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不幸でいるメリット

Hello!


今日もessayを書こうと思います。タイトル通り、不幸でいるメリットについて書きたいと思います。


この「不幸でいるメリット論」、あらゆるメンタルヘルス系やスピリチュアル系やコーチング系Youtuberさん、他メディアで活躍している方々から聞かれることです。曰く、不幸でい続けるのはメリットがあるという論説です。


幸せになるより不幸でいることをあえて選んでいるのには、不幸でいた方が、その人にとってメリットがあるから。私もその説に賛成です。


では、私は今不幸なのか?というと、たぶん不幸ではないです。無職ではあるけれど飢え死にしてないし、雨風をしのげる住む家がある。このnoteを書く気力もある。


では、じゃあ、幸せか?と聞かれたら、はっきりノンと答えると思う。それは、私がまだ私の使命ミッションを見つけてないし、それに向けて歩き出してないから。


そういう意味では幸せではない。では、私にとってこの状態でいることのメリットって何だろうって考えたんです。


それはね、結果が出るのが怖い。努力をしないで済む。ということかなと。


ミッションを見つけたら、当然それに向けて動き出すエネルギーが必要で、もしそれが、相当努力のいるものや才能の必要なものだったら、本当にその他を犠牲にして取り組まなければいけない。


例えば、今から私が女優になりたいと思ったとする。そしたら、日々美容や食事や運動に気をつけて、美しさを保ったり教養を磨いたり、演技はもちのろんで磨かなくてはいけないし、オーデションを受けまくり落ちまくりのメンタルが必要だし、家族の協力も必要だし。もし万が一売れても私生活はなし、バッシングやパパラッチからも逃げ隠れしなくてはならない。すごくエネルギーを必要とする。


そして、取り組んだ結果として才能がないとかで諦めるということも必要になってくる。その諦めるという結論を見るのが怖いのかなと。私の場合。


その人のミッションだったら、自然と出来るし、むしろやらざるを得ない状況に追い込まれるという説はあるし、それで諦めるくらいなら、最初からそれはその人にとって、ミッションというほどのものではなかったということになる。


そして、私は現実を突きつけられる。私なんてミッションという特別な使命を与えられた人間でもなく、そこらの凡人だったと



そういう現実を見るのが怖いのかな。だからいつも天職探しで迷子になってる。そういうからくり。


大体、ミッションミッションって煩い人間に神様は簡単にミッションを与えるようなイメージじゃない。



私の敬愛する宮崎駿、宮沢賢治、ゴッホ、サン=テグジュペリ、坂本龍馬などは、セコく俺のミッションとは?なんて考えてたのかな?むしろなんだかわからないけどやるべきことややりたいと思ったままやってたまでだ、というのが正解のような気がする。


だから、最近私は、構えずリラックスするようにしている。そして日々のかけがえのない日常から偉大なインスピレーションを受け取れるようにしている。


そしたらミッション迷子から抜け出せるかな。。。とか考えてます。


不幸でいることのメリット論、なんとなくイメージわいてきたでしょうか?


私はまた自分は不幸だと思いそうになったら、不幸でいることをメリットは何だろうって考えるようにします。


そしたら、何らかの啓示を神様が与えて下さるかな。


それを受け取れるかどうかはその人次第だけれどね。


では、今日はここまで。


See you next!


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