見出し画像

イビくんの認識相乗実験に関する結果報告と個人的なポートレート 【EVYシリーズ】

1.経緯
 イビくん。
 これは呼びかけではなく確認である。
 イビくんは、自らの実体の存在を疑っていた。
 たとえば、林檎を手にして、齧る。林檎を齧った形跡は残るが、「林檎を齧った自分」はもうそこには存在しない。林檎を齧っている様子を写真や動画で撮影したものを見せられたとしても、それは「写真や動画を見ているイビくん」と同一ではない。
 あるいは、鏡を見つめながら林檎を齧ったとしても、「鏡を見ているイビくん」を見ることはできない。「鏡を見ながら林檎を齧っているイビくん」と「それを確認したイビくん」は同時にその場に存在しない。
 つまり、イビくんはヒュームの唱えた「知覚の束」が己自身の正体で、実体など存在しないのではないか、という懐疑を長年抱いていた。それを振り払うことが出来なかった。
 毛糸の束がほどけるようにばらばらになるイビくんの知覚。その一本一本の、どれが自分なのか。または、どれもが自分であれば、個と定義される自分とはなんなのか。
 イビくんは、旧友である認知心理学と人体工学を専門とするイビくんのもとを訪れた。彼は数年前、イビくんや他の旧友たちとの酒の席で、少しばかり口を滑らせた。
 滑らせたといっても、無論機密に相当する仕事内容の詳細までを話したわけではない。近頃何をしているのか、と尋ねられて、人間の認識、自己存在の定義に関する研究をしている、と端的に説明しただけだ。
 イビくんの記憶には、そのことが強く印象づけられていた。
 イビくんは、毎週月曜日のメンタルクリニックで、担当医の無表情を見、変わらない言葉を繰り返し聞き、効果があるのか実感のわかない薬を受け取ることに、ついに嫌気がさした。
 イビくんはイビくんにしぶとくコンタクトを試み、大学病院を通じて交渉を重ね、倫理機構に申請し、長い待機時間を経て、公的に認識相乗実験(以下、本実験)の被験者となる段まで漕ぎ着いた。
 本実験は試験段階であり、ラットを使用して数回実施されたものの、人体における実施は未だ見送られていた。
 本実験は、個人の認識にいわば相乗りする形で、その人物の主体性を同時体験する実験であった。

2.結果
 イビくんはいま、この文章を書いている。
 イビくんはいま、この文章を読んでいる。

3.考察
 本実験では、当該研究者本人と、イビくんの主観的認識を完全に並列化した。
 実験中、イビくんは実験室の中央に立ち、林檎を右手に持ち、一口齧った。
 実験時間は約5秒間であった。アイデンティティ保護委員会の合議において許可された認識相乗実時間は7.5秒間であり、規定の範囲内であった。
 結論を述べると、実験後の両者に自我同一性の保持困難という深刻な後遺症が確認された。
 実験後、「あなたは誰ですか?」という質問に対し、実験者は「イビくんである」、被験者は「イビくんである」と答えた。
 総評として、本実験を実施すること自体が本質的に誤りであった。本実験の目的である「イビくんの実体を主観的認識において確認する」ことはできなかった。また、二人の人間の自我同一性を徒に攪拌させる結果となった。
 イビくんは、この事実を非常に重く受け止める。今後、本実験を含めた認識並列化に関する研究を凍結し、イビくんとイビくんとの再差異化を至急検討すべきだと考えられる。
 イビくんはイビくんを救うことができなかったことに強い後悔を示しており、この感情の波形からイビくんとの差異を見出せるのではないかと思われる。しかし、認識上同一状態にあるイビくんのノイズが激しく、波形の完全再現には時間を要するであろう。
 イビくんは「生涯をかけてイビくんをイビくんに戻したい」と述べたが、イビくんは毛糸の束がほどけるようにばらばらになる知覚。その一本一本の、どれが自分なのか。または、どれもが自分であれば、個と定義される自分とはなんなのか。それを確認すること、すなわち実験の再実施に強い願望と執着を示している。

補足
 最後に、実験前のイビくんのメッセージをここに書き留める。
「私がどこにいても、何をしていても、私は私だ。それだけは忘れないように。」
 このメッセージに対し、イビくんの現状の認識では、「私」を定義することができず、思考回路は膠着状態に陥っている。
 しかしながら字義的な意味を以って表現するとしたら、イビくんにこう伝えたい。私事に巻き込んですまなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?