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奇跡の日<夫婦世界一周紀89日目>

どうしてもケイコさんに会いたかった僕は、宿が廃墟と化しているのを見届けたその日からあらゆる手を使って消息を探していた。近所の店に入れば必ずケイコさんという人に会ったことがないか訪ねたし、ネットも駆使した。

そのおかげで、どうやらケイコさんはオレンジ農家を破産して家を手放したということは分かっていた。そして、破産手続きの裁判の内容から、少なくとも昨年の時点では夫のバッサンさんとともに存命だということも。

ホワイトページという名のサイトには、裁判などで公にされた情報が集約されていて、アルファベットで入力をすればいろんな情報を見つけることができた。家族構成も、住所も、電話番号も。だが、そう簡単にはケイコさんの元には辿り着かないのだった。

住所を見つけてはそれが私書箱の場所だったことに落胆し、電話番号を見つけては全ての電話が音信不通でまたもや落胆した。あと少しの場所まで手が届いているのに、最後の一歩が届かないような、そんなもどかしさをずっと感じていた。

今日も朝からケイコさんのネットを調べていて、ふと、keiko mailと調べてみることにした。すると、今まで出ていたホワイトページとは別のサイトがヒットし、そこにはおなじみの名前や家族構成の他に、3件のメールアドレスが記載されていた。

これが最後のチャンスかもしれない。祈る思いで筆を取り、九年前に宿に泊まった日本人であること、ご飯を食べさせてもらったこと、今ハワイにいて、できればお礼を言いたいことを書き、念押しで九年前に作ったハワイの動画のURLを貼り付けた。そこにはケイコさんがピアノを弾いている映像が写っていたのだ。

呼吸を整えて、一つ一つのアドレスに送信ボタンを押す。最初に送ったメールはものの数秒で送り返されてきた。もう使われていなかったのだ。最後に送ったのは、Hotmailだった。懐かしい、中学生の時はHotmailユーザーはいっぱいいたなと思いながらボタンを押すと、数分たっても送り返される様子はなかった。確認されるかどうかは別として、土俵には乗ったわけだ。

ビーチの近くで蚤の市がやっているらしい。バタバタとした気持ちのまま外出したものの、味はするようなしないような、浮ついた感じのままだった。このまま連絡が来なければ僕はずっとこんな気持ちのまま旅を続ける羽目になるのだろうか。

日がくれる少し前に家に帰り、Wi-Fiを繋げると、新着メッセージが一件あった。

夫のバッサンからのメッセージだった。

そこには、僕のことを覚えているということ。できればこの電話番号に電話してほしいと書かれていた。慌てて国際電話を繋げてみる。九年ぶりに聞いたケイコさんの声は、思った以上に元気で、むしろ記憶よりも若かった。

「ナイスガイになったんでしょ。会いたいわ」

ケイコさんは僕がハワイに行ったあと、大学に入ったことも、会社に勤めたことも、結婚したことも、世界旅行していることも知らない。話したいことが山ほどあるようだった。

明後日にコナのデニーズで会うことを約束して、電話を切った。ずっと心臓が鳴っていた。

住所も電話番号も分からない人を見つけ出して、会うことができる。

旅がもたらしてくれる不思議な力や、このハワイ島という地の持つ力を改めて感じた瞬間だった。ひょっとしたらこの為に僕は旅をしていたのかもしれないし、旅の意味はここに終着するのかもしれないと。

フウロは良かったね、良かったね。としきりに言ってくれた。僕の旅の目的も、そして、フウロの旅の目的も。これで両方叶うことになるのだ。僕たちは見えない何かによって導かれて、いい方向へと連れて行ってもらっているのかもしれない。周りに見えている自然も、幻想的な夕空も、全て僕たちのことを祝福してくれているように思えた。

この日まで僕たちの世界一周旅行における序章だったということは、まだ知る由もなかった。

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外に出ることが出来ない今、旅をできること自体に価値が生まれつつあります。僕たちが見てまわった世界はもうないかもしれないけれど、僕らが家にいる時にも世界は存在していて、今日もトゥヴァだってニウエだってある。いつか全てが終わった時に、あそこに行きたいと思ってくれる人が一人でも増えたらいいなと思って、価格を改訂しました。 無料で公開したかったのですが有料マガジンを変更することが出来なかったので、最安値の100円に設定しています。

2018年8月19日から12月9日までの114日間。 5大陸11カ国を巡る夫婦世界一周旅行。 その日、何を思っていたかを一年後に毎日連載し…

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