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「あんたは誰?」と母が言うので「ああ僕はあなたの子だ」と言ってはみたが

母の痴呆は進んでいる。

僕は実家を離れていて一番上の兄に母のことは任せっきりになってしまっているが、家に帰るたびに兄からは愚痴がこぼれる。

「店に行って勝手にパンを食べてしまう」とか
「庭でいろんなものに火をつけてしまう」などなど。
以前には、階段を頭から落ち救急車で運ばれたと突然電話がかかってきたこともあった。幸い頭や脳には大きな異常はなく、出血はかなりあったものの、切れた所を縫っただけで帰されたが。
でも、病院で会った母はそういうことがあったという認識も持っていなかった。

昨年の3月、父の17回忌だった。父が亡くなってからも母は自転車で畑に出かけ元気で過ごしていたのだが、兄の子供たちが自立して家を離れ、話し相手がいなくなった頃から、だんだんに自分が言ったことを忘れ、同じ話を言ったそばから繰り返して言うようになり、会うたびに何かが欠け落ちていくように何かが忘れられて行った。

89歳。体は丈夫なので元気に過ごしている。ただ、動けるだけに困った問題を引き起こす可能性も高く、介護認定も低いまま。実家に帰っても兄が叱りつけている場面が多く、コロナのこともあって何となく足が遠のいてしまった。

正月に久しぶりに実家に帰ると、冒頭の歌のような状態だった。
「あんたさんは誰でしたか?よくわからんけども、まあ、ごゆっくりしていってください」
と言われ、周りの兄やカミさんも説明してみる、それでもわからない。父の17回忌以来8ヶ月が空いてしまったのが災いしたのだろう。

母を忙しさにかまけて放っておいたことに後悔はあったが、ただ、その時は母に顔を忘れられたこと自体はショックではなかった。予想されたことだったし、そういう時が来たなという感じだった。

ただやはり、時が経つにつれ、なんとなくじわじわと、人が老いていくこと、生きることの切なさ?みたいなものが体のどこか隅っこに積もっていくような感じではある。
それは多分、「自分の存在が親に忘れられた」ことではなく「親というものが我が子の存在を忘れる」ということへの切なさであるような気がしている。

もう一度。
「あんたは誰?」と母が言うので「ああ僕はあなたの子だ」と言ってはみたが

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