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コロナに関する断想2

コロナで休校状態にあった学校は、5月の半ばから一週間の試験登校を始め、5月の最終週から基本的に日常を取り戻した。しかし、前話で恐れていた通り、一度切れてしまった糸はなかなかつなぐことが難しく、暑さも手伝って、当初3週間くらいは、ほとんどどうしようもないくらいの疲れに体が悲鳴を上げた。サロンパスを毎日貼りまくり、栄養剤を飲みまくり、それで何とか一日をこなすといった体。

部活動も6月から再開されたが、インターハイも全国大会、県予選も中止となり、代替大会が県レベルで設定されたが、大会自体が7月に食い込んだため、受験生にとっては最後まで参加することは厳しく、3人残ったメンバーが、7月23日に試合を終えた。
禍は重なるものらしく、今年は雨が降り続く異常な梅雨で、ここほとんど一か月以上雨が降り続いていた。コロナで、長雨で、期末テストとの重なりで、残った選手も満足な練習ができずに現役生活を終えた。

折しも、カミさんのお母さんが体調を崩し、この6月半ばからカミさんは実家に帰っていたが、7月14日に亡くなった。91歳。特にどこが悪いというわけでもなく、老衰の状態に近かったが、4月に会ったときには、「何だか気力がなくなっちゃてね」と言っていた。

娘二人が嫁ぎ、お父さんとの二人暮らしをしていたが、7年前ほどにお父さんも亡くなり、一人暮らしをしていた。若い時には興銀で働き、詩人の石垣りんが同僚にいたとその様子を教えてくれたりした。穏やかで気遣いに篤い人だった。

介護にかかわってくれた人が「こういうコロナみたいな禍がある時には、ふっと気力が落ちてしまう人が多いのだ」とカミさんに言ったそうだが、確かにそういうこともあるのかもしれない。何だか僕もくたびれてしまった。

義母の葬儀は「家族葬」で行った。義母の姉の息子さん夫妻が僧侶であったため、お経をお願いし、それ以外は通夜はカミさん姉妹夫婦と僕の息子と、わずかの期間ではあったがお世話になった施設の施設長さん、葬儀には、カミさんに従兄が一人加わったが、こじんまりとしたものだった。

今から7年前位だろうか、義父の時も寂しい感じがした。通夜は僕ら姉妹夫婦の4人だけ、葬儀にはもう少し親族が集まったが、もう亡くなっているとか、高齢、病気でとても参列ができないとのことだった。義父は大蔵省に勤務していたが退職後すでに20年以上が経過し、職場の人とのつながりも消えていた。

「高齢化社会の寂しさ」と僕が口にすると、カミさんは「でも、母とは一か月ちゃんと話をし、自分としては温かい見送りができたと考えている」とのことだった。そう、確かにそういう意味ではこうした葬儀の在り方も、単なる「儀礼」に過ぎないものよりは価値のあるかたちなのだと思う。

ただ、「死の共同性」という意味においては、僕には「死が小さくなった」という思いがないでもない。例えば僕の父は葬式を業者の運営するホールではなく、自分の家から出すように遺言した。
田舎だからオジイチャンやオバアチャンの時もそうだったが、家の前に花輪が並べられ、朝から組内の人たちが集まって葬儀の準備や「ふるまい」を作ったり、通夜や葬儀の受付をしたり、葬列を組み集落を一周しながらお寺まで行き、読経を聞いたりなど、「死」の儀礼に関する大部分を共に過ごす。

だから、そこには当然「あの人は亡くなったんだ」という共通認識ができる。都会ではありがちな、隣の家でなくなった人があっても、言われるまで1年も気づかなかったとか、孤独死とか、そういうことはない。
死は「共同性」における出来事なのである。それによって、人は「死」を体験し、ある意味では「死」に馴れ、自分の死がどうやって扱われて行くのかを知る。「死」は理解され、受け継がれていったのである。

いつか商業主義がそれを壊したと書いたかもしれない。しかし、もっと根底には、「他人に迷惑を掛けたくない」という心理にそれは裏打ちされている、それらの同時並行の出来事だったと言った方が正しいかもしれない。

それは謙譲の精神かもしれない。あるいは共同性の重くのしかかる関係性から離脱したい思いゆえでもあるかもしれない。いずれにしても、それを代行してくれるサービスが商品として登場し、人の手を煩わせず済むものであると気付いた時に一気に心の軸が動いたという感じであろうか。

さすれば、単なる「儀礼」はマイナスなものとして姿を消していくのは当然のことだったかもしれない。しかし、そのことで確実に残すべき共同の「儀礼」としての形や意味も消失し、「死」は共同性から離脱していく。それが「解放」であるのかは、今の僕にはわからない。

義母の葬儀のために二日休んで職場に戻っても、「大変でした」と声をかけてくれるのは2,3人だけ。休んだ分の、いや心理的にはそれ以上の仕事が山積みされて、葬儀の翌日も夜の9時まで帰れない。
自分の父が死んだときは、入試と重なり忙しい時期であったが、葬儀まで2日の間があったため、職場に行くと、「親が死んだのに職場に来る奴がいるか」と追い返された。今はそんな関係も成立しない。

カミさんの言うように「死の個別化」は却って単なる「儀礼」から脱却した家族としての温かい時間でありながら、それはすでにかつての「儀礼」の意味を失い、共同の出来事ではなくなっている、そんな思いも強く胸によぎった。

人間の関係性とは難しい。そんなことをコロナは再検証させようとしているような気もしてならない。


ソーシャルディスタンス・ステイホーム・3密を避ける・ウエブ会議・映像・オンライン授業・子供は外で遊ばない・・。大学生は4月からずっとオンラインの講義で、実際に大学に通っている学生は少ない。それでは出会いも、恋も生まれなかろう。

顔を出した卒業生は口をそろえて言うが、オンライン授業はまったく聞く気になれないらしい。高校でも映像授業を作って発信したが、やはり聞く気になれないと言う。「寝ちゃう」らしい。特に手元の問題や文章の解説をする授業は不評で、「それでも先生が映っている授業はまだ聞ける」と言う。そうすると、人と人が対面して実際にキャッチボールしている状態が人間にとって、やっぱり必要なんだと思えてちょっと安心したりもした。 

 
毎日毎日、コロナの感染者は増え続けている。東京は一日の感染者が500人台に突入しそうな勢いで、もはや200人台が、「今日は少なかった」と思ってしまうほどである。コロナはまだまだ猛威を振るうだろう。
僕らは試されている。「神」がいるなら、僕らは「神」に何を試されているのだろう、と思う。(2020.8.no220)


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