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週休7日にしてみたら・・・レポート①

週休7日にしようと思いたって、実際に週休7日にしてから20日しか経ってないのだが、大きな変化があったので書いてみる。

ここでお断りしておくが、無職と週休7日では全く違う別物なのだ。


無職とは、働きたいと思っていて、仕事があれば仕事につきたいと思っている状態。

週休7日とは、自分の意志で仕事はしないと決めて、求人など見ようとしない状態。


仕事をしたい。と思っているか、仕事はしない。と思っているか、これはすべてに置いて全くの別物の結果になる。



週休7日は無職とは全くの別物

57歳の人生の中で、就職できなくて1年近く無職だったとか、病気で9年も働けない時もあった。

だから全く働かないことは何度か経験している。


しかし、いかなる状況でも意識は、常に「いつかは働きたい。」と思っていた。

その根底には、「働かないと収入が無くなり死んでしまう。」と言う恐れから逃れることは無かった。


スピリチュアルをやっていてもビジネスライクな人の根底は全員がこれだ。

いろいろと理由をつけて正当化しても、お金が無いと困るってのが根底にある。


2年前まで自分がそうだったので、悪く言う資格は無いのだが、そうなのである。

週休7日ってのは、勤めないってだけでなく、本当に働くことは何もしていない。


週休7日の根底には、

「働かなくてもいいんだよ。」「働かなくても大丈夫だよ。」「働かなくても問題ないよ。」と、絶対的な安心感の元で行われる。


なんでそんな安心感があるのかは、最後に書いてみる。

その前に、仕事を少しだけするのと、仕事を全くしないでは、全然違う別物なのだ。


週休7日にする前に、半年くらいは週休4日をやって、その後に数か月、週休5日をやってみた。(週に2日、1日6時間で働いた。

でも、週に1日でも働いているのと、全くする気がないのでは、0と100くらいの違いがある。


1日でも働くって、「少しはお金が無いとならない。」って思うから働く。

ただ、「働くことが楽しい。」って人は、私の話しには合致しないかもしれない。


働くことが楽しいって人は、スポーツするのが楽しいってことと同じで、3次元社会が好きなだけだね。

良い悪いの話ではない。


少しでも働くかなって意識と、仕事は全くしないって意識では、全然違う答えになる。


ストレスが無いって、こんなにも幸せなの!

週休7日にしてみて、まず驚いたのが「ストレスが無いって、こんなにも幸せなのか!」ってことだ。

先にも言ったが、仕事を休むのと、仕事はしないと決めるのでは、全然違う感覚を味わっている。


ストレスが無いって感覚ってどんなものなのか?

週休7日にして20日目で感じたのは、


布団に横になって目を閉じただけで、熱い鉄板の上のバターのように、身体が半分くらい溶け出すのである。

あまりにもの心地よさで、肉体が溶けだしていって、半分くらい液体になってしまったかのような感覚におちいる。


スピリチュアルを習いはじめた4年前からも「リラックスすること。」とわかっているつもりだったが、

普通の社会生活では、真のリラックスって経験しことが無かったんだなって知った。


布団の上に横になるだけで、ものすごい快感と幸せと安心感しか無いのだ。

この肉体が溶け出していく心地よさは、言葉に表しがたい。


肉体が溶け出す感覚って、今まで初めてなんだよね。

でも、半分くらいは肉体が残っているので、まだ100%の深いリラックスまで到達していないのかもしれない。


今後が楽しみでもある。


小学6年生か中学1年生くらいに戻った感覚になる

今の生きている感覚は、自分の人生で小学6年生か中学1年生くらいに戻った感じがする。

そのころって、将来の心配はしないし、お金の心配もしない。


お金が無いならば、持ってる範囲で出来る最高の遊びを工夫する。

今は、まさにそれで、遊びの内容が、全くそのころと同じ遊びをしている。


買える範囲でプラモデルの塗装を研究したり、働いている時に買った4丁くらいのトイガンに塗装して見たり、

まじめにガンマンになれるように抜き撃ちや射撃訓練したりしているw


それプラス、護身術の練習や不食をやっていると、

大学の頃からの友人に、「すごい充実した生活してるね。」と言われた。


まぁ、普通に嬉しくはあるのだが、それってオレの本当の趣旨からまだずれてるのかもな。とも思った。

週休7日の本当の趣旨は、「のんびり生きること。」なので。


でも、今は毎日がすげぇ楽しいから、まぁ、いいかw

あまりに楽しすぎて、一瞬だが3次元の楽しさに引きずりこまれたので、今は距離を置いて、適度にして、本気で楽しもうとしていない。


仕事しなくても、なんで安心感でいられるの?

収入が無いと普通は不安になるのが当り前なんだけど、

それが当り前だと思うこと自体が、3次元社会に支配された観念に過ぎないんだよね。


働かざる者食うべからず。とか、石の上にも3年。とかみっちり奴隷教育を小学生のころから何十年も受けてきているから、そう思うだけなんだよ。

尾崎豊も、この支配からの卒業!と歌っていたが、お金を稼がないと生きていけないって、洗脳されているだけなんだわね。


「それは思い込みや観念に過ぎない。」って気づいて、自分の魂や、自分の身体や、自分の運命のシナリオを100%信じ切ることができれば、

安心感しか生まれないんだよ。


普通の人は、過去か未来のどちらかしか意識していない。

過去のことを思いだすか、将来の理想を描いたり、または将来の心配したり、そのどっちかに生きている時間が多い。


「ただ今に生きる。」これって昔から言われている重要な言葉だけど、

これを語ったり、教えている人のほとんどが自分でもできていないから。


それはなんでか?って言えば、「人生のシナリオは決まっている。」「私と言うエゴには、自由意志は無い。」って真実を認めたくないからだ。

「人生は思い通りに変えられる。」「自由意志はある。」って人は、過去やの将来ことに100%意識が向くことになっている。


だって、過去を分析して、未来に反映させないと、こう云うことできないでしょ。

だから、今の瞬間だけに生きられないのだ。


過去を見れば、怒りも罪悪感も出るし、将来を考えれば不安も出るのは当たり前。

今ある、ただ今の一瞬だけの幸せを100%享受していれば、安心感しか生まれない。


それには、己の魂が生まれる前に書いてきたシナリオを100%信じて、今後の運命を100%己の魂に託せばいいのだ。

それだけやれば、誰にも出来ること。


今日は、夜書いてるせいか、少しまとまりが悪いけど、「週休7日にしてみたら・・・レポート①」でした。


追伸 これから1年半が過ぎてみた

この記事を書いて1年半以上たったが、今でも週休7日でバイトも一度もしていないw

それなり人間関係では大谷もあり大変な目にも合うことがあったが、働いているときのストレスから見れば1/50程度ではないだろうか。


今日なども一日森林公園で裸足で芝の上を歩き、また芝の上で寝そべって青空を眺め、アセンションの日光を浴び続けグランディングしまくりだww

晴れた日は、毎日1時間以上ベランダで素っ裸でアセンションに向けた日光浴をしている。(瞑想しながら)


日光浴ではなくて、意識的な呼吸を組み合わせた瞑想を太陽を浴びながらやっている。

いきなりやったら危険かもだが、もうこれは2年以上やってるから身体は全然平気になっている。


おかげで不食の方もいい感じだ。ただ、お袋と住んでいて勝手に飯を作られるから毎日茶碗1杯は食っている。

最近は、ほとんど腹が減らないから、ひょっとしたら今は水分だけでも大丈夫な気がする。


毎日、瞑想で太陽から吸収と、自然の中でプラーナ(宇宙エネルギー)を吸収しながら散歩も1時間くらいしているから体内のプラーナの量も以前とは違う感覚がある。

身体の方は、さらにさらに健康になった。


体重は相変わらず痩せてはいるが、肌艶が良くなって、スーパーサイヤ人のように感じるw

実際に、以前プロのキックボクサーだった友人にたまにミットでパンチを受けてもらうが、そいつが「石の拳のようにガッツ!と来る。」って驚く。
(パンチの練習は、全然やってないのにだ。)


今は、健康診断で、何一つ引っかかる項目がない。

このまま行けば、たとえ今後、日本に災害や戦争で、食糧危機が来ても問題ない気がする。


仕事しないで、瞑想、不食、古武術に全振りして、逆に不安要素がドンドン無くなっているw

そん感じかなぁ。







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