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老いらくの恋

例によって遠回りになるが、つまらないことが気になることがあって、ある時「国語辞典の一番最後に挙げられている語は何だろう」と、ふと思った。

五十音の一番最後はご存知のように「ん」。
「ん」から始まる自立語は存在しないわけで、しりとりをしたとき「ん」がつくと負けになるが、辞書には「ん」で始まる語が載せられている。

■『広辞苑』(第4版)では、「ん」に関する項目は次の7項目。

1.「ん」(文字としての説明)
2.「ん」(助動詞)→「む」
3.「ん」(助詞)→例:「僕んち(家)」
4.「ん」(感動詞)→例:「ん、わかる」
5.「んす」(助動詞)→例:「しゃんす」
6.「んず」(助動詞)→「むず」
7.「んとす」(むとす)→例:「終わりなんとす」

当然、助詞、助動詞が基本。恐らく辞書としてはこの辺りが順当な採択語なのだと思うが、一番最後の語は「んとす」だった。「むとす(~しようとする)」である。

■『日本国語大辞典』では、14項目。
鬱陶しいと思うので拾わないが、『広辞苑』の項目の詳しい区分と、「んじゃった」「んだ」などの方言や、口語、俗語の用例が採られている。
さすが『日本国語大辞典』である。
それで、一番最後の語は、やはり「んとす」だった。


『新明解国語辞典』では10項目。
ところが、この辞書は前二者と同様、「んとす」を採ったあとに、「んぼ」をその最後に採っている。「んぼ」は、造語で「ん坊」の短呼と記されている。「甘えんぼ」「さくらんぼ」の「んぼ」である。
やはり『新明解国語辞典』は挑戦的な辞書なのかもしれない。



『新明解国語辞典』の説明がユニークなことはよく話題になる。

例えば【恋愛】は次のように書かれている。

特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

【恋】も似たニュアンス。

①特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときには、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れて不安と焦燥に駆られる心理状態。

なかなか「恋」の強迫性のニュアンスが色濃く具体的に記述されていて面白い。

僕なら、こんなふうに書くか?

異性の間における、互いが未知であるがゆえに生じる美しくも危険な引力

ジェンダーフリーの時代では、もはや「異性」は誤りなのかもしれないが、『新明藍国語辞典』が若者当事者の視点に立っているのに対して、これは「結婚」を経験した者の、やや悔恨を含んだ解釈であるかもしれない。


もはや「恋」など無縁だが、ひょっとすると「老いらくの恋」の可能性もあるかもしれない・・。そこで、【老いらくの恋】を引いてみるが、「老いらく」の項目に「老年の意の雅語的表現」とあって「老いらくの恋」の例が引かれているだけで面白くない。
ちなみに【老人】が何と書かれているか引いてみた。

すでに若さを失った人。たくましさはなくなったが、思慮・経験に富む点で社会的に重んじられるものとされる。

なかなか良いことを言っているが、こう言われてしまうと「老いらくの恋」は無味なものになってしまう。

この「老いらくの恋」というフレーズは、昭和二十年代、当時68歳の歌人川田順が、弟子で二回りも下の人妻との恋愛に落ち、こんな序章を書いて『愛の重荷』という恋歌を送ったことに由来すると言う。

若き日の恋は、はにかみておもてを赤らめ
壮士時の四十歳の恋は、世の中にかれこれ心配れども
墓場に近き老いらくのは怖るる何ものもなし

これを辞書に採るとすれば、

もはや老い先短いゆえに、恥じらいも世間体も何の障壁とならず、怖れることなく突き進んでしまう道なき恋

ということになるだろうか。

斉藤茂吉も52歳で28歳も年下の弟子と恋に落ちたが・・
川田順68歳・・「オレだって、まだ61歳だ」と、そんな勇気も甲斐性もないくせに、ちょっドキドキしてみたいなどと思ってみたりしてみた次第である。



もしご興味あれば、ごらんください。




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