型カメラの映像を観るために。
 あの長塚というボケ老人は言われたことを真に受けて、行動に移すだろうか。そもそもそれが全ての始まりだ。ボケ老人が自分は二十歳そこそこの若者だと錯覚して、自らが性犯罪者だった過去の記憶と現在が混濁しなければ何も始まらないし、何も観察できない。
 暗がりの中で、その瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
 監視すること三十分と少し。
 引き戸が開いて、ユニフォーム姿の女性が入室した。金子さんだ。ドクンと胸が高鳴るのを感じた。続いてヨボヨボと長塚のボケが入ってきた。
 実行しやがった!!思わずニンマリと笑みが溢れてしまった。
 あの元性犯罪者は刑務所から出て数十年後に、その腐り切った性欲をムクムクと下半身から放出させようとしている。どうせもうピクリとも反応しないであろうそのイチモツに、あいつは一体何を期待させているというのだろうか。
「あの若い女の子、シモの処理までしてくれるらしいよ。夜中にトイレに呼んでごらん」
 その一言が、たったの一言が長塚の痴呆を一時的に治癒、覚醒させたのだ。煩悩とは百薬にも勝る。驚きとともに呆れ果ててしまった。
 長塚の性暴力の一部始終を観察しているうちに、なぜだかムクムクとあの日の記憶がフラッシュバックしてきて、本来はただ観察するつもりだけだった予定に、全く別のアイデアが浮かんできた。
 ここに獰猛な獣を一匹投入したら、一体どうなるだろう。
 どうして今の今まで、そこに思い至らなかったのか。こんな身近に、その獰猛な獣が、常に存在していたというのに。
 観察者である以上、彼のことを第一に観察していなければならなかったのに、いっときの気の緩みからあんなどうしようもないクズのクソボケ前科者に興味を覚えてしまった自分を恥じた。大いに恥じた。
 仮眠室から出ていくと、スマホをいじっていた陸雄に声をかけた。
「あれ、金子さんは?」
「トイレ。3号室の長塚のオヤジさんに呼ばれたんだ。私が行きますっていうから」
 思わずほくそ笑みそうになる自分を必死に制して、言ってやった。
「そう。でもちょっと心配だな。ほら、長塚さん、アレだし、女の子を一人にするのはさ……」
 真意に気が付いた陸雄が血相を変えて詰め所を飛び出していくのを、僕は一心に観ていた。

*  *  *

 ここまで読んできたあなたなら、僕が何を言いたいのか、もう充分わかったことでしょう?
 僕は最初に書きました。
 その悪は、一体どこにあるのか、と。
 性犯罪者の長塚か。
 殺人者の陸雄か。
 そして全てを知っていて何をするでもなくただ観察者を決め込んだ、僕か。
 ただね、ここを読み飛ばしてもらっては困るんですよ。
 僕は全てを知っている。
 そうです、何もかもです。
『あの若い女の子、シモの処理までしてくれるらしいよ。夜中にトイレに呼んでごらん』
 これ、しっかり録音してありますからね。
 ばっちり残っていますよ、あなたの声が。
 元副施設長の牧野さん、あなたの声が。
 あなたが長塚に囁きかけなければ、僕はトイレにカメラなんて仕掛けなかった。長塚は金子さんを襲わなかった。そしてね、兄は長塚を殺さなかったんです。ほんの軽いジョークでそんなことを長塚に言ったのだとしたら、相手が悪いですよ。元性犯罪者に囁くことじゃない。
 でも、もしもですよ。もしも全てこうなる・・・・・・と計算して囁いたのだとしたら?
 ねぇ、牧野さん。
 その悪は、一体どこにあるのですか?
 今から金子さんに土下座でもして謝りますか?
 でもね、そんなことをしても無駄ですよ。知っていますか?金子さん、心の病気になってしまいましてね、引きこもりの寝たきりになってしまったそうです。それこそ、下の世話までお母さんがやっているんだとか。よっぽど酷い匂いでもしてたんですかね、長塚のアレが。
 牧野さん、ちゃんと最後まで読んでくださいね。ここでビリビリに破いたりしないでくださいよ、僕の生まれて初めて書いた大長編小説なんですから。
 その悪で、一番割りに合わない被害を被ったのが金子さんだと思いますか?確かにそうでしょうね。そうとも言えますが、兄のことだって忘れてもらっては困ります。
 兄の陸雄はね、勘違いのしょうもない正義感を振りかざして女の子を一人助けたために、世間様からボロクソに叩かれる精神異常の殺人犯に仕立て上げられてしまったんですよ。あなたのたった一言のせいで。
 報われないのは兄と金子さんですよ。当時婚約者がいた金子さんは、その婚約者の彼に事件のことを知られるのを恐れて、全てを最初から無かったことにしたんです。そう、自分は詰め所にいて何も知らないと。僕も金子さんとずっと一緒にいたと証言しました。彼女の意図を瞬時に汲んでね。小型カメラは警察が来る前に回収しました。色々と用意周到なんですよ、僕は。
 兄もきっと金子さんを庇うと確信していたし、実際にそうした結果が兄に対する有罪判決だったわけです。まぁ金子さんは結局ビョーキになってしまって婚約は解消。報われないでしょう?まったくもって酷いジョークだ。牧野さんはこれを知って何をどう思うんでしょうね。
 俺は関係ない、とでも?事実やったのはそいつじゃないか、と?
 まぁ、そうでしょう。牧野さんはただの一つも手を下してない。ただ一言、短い言葉を口にしただけです。
 だから、僕はあなたに問うたのです。その悪は、一体どこにあるのかと。

 世の中はきっとあなたを許すでしょう。いや、そもそもあなたの存在すら誰からも問われない。
 僕らが犯した罪に、いったい誰が問うたり、許したりするでしょう。こんな取るに足らない、些細な、異常に。最初だけでしたよ、兄も世間から多少なりともバッシングのようなものを浴びせられたのも。今じゃ、一体どのくらいの人があの事件を覚えているでしょうね。
 そんな兄がね、明日刑期を終えて出所するんです。懲役二十三年。二十三年ですよ、牧野さん。長いですか?短く感じます?人を一人殺して。それもボケ老人を殺してやりたかったっていうだけの感情的で短絡的な動機で。
 そうですよ。真実は伏せてね。かわいそうな金子さんを助けた結果だなんて誰も、刑事すら知らない真実なんですよ。僕らはもちろん知っていますが。牧野さんももうここまで読んで充分にご理解いただけたことでしょう。
 そうそう、兄はいつかの面会で、出所することへの想いをこんなふうに呟いていましたっけ。

 あたらしい自分に出会って。
 知らない土地で自由に暮らして。
 他人の目を気にせずに。
 仕事に一生懸命精を出して。
 値打ちのある人間になってみせる。

 牧野さん。
 どうか一度、兄に、生まれ変わった陸雄に会ってあげてください。
 あなたに良心というものが多少でも残っているのなら、潔く。

*  *  *

 先生、小林先生。ちょっと聞いてくださいよ。いや、さっきまで校長室で校長と刑事さんから報告を受けてましてね。何をって、鈴木の。あぁ、弟の方の、海彦のことをね。ほら、母親の。えぇ、小林先生もそうだと思いますけど、母親のあんな姿を目の当たりにしたのって、兄貴の陸雄だけだっていう話だったでしょ?そう、それ。私もそれしか知らなかったんですけどね。違ったんですよ。あ、いや、違うというか。弟のね、海彦も実は見てたんですって。何をって、母親のアレ。どこでって、どこだと思います?まるで江戸川乱歩ですよ。え?知らない?屋根裏のなんとか。まぁ、そのね、あいつらの家には屋根裏があってね、弟の方はよく隠れちゃあ悪さしてたらしくてね。あの日もね、その屋根裏から見てたっていうんですよ。母親のアレと兄貴の様子を天井から覗いてた。小便漏らしながら。いやぁもう驚きましたよ。てっきり弟の方は無傷・・だったもんとばっかり。これからは私も海彦のこともさらに気にかけなくっちゃあ。いやぁ、ほんと憂鬱ですよ、仕事が増えて。たしかにあいつねぇ、兄貴と違っていやにジメジメしてるっていうか、女子生徒を見る目なんかがね、ネチネチしてて。そう、あれだ。目が離れてて、拡大した蜘蛛の顔というか。いや、そりゃ詳しいですよ、それを教えてるんですから。あはは、職業病ですね。小林先生の方は?兄貴の方。え?そうなの?人を射殺すような目って。先生だって職業病じゃないですか、文学的で。あははは。まったく兄弟揃って、家庭環境が複雑だと性格に難が出てくるというか。そうそう父親もね、酒乱と鬱を行ったり来たりだっていうじゃないですか。いやぁ家庭訪問、ほんっとうに憂鬱だなぁ。まぁ訪問させてくれるのかどうか怪しいですけど。あんなことがあった家だから、行きたくないですよ、正直。ねぇ先生、あそこん家は校長に掛け合って……。
えっ?
うわぁ!!
おい、なんだ。脅かすな挨拶しろ職員室に入るなら。えっ。
う、海彦じゃあないか。
ど、どうした?いやおまえいつからそこにいたんだ?
まておまえ先生たちの話、どこから聞いてた……。


(終)




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