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おソースは不適切か?

「日本語雑話」

唐突ですが、おソースという言葉に違和感を抱きますか?

例えば、おコップ・おスプーン・おラケットには確かな違和感があると考えると、この「おソース」問題は、外来語に「お」という接頭語を付けるか?という問題になるかと思います。
確かにあまり一般的ではありませんが、おビール・おトイレとか、・・おソースなどは夕飯の食卓でお母さんが子どもに言っていそうなことばです。

少し調べてみました。

まず、基本ですので『日本国語大辞典』。「お」の項の補注にはこの接頭語の用いられ方の流れが記されており、その最後には「漢語には『御(ご・ぎょ)』を用い、和語には『お』『おん』が付くのを原則とする」と書かれています。外来語については記載がありません。

公的機関の発行物で調べてみると、文化庁の『国語に関する世論調査』に美化語の問題としておソースも取り上げられていました。平成18年世論調査では「お」を付けるとした人が1.6%(平成8年では3.9%)でした。結構低いですね。一緒に取り上げられている「おビール」はもっと低い値です。しかし、分析はありません。
国立国語研究所『言葉に関する問答集』にも記載はありましたが、一般に外来語には「お」はつきにくいとされるが、あわないと感じる人もいれば気にしない人もいるという内容が書かれているだけです。

美化語ということばから、文化審議会が答申を出して話題になったことを思い出しネットを検索すると、敬語小委員会の「敬語の指針(答申案)」がヒットしました。しかし、やはり外来語と「お」に関する記述はありません。

ただ、この答申案の第1章には「敬語についての考え方」として現代における敬語をどうとらえるかが書かれています。

敬語の使用を固定的に考えるのは適切でないという基本的な考え方のもとに明らかな誤用は避けつつも、人間関係や場の状況に応じた「自己表現」(主体的な選択や判断による表現)であるべきだという指針を示しています。

ことばへの理解が表層的、画一的なものに終わらないために、曖昧さを許容することも必要だということでしょう。

「おビール」問題・・なんてことのない結論ですが、生きているものに対する曖昧さの許容という考え方は素晴らしい考え方だと思いました。

ただやはり生徒に「先生のおジョークは素晴らしい」などと言われたら、それは馬鹿にされているとしか思えません。蹴とばしてやりたくなります。いつか、この子らも「先生、おビールをお注ぎします」などと言う日がやって来るでしょうか?

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