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唯一絶対なる存在の確信にいたるまでのキソ的展望 【EVYシリーズ2】

添付ファイル - 『イビくんの認識相乗実験に関する結果報告と個人的なポートレート』


 キソ。
 私の名だ。本稿に添付した兄の研究報告レポート──正確には、兄の旧友であり、我が師でもあるナガラさんが兄に宛てて書いたポートレート……これも今のところ正確な表現ではない……──の内容と混同する恐れがあるので、確認のために記す。

 キソという音は、基礎とも書き表せる。私は自分の名前と、私自身のことをまずまず肯定的に捉えている。
 そして、自己とは何かという根源的な問いに対しても、「現実的」なバッファスケール(刹那的一定記憶範囲)で答えることができる。つまり、社会通念上の解釈や浮上した無意識を穿つことなく、「世界の肉」として開花した矛盾を直視せず、枯れた日常に埋没できる。

 言うなれば、ハレ(フェスティバルや記念日)のために存在するケ(退屈な反復生活や膨大な下準備)を喜んで甘受する、そのダイナミクスに身を任せる人間の一人だ。
 これは特異でもなく、正常でもなく、普遍的な意識の在り方だと認識している。

 だが、兄・イビには自己というものが分からなかった。理屈を理解できなかったのではない。提唱された仮説に、意識と認識との間で衝突する撞着に、「納得いかなかった」のではないかと、私は考える。
 自己の真実など、なあなあに誤魔化して、脆さを自覚するなら尚更、平穏無事に日々を生きることは出来なかったのか。
 出来なかったのだ、あの兄には。

 兄とは、ひと回り以上年が離れている。ゆえに、幼少期に共に無邪気にはしゃいで遊ぶといった機会はそう多くなかった。兄も私も決して陽気な性格ではなかったことも無関係ではなかろうが、きょうだい仲が悪かったわけでもない。特別何事もなく一緒に暮らしていた。
 私に関しては、外向性についてだけ言えば兄より高いほうだと自己解釈している(でなければ他者の心理研究をライフワークにまでするまい)。これはきょうだいゆえに明かすことができる率直な意見であり、決して兄やその他の内向的な人を悪し様にするつもりではないことを承知願いたい。

 しかし、少なくとも私の主体は、児童・発達心理学上、人間関係の形成に重要な「遊び」という観点で、あたたかな経験と記憶の蓄積によって兄へのシンパシーや情緒的に深い理解を獲得することは出来なかった。
 光の砂時計は握りしめていたが、砂粒が降り積もることはなかった。
 だから私は科学的に兄について考察するしかない。こう書くと悲観的な態度にみえるかもしれない。することができる、と言うべきか。

 セルフ・コンシステントの亡霊。

 とでも呼べそうな兄を納得させられるのは、「主観的認識において自己の実体を確認すること」で得られる情報のみである。

 唯一絶対の自己を確信する術。
 兄と、今は兄と自我同一性を共有し、混沌とした意識マトリクスのなかに居る(私は、居ると信じている)師・ナガラさんのためにも、これを追究していきたい。

 ところで、「個」の認識概念について興味深いアプローチを行なっている表現集団、〈GHOST with HUMAN 8910〉(以下、GwH)が本邦にて初ライブを行う。単独ライブではなく、都内で開催される年末のカウントダウンフェスティバルに参加する一員とのことだ。
 私は、緊急招集されたスタッフの一人として、現地に向かうことになっている。

 なんでも、GwHのメンバーが本邦のコンビニエンスストアに行きたいらしい。彼らの外見は、さながらハロウィンの仮装といった類のもので、不審人物による迷惑行為とみなされてパトカーを無駄に出動させないための「現実的」な付き添い人が必要とのことだ。
 駄目元で尋ねてみたが、やはり仮装の解除は不可能だという。曰く、「あなたは身体の、特に顔の表皮を剥げと言われて快諾できますか?」 そういうことらしい。
 設定の込んだアーティストは不自由なものだと正直思ったが、サルトル風の「自由の刑」から彼らなりに逃れようとしているのかもしれない。なんにせよ、SSDの内蔵ストレージは嫌味より考察で埋めるほうが有意義だろう。GwHの皆さん、私なりの意趣返しだ。

 やや話が脱線した。
 GwH専属の臨時スタッフに、という話だ。
 確かに、私は仕事柄首都に滞在することも少なくはない。通訳もできる。やるべきことも把握している。

 おそらく全日程終了後の自由行動中に、ということだろう。一般市民の混乱やファンとの接触を避け、近所迷惑にならない経路や時間帯を計算してGwHのメンバー二名をコンビニエンスストアへ誘導する。予め該当の店舗に許諾と協力を要請しておく。彼らの用が済んだら速やかに撤退を促し、後の動きも関係者らと連携を図る。その辺りの調整も出来るだろう。そういった「あやとり」を日々の飯の種にしているようなものだ。

 他にも、もし現場で不足する物資がある場合や、万が一、本国に緊急連絡を入れなくてはならない不測の事態に備えても、「現実的」に対処・行動できるスタッフを同伴させるという判断に異論を挟む余地はない。積極的にそうすべきである。

 ……だが、本当に私はコンビニエンスストアに付き添うためだけに呼ばれたのだろうか。
 他の誰でもなく私が。
 否。断じて否。
 このファイルが後々、氏やナガラさんの目にも留まることを承知で、あえて書き残す。

 私は、サファイア・ゴースト氏と一度だけ直に対面したことがある。

 当時、人体工学科の研究主任であったナガラさんは、ゴースト氏との非公式の会合に際して、修士論文に悪戦苦闘していた私に「気分転換に同席しないか」と声をかけてくれた。
 今でこそ「統合した個別の自我の再差異化」へのアプローチのため知識を得ているが、音楽方面に不勉強な私は、当時発足したてのGwHの楽曲をまともに聴いたこともなかったし、加えて、ゴースト氏は普段から徹底して人前に直接姿を見せない謎の人物と聞き及んでいた。
 それがいかなる天の気まぐれか、私はそのひととナガラさんが談話する様子を、間近で観ていた。

 サファイア・ゴースト氏が、僅かながらに微笑んでいたことを憶えている。
 憶えている。あまりに現実的な光景。
 ひっそりとした構内の白壁。応接室の少々こもった空気、ゴンバッティー文様の絨毯と、窓から差し込む日光によって浮かび上がる塵の煌めき。年季の入った壁掛け時計、確かな秒針の動き。紅茶にミルクと砂糖を入れ、スプーンが陶器に触れる音。
 間違いなく現実だった。それなのに、まるでリアリティのない仮想空間に居たような奇妙な感覚も。

 何を話していたのか、私にはわからない。とりとめのない世間話のようだったが、レトリックによって暗号のやりとりをしていたのかもしれない。私のような者が立ち会うからには、おそらくそうだったのだろう。

 そういえば、あの時、ナガラさんが何か言い淀んだ様子をみせた。話し合いを終え、裏口に駐車した黒いヴェルヴェッツに乗り込むゴースト氏を見送った、あの場で。
 いつも鋤を鋤と呼ぶナガラさんにしては珍しい挙動だったので、不思議に思ったのだ。出てくる。出てくる。記憶が芋づる式に貯蔵庫の奥から出てくる。
 確か、こう言っていた。

「キミは、自分では気付いていないかもしれないが……」

 あの言葉の真意は未だに掴めない。今の今まで忘れていたのだから当然と言えよう。

 あれから数年経つ。
 ナガラさんの教え子かつ、例の実験の当事者に最も近い関係で研究室を引き継いだ私に、GwHの所属事務所トイ・メイカーズから唐突な連絡が舞い込んだのはつい先日のことだ。

 挨拶もそこそこに事務員が「本人が“特殊回線で直接そちらにお繋ぎしたい”と」と告げた時は、勿論驚いた。
 だが、その直後ゴースト氏から持ちかけられた仕事内容にもさらに倍は驚いた。

 ゴースト氏が「あのような重要事項」を私に知らせたことで、私も、ナガラさんと兄の件を伝えようかと一瞬迷った。
 だが、まずあれは、いかにナガラさんとゴースト氏が研究内容を共有するほどの間柄だからといって、我々の医療と科学の信用が地の底へ落ちる極秘の実験であったこと。また、大規模なイベントを控えたアーティストにイレギュラーな動揺を与えることは望ましくないと判断したことから、師は息災だが、火急の用でしばらくは接触できない、と嘘を伝えた。

 今にして思えば、こうなることを可能性のうちに試算してナガラさんが密かに置いてくれた布石なのかもしれない。

──小畜は亨る、密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
 これは瑞兆であり、同時に警告だ。きっと何かがある。あの時、ナガラさんが私とゴースト氏を引き合わせたことに意味や意図があったならば、今回再びGwHと関わることで、私がその「何か」に気付ける可能性は……五分五分といったところだろう。
 だが、そちらの深みに嵌っては恐らく戻れなくなる。私がすべきことを忘れてはならない。ナガラさんは言っていたではないか。気分転換が必要だと。

 年末年始は人生初の音楽イベント、それもライブハウス・渋谷アルブレヒトへ、国内外のミュージシャンたちが入り乱れるカウントダウンフェスの用務員として参戦だ。
 兄よ、笑ってくれ。どうせ毎年、無味乾燥な年末休暇を過ごすだけだったのだ。それに今年は休んでいる場合でも、のほほんと実家に帰っている場合でもない。

 今、〈EVY〉は少しずつだが確実に完成に近づいている。
 イヴィ、と呼びかけると、かのじょは指向する。かのじょは、人の形を模さない容れ物だ(人形でないことはかのじょの存在意義として最も重要な点のひとつ)。
 ケイオスの海、意識の渦潮からひとつの個を回収するためのポッド。
 だが、〈EVY〉の指向性を固定する材料がまだ足りない。

 多くは望まない。
 兄のために、師のために。
 自我。個。魂。幽霊。
 私はなにかひとつでも解に繋がるものを見つけたい。

20XX.11.30
【メモ】仮説、未検証→〈訴求力〉?

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本作は、創作企画「NO EXISTS! 20XX→20YY」  (Twitterハッシュタグ noex20XX)、Finedge Records(山川夜高さん@mtn_river)主催の創作バンドカウントダウンフェスに関連するセルフ二次創作物です。本文に登場するライブハウスの名称「渋谷アルブレヒト」を企画書より引用しています。

資料 - 〈GHOST with HUMAN 8910)


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