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手紙小品「往復書簡」


 手紙があちらとこちらを行ったり来たりする。各々の思い届け届けられては、筆を握った時間に想い馳せ、来し方の暮らしを想像してみる。息災であれば嬉しく、またこちらを気遣う言葉に頬綻ばす。往復書簡とは、一つの夢であり浪漫である。

 休日なら、車のヘッドライト連なる夕暮れ時に、仕事の日は、夜更けに帰宅してから。一日一回、家のポストを開けてみる、あの瞬間の心模様をどう表したらいいだろう。はしゃいでいるのでもなくて、うきうき弾んでもいない、だけどどきどきしている。ちょっとだけ、どきどきしているのだ。毎日毎日、蓋を開ける迄そこへ何が入っているか分からない。何も入っていない事の方が多いし、期待だって無暗にしないつもりでいるのに、それなのに胸の真ん中で鼓動打つ。矢っ張やっぱり期待しているのかなと分かりやすくとくんと鳴る。私は手紙を書くのが好きだから、人へ気持ちをお届けしたいと思う時、真っ先に選ぶ手段が手紙になる。


 もう数年前の話。新聞の読者投稿欄で手紙の楽しさを語ったのをきっかけに、暫くの間文通をしていた時期がある。相手の方は随分年上の方だった。その方とは、手紙の中で色々な話をした。絵手紙をお描きになられる事、娘さんのこと、御主人がデイサービスに出掛けて居られる間に一息ついて手紙をお書きになられていること、本の事・・・。何より多かったのは、お互いの瞳に映る日常風景だった。草木の成長する姿、季節の少しずつ変化してゆく何気ない日々の移り変わり、そんな些細な事を文に認めて届け合うのが、私はとても楽しかった。


 そんなやりとりをどの位続けていたか、もう忘れてしまったけれど、直筆の自分宛の手紙がポストを開けた時に入っていると、嬉しかった。白封筒に縦書きの一通へ手を伸ばす時の、あの感情の溢れる程の喜び。今日はどんな事が書いてあるだろうと、自室で封を切る時のわくわく。何ものにも代えがたい時間に違いなかった。こうして時を経た今でも懐かしく思い出す。縁側に置いておきたい様なぽかぽかと温かい思い出なのだ。


 今日は誰かからお手紙届くだろうか。もしかしたら、ととびきりの想像してみたり、或いは思いがけない所から送られてきたり、離れて暮らす家族から届けられたり。いつだって、誰から届いても私は嬉しい。届けた思いが伝わったと思うと、またすぐにこちらの気持ちを届けたくなるのだ。なんて楽しい文化だろう。

 手紙があちらとこちらを行ったり来たりする。往復書簡とは、一つの夢であり浪漫であり、日常なのである。


                       令和四年六月・いち

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