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自責VS他責思考人間の人生における幸せのピークと総量

正直なところ、人間考え方は人それぞれなので、題名についてはどっちでもいいのだけども、親や先生から若いときに教えてもらって本当に良かったと思っている考え方の1つに、「万事の責任の根源はお前にある論」的なものがあるので、一度立ち止まって言語化しておこうと思う。

結論としては、僕は自責人間になれて良かったしこれからもそう生きていくぞということなんだけども、これはかなり精神負荷がかかる考え方で、そこそこに疲れるので、この記事をお読みいただいている方に強要するものではないと思っているので、自責嫌だ〜って人は、あくまで考え方のひとつとしてお読みください。


さてさて。

自責と他責人生の分岐点となる指摘を最初にされたのは、中高生時代に、遅刻が多かったときだったと思う。

「ごめんなさい、吹雪だったので、バスが遅れてて、遅れました」
と、中学生の時に、スマホも持っていなかった自分が親との予定に連絡もできず遅刻したことがあった。(北海道出身なので吹雪は日常茶飯事)

「気をつけろ」と一言。
(父は星一徹を二回りぐらいマイルドにしたようなぐらい程度には厳しいタイプだったので叱られたことは数知れずですが)

そして後日、僕はまた遅刻をした。
そして再度こう言った。
「ごめんなさい、吹雪だったので、バスが遅れてて、遅れました」と。

父は少し長めの指摘をした。
「またか。いいか、そうすけ、お前は来月も、来年も、お前は吹雪だったらまた遅刻を繰り返すぞ。その度に同じ言い訳をして、自然や自分以外のことのせいにしていくぞ。同じ理由で2度も3度も、10回も20回も謝ってる男になろうとしてるんだぞ。小さな失敗に対処もできずダサくないか。」

「吹雪だったのに、時間通りに来てしっかりしてるね」と言われて、
「以前吹雪でバスが止まって、遅刻したことがあったので、前日に天気予報をみて吹雪かもしれない時はいつもより少し早く起きて、家を出るようにしてるんです。」って言える人の方がカッコよくないか?と。

それから7,8年経って
大学生になって、早くから活発に一丁前に、企業にイベント協賛営業をしていたときに、東京で雪が降って電車が止まって社会人とのアポに遅刻をしたことがあった。

その時は、
ただただ、申し訳ないという気持ちと同時に、瞬時に沢山の学びがあった。

あぁ、東京は雪が降ったら電車が止まることがあるんだ。
天気予報のチェックを怠らないこと、怪しい時は目覚ましをいつもより早めにセットして、時間に余裕を持って行動すること、それでも絶対絶望の時にはタクシーで迎えるぐらいの場所に住んでおくこと、住めるような収入を作っておき、タクシー代も払えるぐらいになっておくこと、遅刻が分かった段階ですぐに相手に一報を入れることで相手の時間を守れること….

「雪が降って電車が止まったからしょうがない。」とは思わなかった。

これが僕の自責思考の定着の時だったと思う。

遅刻は終わっているけど、これが人生経験が資産化されて自分がどんどん改善されていっている感覚を持ったのを覚えている。何があっても自分のせい、自分のせいにできているからこそ、どんどん遅刻しづらい人間に近づいていっているとわかった。

仕事がうまくいかなくても、
外部環境でもメンバーのせいにもせずに
最初の整理が悪かったな、スケジュールをしっかり組めていなかったな、振り出しが下手だったかな、チーム組成をもっとうまく行って、もっとモチベーション設計をできたかなとか考えていけるし、

友達とうまくいかなくても、もっと相手に寄り添うことができたなとか、もっと良いコミュニケーション取れたなとか、もっと、もっとって思える。

飲み会が盛り上がらなかったら、
もっと全席に気を使った立ち回りができたなとか、もっとコミュニケーションが生まれやすい座席表にできたなとか、もっと動きやすいお店を選べたなとか思ったり、

誰かにディスられたら、
自分の人間力が足りていないとか、誤解されるような何かをしてしまったなとか、しっかり喋ることを怠っていたなとか、発信できていなかったなとか、言葉の使い方も適切じゃなかったかなとか、有言実行していくことだよねと思えたり。

タレントが売れなくても、他事務所がすごいからとか、タレントが頑張ってないからと言ってるマネージャーと、
どうしたら売れるのかを考え続けて、自分のプロデュース力や営業力も、タレントのモチベをあげる腕も不足していると考えて、改善方法を模索し続けながら沢山分析して、沢山営業するマネージャーは天地の差で。

今が気持ちよくなりたいだけだったら、
今怒られることを避けたいだけだったら、外部環境のせいにして、
適当に謝っておけばいいかもしれない。

けどその時相手からは、
この人は困難な外部環境がある際は、お願いしたり分担したことをやりきってくれない可能性がある人だなと思われていって、どんどん任されたり、声をかけられることが減っていってしまうかもしれない。
間違いなく人生の信用残高は増えていかないし、
何より自分が、同じことで来月や来年も失敗してしまう可能性が残り続ける。

一度した失敗だからって
前より上手くできる人でありたい。

そうやって30歳とか40歳とか50歳の時に成長していきたい。

心に余裕を作って、人のせいにしてしまう誰かのフォローすらできるようになりたい。小さいところからでいいから、救世主経験を積み重ねて行きたい。

自責にできることの許容範疇を増やしていくことこそが
将来の自分からありがとうと感謝されるような、将来の幸せのピークを上げていくことであり、総量を増やすことであるって思ってる。(そしてこれは指摘する側もパワー使うので各々が自分で自分を律する訓練をしながら進化していけたら良いよねーと思う)

そういう人たちと、
真の信用信頼関係みたいなものを積み重ねて、助け助けられ、人生やっていくことができたら幸せだろうなって思う。自分のせいにする甲斐があるなって思う。

だから今日も僕は、あらゆることをまずは自分のせいにして、経験値を増やしかっこいい人を目指していく。

より良い記事を書けるよう何かのインプットに使用させていただきます。ご検討いただき有難うございます。またぜひ読みに来ていただけると嬉しいです☺️