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三尺三寸箸に学ぶ

三尺三寸箸というお話がある。


これは仏教説話を元にしたお話しで、簡単に言うと地獄にも極楽にもご馳走があり、それを食べるのに1mくらいある長い箸しか使えず、

・地獄の人たちは自分が食べようとしても、箸が長すぎて口に入らず、ずっと空腹のまま
・極楽の人たちはその長い箸でお互いに食べさせるので、みんなが食べることができる

というお話。

この話で伝えていることは、
自分さえよければいいという思いでは、自分を含めて誰も幸せになれない。
しかし、他者と分かち合い、互いに与え、与えられたりすることで、自分も他者もみんなが幸せになる、ということ。

つまり、
地獄の人たち:自分さえよければいい・奪い合い →誰も幸せになれない
極楽の人たち:分かち合い・与え合い →みんなが幸せになる

という構図。

現実の社会では、なかなか分かち合ったり・与えたりなんていう心の余裕がなくて、とにかく「自分が」という思いで、がむしゃらになっていることも多い。
だけど、遠回りなように見えて、分かち合ったり、与え合ったりした方が結果的に幸せになるというのは、真実だと思う。

なぜなら、「自分さえよければ」とか「奪い合い」という思いでいると、同じような考えの人だったり、現実だったりが集まるようになるからだ。

よく、「この人とはなんとなく波長が合うな」と思うことがあるのと同じように、自分と似た考えを持っている人とは波長が合うのだ。
だから似たような考え方の人たちとSNSで繋がったり、友人になったりする。そして、いつの間にか自分の周囲は、自分と似た考え方の人が多くなっていくし、そういう現実を引き寄せてくるようになるのだ。

また、「蒔いた種は刈り取る」という言葉にあるように、自分が行ったことの結果は自分が受け取ることになる。
つまり、「自分さえよければ」とか「奪い合い」という思いで行動していたら、それ相応の結果を自らが受け取ることになる。

自分が「分かち合いや」「与え合い」という思いでいることで、同じような思いの人たちと一緒になって、その行動の結果を楽しみながら受け取る方が、そういう結果を求めて行動していたわけではなかったとしても、結果的にその人は幸せになっていく。


この説話はそういうことを気付かせてくれる話なんだと思う。


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