ダーちゃんは走る

「こっちの道をいく?それともこっちがいい?」
ダーちゃんと一緒に、彼の小さな幼稚園への道を歩く。他の三歳児が歩かないと思われる距離を、ダーちゃんは駄々をこねる事もなく、いつも気持ちよく歩く。
お弁当を入れた彼のバッグは、私の肩にかかっているから、彼は身軽だ。外に出る時はしっかり防寒具なりに身を包むのが習慣として固定しているダーちゃんは、軽くてあたたかいジャケットに、動きやすいスポーツシューズ、お気に入りの帽子をすっぽりかぶるという姿で、てくてく歩く。彼は愛くるしくハンサムで、ファッショナブルでもあるので、歩きながらも人目を引いているように思うこともある。
彼と私が親子でない事は一目瞭然だ。説明する必要がないのは非常に便利でもある。私は正真正銘、愛くるしい子供をお世話する役得にあずかるマインダーなのだ。
手を引いて道路を横切る。安全のために所々で、私はダーちゃんの小さな手をつかむ。どんなに彼が嫌がっても、三歳児の手は、大人の手の中にすっぽり入る。
小さな手を確認するその時、それは、子供を守るこちらの立場を確認する時でもある。守りたいと思う瞬間が、道路を横切るたびにあるのはステキな事だと思う。交差点や横断歩道は事故も起こりえるし、気を張る場所ではあるけれど、同時に、人が人を大切にする場所とも言える。

タッタッタッタと突然ダーちゃんが私の隣で走り出した。あわてて私も走り出す。スピードが増す。
ダーちゃんは三歳であるのがうそのような速さで、きれいなフォームで走る。平静を装いながら、私は必死に彼の横に位置して走る。
所々狭い歩道を二人で並んで走っているので、その脇を通る車の運転手には、不安がられている気がする。安全の面では、私もかなり気を張る。
うっかりダーちゃんが転んで倒れたとしても、車道につっぷすようなことのないように、私は彼のバッグを体の手前に持って走る。どんなに物分かりの良い子でも、突然、車道の方に飛び出さないとは言い切れない。いざという時は、私とこのバッグがダーちゃんを守るのだ。頼りないような二つではあるけれど、何もないよりはいいに決まっている。
ダーちゃんのバッグの中では、お弁当がガタガタガタと大きな音をたてて揺れている。すでにサンドイッチもフルーツもぐちゃぐちゃなのは間違いない。
「ダーちゃん、ここは歩道が狭いからゆっくりにしよう」
危なっかしいは息が切れるはで、私は何度かダーちゃんにスローダウンを勧める。ぴたっと彼は走るのをやめて歩き出す。よくもこんなに素早くスピードを変えられるものだなと感心しつつ、同時に、助かった、と私は呼吸を整える。ところがまた数メートルも歩かないうちに、ダーッとダーちゃんは走り出す。私も瞬時に走り出す。

彼のお兄ちゃんであるビー君も、三歳の時にもうすでに、いくらでも歩けた。彼らの体のつくりがそうなっているのかもしれないし、歩くことを当たり前とする習慣が、お家にあるのかもしれない。歳の離れた彼らのお兄ちゃんとサッカーをして遊ぶことで、動くことが気持ちいいというのを会得しているのかもしれない。ウォーキングサークルで長距離を歩くことを趣味としている、彼らのおばあちゃんの影響もあるかもしれない。

普段ジョギングなど全くしない私は、三歳のダーちゃんの走りの横で、かなり真剣に走ることとなった。楽しくおしゃべりをする余裕などない。でも、私が必死な姿で走ろうものなら、その横を通り過ぎる車の運転手や歩行者に、危なっかしく思われるかもしれない。私は、カモシカが走る姿を想像しながら、三歳のダーちゃんの横で、軽やかに付き添っているふりをして走った。

走れている自分を不思議に思った。こんな風に走ったのは、大人になってから初めてだ。自分の子供たちと一緒には、遊びながら十メートルも走ると息が切れて、いつもそれ以上、走ることはなかった。自分がこんな距離を走れるとは思ったこともなかった。
ダーちゃんは三歳とは言っても、かなり走るのが早い。疲れた様子も見せない。そのダーちゃんの横で私は、彼の小さな幼稚園までの道を、一緒に走っていた。自分が走れるということ、そしてダーちゃんがしたいように、自由に走らせてあげていること、その両方がうれしかった。

小さな自信が、私の中でささやいたようだった。
以前には無かった力を、今の私は持っているかもしれない。
今は無い力も、これから持ち得るかもしれない。

幼稚園に着くと、まだドアはしっかり閉まっていた。誰の姿もない。ずいぶん早くに到着したので、ダーちゃんとしばらく待つことにする。私は呼吸を整える。
ところが、彼はまた走り出した。小さな幼稚園の前庭にあたるレンガ張りのスペースを、タッタッタッタと勢いよく、円を描くように。彼の中には今、走りたい衝動があふれているに違いない。
別の子供がやってきて、つられるようにダーちゃんと同じ円を描きながら走り出した。すかさずその子のお母さんが、それを止める。狭い所で走ったら危ないのよと注意している。私も止めるべきなのだろうか。でも気持ちよく走っているダーちゃんを、もう少しそのままでいさせてあげたい。そう思ったところで、幼稚園のドアが開いた。
お弁当の入ったバッグをさっと私から受け取ると、息を切らせる様子もなく、静かにダーちゃんは幼稚園に入っていった。
「ダーちゃん、あとで迎えに来るからね」
私の言葉があわててダーちゃんを追いかけた。

車で送られてきた子供たちが次々と幼稚園に入っていく。少し汗ばんでいる私に、吹いている風が気持ちいい。
ダーちゃんは走る。体の中から湧き出るエネルギーで走る。彼の中から生まれる、前向きで健やかな力だ。これからも走らせてあげたい。
誰もが、自分の中から湧き出すそんな力を形にして生きていけたら、人はもっと自然であり、素朴にも幸せに生きられると、私は思う。

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