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導線を描きながら生きていく

いつになったら大人になれるんだろう。
母校の裏門を通り過ぎながら、私は何も変わっていないのにすべては変わってしまっている。高校生のときに別な道を選んでいたら、私はここにいないかもしれない。でももしかしたら別な道を通っても、ここにいるかもしれない。そんな瞬間がある。
世界線の交わる交点がいくつかあって、そのときふとこんな気分になるんだろう。既視感、というのかもしれない。
信号が青になった。裏門の隣にはケーキ屋がある。高校生の時から一度行ってみたいと思いながら、まだ一度もいったことがない。30年以上足を踏み入れない場所だ。住んでいても行ったことのないところのほうが多いことにハッとする。お店でさえこんな調子だから、誰かの家だったり、住宅街などは一度も踏み入れたことのない場所だらけだ。
長い間、同じ道を歩き続けている。車を手に入れて移動できる距離はながくなったけど、それでも、行きたい場所、行ったことない場所は積み上がる一方で、一向に減る気配がない。一生に移動した自分の導線を描いたら、どのくらいの長さになるんだろう。自分の足で歩いた距離、自転車で飛ばした距離、原付、自動車で通り過ぎた街並み、電車や新幹線、飛行機で飛び越えた道のり。行動することが人生だというのであれば、この導線は私のいのちの導線なのかもしれない。歩いて、移動して、そして、出会う誰かと時間を分かち合う。点と線を結び続ける。HOME.家、拠点がどこであっても、一生分の移動距離がその人の人生を現わす。
まいにち、同じ道でも構わない。違う道でも構わない。移動することが生きることで、生きることは移動することだ。立ち止まった時に死は訪れる。

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