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安心安全をひとりでつくるのはしんどい

私は16日に日本に帰る。

最初は「日本に帰るんだ」と思っていたけれど、最近少し違っている気がしてきた。

「自分の居場所に帰る」というのが一番しっくりくる。
それは即ち、私にとっては彼氏の居るところ。
(大のろけにならないように気を付けながら書きますね。。。。)

2ヶ月カンボジアで生活してみて感じたのは、

安心安全はひとりでもつくれるけど、誰かと一緒の居場所・コミュニティがあるほうが選択肢が広がるなあということ。


安心安全をひとりでつくるのはしんどい

日本を飛び出した時の私は、とにかく色んなことに焦っていた。

それまで当たり前だと思っていた安心安全は、別に当たり前じゃないんだと気づく出来事があったからだった。

早く自立して生きるための力をつけなくちゃ。早く色んな経験をして人間力を養わなきゃ。早く。早く。


そして、当たり前の日々がなくなる前に、自分で安心安全を作り出せる人間にならなきゃいけないと焦っていた。

その思い込みは半分は合っていたけれど、半分は間違っていた。


合っていたのは、自分の心の持ちようとして、安心安全を作り出す方法が分かっている人間になるという部分。
自分のご機嫌の取り方とか、自分の捉え方で見えている世界が変わることとか。


間違っていたのは、自分が安心安全を作り出せさえすれば大丈夫だということ。

人って結局、人との関わりの中で生きてる。
「自分さえ安心安全、自分のみ信用できる」で生きるのは結構しんどいなって思った。


バリアを張って独りで生きるか、他者を信じてみるか


例えば、私はカンボジアに来て最初の頃、誰も何も信用できなかった。

カフェでトイレに行く時も、毎回全ての荷物を持ち歩かないと怖かった。
シェアキッチンにキッチン用具を置きっぱなしたら盗まれるんじゃないかと疑った。
トゥクトゥクは目的地に連れて行かないんじゃないかと常にマップを見ながら乗っていた。


なんなら、目に映る全ての人が怖く見えたくらいだ。

食べ物もそう。
信用できるのはスーパーで買った、綺麗に包装された袋から出てくる味気の無いコーンフレークとミネラルウォーター。


でも、こうやってバリアを張って生き続けるのはしんどかった。


だから、少しずつバリアを解いていった。

今ではローカルの市場のご飯も食べられるし、カフェで貴重品以外を置いてトイレにも行ける。


「それでダメなら、その時はその時」

これは、私がバリアを解くときの魔法の言葉。


だって私は、例え騙されたってやっぱり信じていたい。
世界はそんなに悪いところじゃないって信じていたい。


バリアを張り続けて孤軍奮闘するよりも、他者を信じるほうができること・選択肢が広がる。
それを身を以って知った。

他者を信じているほうが、私はより自由でいられる。


約束された関係ではないけれど

居場所の話に少し戻る。

4年半付き合っても一向にプロポーズもしない彼氏なので、この先どうなるのかは分からない。
というか、例え結婚したからといって別れが来ないとも限らない。


そんな曖昧なものに? と思う人も居ると思うけど、どんな関係だって実は案外曖昧なんだと思う。

そして、だからこそ大切にするんだと思う。

関係性については前述のとおりではあるが、
どんなお互いのことでも認め合える、バリア0の他者が居ること・そういう居場所があることの安心感は尊い。

バリア100の場所で過ごしたからこそ、その有難みが余計に分かった。


安心安全はひとりでもつくれる。

でも、ひとりが好きな私でも、誰かとの居場所があるほうがスケールするから楽しいし自由だなと思った。

他者と関わることは時に苦痛を伴うし大変なことでもあるけど、やめたくない。


「それでダメなら、その時はその時」

これからも、いろんな場所にいろんな人との居場所が築けたら最高だな。

ご清聴、ありがとうございました。

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