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第2話:テレビ雑感

これは随分昔、まだ20代の頃に書いた話なので、そのつもりでお読みいただきたい。「宮崎緑」と聞いて分かる方がどれだけいるだろう?

一人暮らしをしていた頃の話である。別に一人暮らしということにさしたる感慨があるわけでもなかったが、よほど無能な顔付きをしていたようで、「毎晩一人で何をしているの」と、人からよく聞かれた。

よく考えるとこれほど迷惑な質問もないのであって、取り立てて人に言えるようなことをしていたわけでもないのだが、それでも夜が来て朝が来たわけだから僕は僕なりに何かして過ごしていたのだろうと思う。

昨今であれば若者はスマホと向き合って時間を潰すのであろうが、僕らの若い頃にはスマホなどなかった。とりあえずテレビでも見ていると言うのが手っ取り早い答えだったが、そういうごく普通の受け答えが見栄にも出来なかったのは、10年弱の一人暮らしの間、僕にはテレビがなかったからである。

そう言えば、大学に入った年に松田聖子がデビューしたが、大晦日に帰省して紅白を観るまでその存在を知らずにいた。


しかし「ない」という状態は無精な僕には甚だ具合がよく、おかげで学生時代には、テレビドラマの話題に付き合う面倒からも免れることができたし、ちょっと飛躍するが、服も2、3着しかなかったので何を着て行こうなどと心配することもなかった。
また金もたいしてあった方ではなかったので、休日の混雑した店で、あれが欲しい、これが欲しい、と迷うこともなかったのである。

「お前には夢がない」とか「お前の恰好には季節感が無い」などとよく友人は忠告してくれたが、まさか夢とはそんなけったいなものでもあるまいと思っていた。
学食のメシを2回食べ、寒くなると友人のくれたコートや学生服を引っ張り出しては着、夜は机の前で本を読んだりボーッとしていたりすれば、それでよかったのである。


僕がテレビを持ったのは就職してしばらく経った頃のことであるが、買ったわけではなく、無能な弟のためには自動車でもステレオでもポンとくれる兄貴がやはりくれていったのである。

ところがこのテレビ、なかなかの性能で、白黒の上に、使い始めて少し経つとチャンネルがむしれてしまい、以来ドライバーを突っ込んでチャンネルをかえなければならなかったし、隣の家で掃除機がかかると画面がジリジリしたりもした。

しかしそれでも、つれづれな夜は吉永小百合とフーテンの寅さんの会話や、ニュースセンター9時の宮崎緑の笑顔をテレビの前に座ってほのぼのと楽しんだものだった。

ところがテレビは暫くして見ることができなくなった。

正確に言うと、テレビはあったのだがコードをはさみで切ってしまったので画像が映らなくなったのである。何故そんなことをしたのか、はっきりとした理由もないのだが、強いて言うならば、僕は僕なりに「ない」という状態が恋しくなったのだろうと思う。

テレビがなくなって何か変わったかと考えてみると、さしあたって重大な変化があったわけでもない。ただ季節柄、庭のムグラの陰からチンチロと虫の音が聞こえて来るのはなかなかいい。リンリンと鈴虫の声もしたりする。要するにちょっとrichな気分なのだった。

「何をしているの」と聞かれても、相変わらずボーッとしているとしか答えようもないのだが、それは全く僕の勝手だと思えることが、ささやかな僕の贅沢であったのかもしれない。


ありきたりなことを言えば「ある」ことは「ない」ことに勝る。お金も愛もあった方がいいに違いない。
でも、「ある」ことに縛られれば失われるものもある。高校生の分際でお年玉を10万円以上もらっていると言う生徒がいたが、それはやがてとんでもない欠落を招く恐れがあるので、僕に5万円ほど寄付すべきだろう。

さらに詭弁を弄すなら、「ある」という状態が疑問を生まないのに対し、お金もテレビも能力も「ない」ことは、そこに「なぜ」という疑問を否応なく生じさせる。「僕に彼女がいないのはなぜだろう」という自分への問いかけは彼女のいる人には生まれ得ない。
さすれば、「ない」ことの中に初めて「問」は生まれるのであって、したがって「ない」ことによって、人は人間の意味や自由について考える余白を与えられるのだとも言えなくもない。

とんだ詭弁と思われるに方も多かろうが、「ない」ことを知っている人の方が深くて優しいのはほとんど疑いのない事実である。

真に問うための能力は実は無能にある。

面と向かってはなかなか言えないので、この素晴らしい逆説が、実は金もなく、能もない僕こそが、最も「根本」に近いことを証明しているのだと、僕をグータラ亭主だと主張するカミさんに、この場を借りてこっそり訴えてみたい。 

(土竜のひとり言:第2話)

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