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手紙小品

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「手紙」が好き。書くのが好き。貰うのも好き。手紙に纏わる些細な日常のお話を集めました。「小品」故、現実とフィクション入り混じっております。
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記事一覧

手紙小品「ひとかけらの勇気 手のひらに花」

拝啓 今年最初のうぐいすは、雨の山の中で出会いました。いえ、姿なんて見えません、声だけ、ホーホケキョって、上手だったんですよ。 慣れたものですからね、何処へだって一人で行きます。蕎麦屋の暖簾も潜れますし、砂浜だって歩きます。何ヘクタールにも及ぶ春の花畑だって、平気に歩いて見せますとも。楽しいですよ、それはそれでね。 だけど、本当にいつも思います。勿体ないなあ~って。こんなに素敵な景色をどうして一人で見ただろうって、いつも思うんです。一緒だったらよかったなあって、いつも思っ

手紙小品「母が云うには」

 文箱が満杯になると、中身を全部取り出して整頓する事にしている。器は大きくしない。貰った手紙やはがきを読み返して、取捨選択する。届けられた手紙一つ一つにはその時の互いの心情がありのまま籠められていて、捨てるには惜しい代物だけど、敢えて択ぶ。  例えば送り主が一番苦しそうな時に書いた手紙だったとして、それを相手が乗り越えたなら、もう保存の必要は無い。  例えばそれが相手にとって最期の手紙となった時、気が済むまで手元に持っていたい。  例えばそれがかわいいかわいい甥姪からの

手紙小品「菜の花、春たゆたう」

拝啓   枝垂桜が春風を受けて、街の喧騒にも束の間の揺らぎを与えています。公園の植え込みでは菜の花が揺蕩います。もう、春なのですね。  昨日は職場のおつかいの帰りに真昼の月を見つけました。得をした気分です。ビルと舗道ばかりのコンクリート街と見えても、実は緑の多い街だと思います。大通りにはずらり大木が並びます。四季の移ろいと共に葉模様を変え、花をつけたり、もうじき風が吹けば若葉がさらさらと鳴るでしょう。車のエンジン音が賑わしくとも、葉の擦れる音が耳に届けばほっとします。木陰に

手紙小品「門出の日 揺れてたんぽぽ」

春風が吹いて 路地のたんぽぽが揺れています 今日卒業するあなたに、精一杯の思いを籠めて送ります。 六年間、毎日顔を合わせられない私には、きっと知らない事がうんとあったと思います。雨の日も、風の日も、心が曇りの日も、きっとあったと思います。 けれどあなたは、あなたらしく、素敵なお姉さんに成長なさいました。 笑顔が素敵です。優しさが素敵です。思いやりに溢れています。あなたの心の温かさが、周りの人の心をたくさん助けて来ました。 これからも好きなことを好きと言い、どんなこと

手紙小品「朝の月」

よく眠れませんでした。届けたい言葉が私の身に内にしんしんと積もって、休もうと思った私を押しのけ、到底去りそうもなかったんです。それで真っ暗なうちに目を覚ましてしまいました。けれどちっとも苦じゃありません。体も随分元気です。枕元も見えない暗がりで、こんな冬の日に、温かい布団に入っているよりも、起きようと思いました。 夕べから積もらせた言葉の数々を、一つ認めてみようと思います。     *****    *****    ***** 手紙を書いて安心した私はふと顔上げて、カ

手紙小品「一筋の光、又はクロワッサン」

 一方的な熱なのかも知れない。  師走に入り、親戚等から御歳暮が届けられる季節が到来したわけで、先方のお心遣いを頂戴した後は、なるだけ当日の内に、遅くとも翌日には礼状を認めることにしている。決め事というよりも手紙好きなものだからそうするのが自然の倣いなのだ。  何度でも語ろう、私は手紙が大のつくほど好物である。書くのが好きだ。貰うのも無論好きだ。自分の言葉で、自分の文字で、相手へ想いを届けるならば手紙が最高の手段と信じて疑わないものである。人類史上最高と謳っても良い。そうか

手紙小品「秋暁の夢」

夢を見たのです。あなたが出てきました。でも、私とは目を合わせてくれないのです。目が覚めて、手紙を書こうと、思いました。それでこうして朝から私は自室に籠り、筆を執っています。秋の朝は、寒いですね。 この季節ならではの澄んだ空の移り変わりが和やかな日々、お変わりなくお過ごしでしょうか。私は元気です。 待ち設けた金木犀が咲いたのです。どんぐりの実に目を丸くしました。秋桜が揺れています。日向で南天の実が赤くなってゆきます。恥ずかしいんでしょうか。しばらく散歩もできずに過ごしており

手紙小品「入道雲背負う夏蔭、アイスの棒落っことした」

 暑中御見舞い申し上げます  毎日飽きもせず太陽が昇りますね。灼けたコンクリ、草履の裏からでも熱気を感じて、私はいつも砂漠のエリマキトカゲを思い出します。  こう暑いとあなたは溶けてしまうんじゃないかと心配します。無事ですか?ちゃんと、と言うのも少し可笑しいですけれど、クーラーの効いたお部屋で寛いでいますか。大事な事です。無理は禁物ですから。  けれど、時には日差しの下へ出てみるのも面白いです。なにしろ夏の空は格別です。あなたはもう大きな入道雲を見ましたか。ひた向きな向日

手紙小品「焼けた空に雲が散る」

冠省  あなたはそのままで居て下さい。誰が何と言おうと、あなたはあなたなのです。誰の思想も、印象も、こじつけも関係ない、ただあなたが自分らしくあって下されば、それが私の幸せです。あなたが今日も笑っていてくれたらいいと願う、朝焼けの空でした。                                                                                                                       

手紙小品「往復書簡」

 手紙があちらとこちらを行ったり来たりする。各々の思い届け届けられては、筆を握った時間に想い馳せ、来し方の暮らしを想像してみる。息災であれば嬉しく、またこちらを気遣う言葉に頬綻ばす。往復書簡とは、一つの夢であり浪漫である。  休日なら、車のヘッドライト連なる夕暮れ時に、仕事の日は、夜更けに帰宅してから。一日一回、家のポストを開けてみる、あの瞬間の心模様をどう表したらいいだろう。はしゃいでいるのでもなくて、うきうき弾んでもいない、だけどどきどきしている。ちょっとだけ、どきどき

手紙小品「手書キ一通便箋三枚封ジ手ハ切手八十四円也」

 チーズケーキの一口目。手紙の書き出し部分を例えるなら、好物の一口目でしょうか。はじめが滑らかに、それでいてぐっと読み手を惹き付けるような文であったなら、受け取った手紙を先へと読み進めるのが一層楽しくなるのではと想像します。私は手紙を書く時、拝啓の後、書き出しの文章に一番頭を使います。頭を使うと云っても難しく考えるのではありません。ここ最近で一番印象的だったことは何だったかな、季節なのか、時間帯なのか、近況なのか、心に残る光景を、ありのまま伝えられる言葉を探して、その上簡潔に

手紙小品「houhokekyou」

拝啓 大空に飛行機雲が幾筋 いつの間にやら若葉山へと姿変えた窓の向こうは今日も麗らかです  あなたに会いたい。そう思いながら何度春を見たでしょう。薄紅色の道を踏み分けて、高い白雲へ、たんぽぽの綿毛と競う様に想い飛ばしてみます。風が吹いては私の視界を淡く染めるのです。ああ、切ない。嬉しいのに、儚くて切ないのです。今年もまた、鶯が鳴き始めました。  鶯は薮の中へ姿隠して囀ります。まだあどけなくて、ホーウホケキョウは何処か調子っ外れ。けれどもその一途さが愛らしいですね。こちらへは

手紙小品「巡り合う春によせて」

拝啓 家のプランターから チューリップがにょきんと顔を出しました 三寒四温を越えれば 愈々春も本番でしょうか  今日は穏やかに晴れました。車の窓から入る風は、頬に触れては心地良く、なんだか無性に懐かしくて面映ゆい気が致します。私の心の何処かに、このほの温かい風に触れては揺れる思い出があるのでしょう。判然とは思い出せないのですけれど、ただ懐かしいのです。こう考えますと、人の記憶と云うものは、面白いものですね。  あなたの胸に、この風はどう響いていますでしょうか。もしも同じよう

手紙小品「空から君に、野には小さな芽吹きを」

前略 雪解け水が野を洗い 草木の芽吹きを感じ始めました  今日は君に送りたい風と、大地と、空を見つけたので、早速手紙を書く事にしました。この間手を振ってまたねと云い合ったばかりなのにと、君は呆れたように笑うんでしょうが、僕はいつだって本気です。楽しい出来事も、面白い景色も、愉快な残像も、みんな君にも届けようと、いつだって思い付いてしまうんです。  昨日は、雨水を迎えたでしょう。もう、そこ迄来たんですね、春は。角のタバコ屋の前を通り過ぎて路地を抜けると、小さな川が在るのを憶