サウスポイントの夕日<夫婦世界一周紀89日目>
音のない静かな朝だった。7時になってもあたりはしんと静まり返り、濃い湿気が立ち込めていた。
携帯の通知は、そのせいか、存在感のある音で僕とフウロの間で鳴った。
フウロの妹からだった。
大事な話があります。
その文面をみた瞬間に、僕もフウロも何かを悟った。今まで僕たちの方から連絡をすることはあっても、家族から連絡が来ることは多くはなかったし、要件を伏せたその文面はこれからもたらされる不吉な知らせを予期しているとしか思えなかったからだ。
旅に行くときに、母親に言われたことがある。
「もし家族の誰かが死んでも、帰国するまでは言わないからね。」
世界一周するということは、長期間日本から離れるということ。旅の楽しい側面ばかりを考えていた僕に、母の言ったことは強く刺さった。
それから、心の準備だけではあるけれども、母親とも、父親とも、祖母ともこれが今生のお別れであってもいいという覚悟を持って出発した。
覚悟は出来ていたのだ。
しかし、その知らせは家族の不幸ではなかった。
僕とフウロが大切に育てていたアヒルのうーちゃんの突然の死だった。
電話越しでも十分すぎるほど沈んでいるフウロの母親と妹の声を聞いた瞬間に、僕もフウロもすべきことは分かっていた。旅に出ている間大切に世話をしてくれていたフウロの家族が一番辛いに違いない。事実、突発的な事故では無かった。いきなり、眠るように死んでしまったのだという。
しょうがないんです。鳥は突然死んでしまうことがあるんです。
うわごとのようになんども繰り返して、長くて重たい電話を切った。
しんとした寝室でフウロと目をかわし、いつまでも泣いた。
・・・
うーちゃんを家に招いたのは、まだ結婚する前の2014年のことだった。
ある日ホームセンターに3羽のアヒルの子供が売られているのを見つけた僕は、仕事から帰ってきたフウロにそのことを伝えた。翌日フウロが見に行き、その二日後にはうーちゃんは家にやってきた。
「うーちゃんとだけしっかり目が合ったの」
大人しそうに見えたそのアヒルは、数ヶ月もたつとやんちゃな子に育った。
キャンプにも行ったし、お祭りも見たし、花火もやった。披露宴の時にも一緒だった。うーちゃんは僕たちの結婚生活そのもののような存在だった。
・・・
麦わら帽子のことがずっと頭に浮かんでいた。タイでお土産に買った、小さな小さな帽子だ。うーちゃんにぴったりのサイズだった。
僕たちは、世界一周を達成することと同じくらい、世界一周を終えてうーちゃんと再会することを楽しみにしていた。これまでいろんな我慢を強いてきたぶんの恩返しは、旅行後にしか出来ない。うーちゃんの相棒を新たに招くことも考えていたし、いっぱいご馳走を食べさせてあげたかった。
帰国まで、あとたった20日。
神様はどうしてこんなに無情なのだろうと思った。
そして、はたと気付いた。
違うのだ。僕たちは運が良すぎたのだ。
昨日までの自分たちが歩んできた毎日のことを思い起こした。
ロシア・トゥヴァ・タイ・スリランカ・スペイン・ポルトガル・モロッコ・アメリカ・ハワイ。
僕たちが当たり前のように過ごしていたのは、本当に何気ない1日だったのだろうか。
1ミリずれたら死んでいたということが無かっただろうか。
ああそういうことか。
世界一周を叶える、本当に夢を叶えるということは、こういうことなのか。
大きすぎる夢に、犠牲のない夢なんてないのだ。
その犠牲と同じくらいのものを、僕はもう持ってしまっていた。
・・・
明日にはケイコさんとの再会がある。
なんて因果なのだろうと思った。
きっとその日を被らせなかったのは、うーちゃんの想いなのだろう。
僕たちは絶対にケイコさんと会わなければならないし、旅も続けなければならない。
それが僕たちの選んだ道だからだ。
僕たちはサウスポイントの夕日を見に行くことにした。
九年前僕が果たせなかった、その光景を目に焼き付けるために。
サウスポイントは数日前とは見え方が違った。
何もかもを知っているように思えたし、受け入れてくれるようにも思える。
空には雲がふわふわと浮いていて、僕とフウロにはいくつもの雲がうーちゃんの形をしていた。
不思議なことが起きようと、もう驚かなかった。
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ものづくり夫婦世界一周紀
2018年8月19日から12月9日までの114日間。 5大陸11カ国を巡る夫婦世界一周旅行。 その日、何を思っていたかを一年後に毎日連載し…
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