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「走る×何か」を求めて(後編)

佐々木 順(渋谷で走る会、東京90)


1. 本年もよろしくお願いします

【注:前編はこちらです

 全スプも終わり、現実生活が戻ってきた昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末って共通テストなんですか? 受験生はこんな文章見てないから良いとしても、高校生の皆様は来たるべき1年後、2年後に戦々恐々かもしれません。でも心配ご無用。そんな試練はこれから繰り返しやってきますし、そもそもこれを見ている中高生なら、そんな試練は(時間がかかるとしても)結果的には軽々と超えるものと信じています。

 年をまたいでしまったのでアレですが、続けるにしても走る以外の何かが必要だよね、という話の続きです。市民マラソン大会はお手軽ですが、ほぼ同じ時間にスタートしてゴールしたらさくっと上がるので、仮に知り合いがいても、コミュニケーションの時間が取りにくいのがネック。

 前編で紹介したコミュニティは「HDCP児の親」という背景で結びついているので特殊だったこともあり、もう少しユルいコミュニティを紹介します。ここでの関係は今でも続いています。では後編どうぞ。

2. 地域でも活動しました

 もうひとつの転機が2015年にありました。地元・綾瀬市の社会福祉協議会が新事業として告知していた「夜回りランニング&ウォーキング」。前述の事情により福祉とのコネクションが欲しかった私は、興味半分で出てみました。社協の若手が月一度・平日の夜、市内の違うコースを決めて走り、すれ違う人に挨拶して回るという防犯ボランティアです。

綾瀬市社会福祉協議会発行「社協あやせ」2020年10月号より。

 古くからある「火の用心」と根底は一緒。この手のイベントは多くの自治体で行われていますが、ポイントは若い人の参加を狙っていること。ランニングはその手段です。逗子が発祥で、鎌倉、藤沢など周辺自治体に広まり、綾瀬にも入ってきました。発起人の田中美乃里さんの記事は、あらゆる地域コミュニティにとって一読の価値があります。

 夜回りの情報は、Facebookで各地域で共有されていました。綾瀬よりも若く、活気のありそうな場所にひかれ、慣れてくると他地域の夜回りに遠征するようになります。夜8時くらいに公民館に集合し、その地域のベストを着て、誘導棒を持ってゆっくり走るのです。

 終わればさくっと地元の小さなお店で飲み(さくっと行かないこともありましたが・・)。終了後の飲み会まで含めて、その微妙なアウェイ感すらお楽しみ。だれかキーになる人に色々紹介していただき、次からはその紹介したもらった人に紹介してもらい、その地でのコミュニティを点から線、線から面にしていきます。

2019年5月の写真より。
私(前列左から三人目)の左側にいる方は現役の藤沢市議会議員。

 誰ですか「どこでもお前はやってること同じじゃねえか」と言ってる人は。人は簡単に変わるもんじゃないよ(笑)。

3. 伝説の回もありました

 伝説の回はいろいろあるんですが、鎌倉駅前(江ノ電待ちの観光客でごった返す場所)でやったこれを上げておきましょう。このコミュニティでもRun4uのシャツで走ることが多かったです。宣伝もあるけど、とある地域のコミュニティの揃いのシャツが黄色なので、というのが大きいかも。

2019年9月の写真より(トップの写真も同じ日)。
鎌倉駅西口で外飲み。中央黄色いシャツが私。地元感たっぷり。

 県央から湘南まで広がったつながりを受け、年に1度「夜回りランサミット」なるものまで開かれました。各地のメンバが集まり、事例を共有して、その地のランを経験して最後は懇親会。地元綾瀬でも開催され、事例紹介を私がするなどの役回りもいただきました(社協の事業なのに!)。

地元・綾瀬での開催となった夜回りランサミット(2019年9月)。
私は左から三人目ですが、他にも黄色いシャツを着ている人がいます。

 夜回りランサミットの活動は地域メディアに知ってもらえるところとなり、神奈川中心に発行されている地域情報誌「タウンニュース」と、CATVのJCOMの取材を受けました(2019年秋)。恥ずかしくて、何を喋ったか覚えてません。(動画も結局見ませんでしたw)

4. コロナに入って考えました

 そのあとは、ご存知コロナショック。すべての活動が洗い流されました。Run4uは掲載こそ続いてますが、全体としてエントリする活動は現状ありませんし、夜回りも他地域はともかく、綾瀬からは無くなりました。

 洗い流されたもののうち、マラソン大会は徐々に戻ってきつつあります。駅から会場が近くて、参加はお手軽。その一方、会場でボランティアさんに挨拶する程度以外の言葉を使わずに帰ってくることもざらです。

 「交流が欲しければランサークルに入ればよかったのでは?」というコメントも頂きました。一理ありますし、実際RUNNETとかで掲示板に書いたり、書かれたものにアクセスしたりしました。しかし長続きしなかった。
 入ればモチベーション維持につながる反面、練習会の参加などレギュラーの行事が増え、活動が重荷になりやすいのです。「それ」以外の話題が無いのって、意外とつらいんですよ。

 ランだけで無い、別の要素が欲しい。バックグラウンドの共通性であったり、みんなで何かを作り上げるであったり。そんなプラスワンがほしかった。オリエンの世界は、それを簡単に手にできる稀有な環境だと信じております。「走る×何か」。自分の原動力はたぶん、そこでしょう。

5. そして、渡りに舟が来ました

 コロナ明けの活動のひとつとして選んだ浦和ロゲインのお手伝い(2022年11月)をしたあたりから、自分の中でオリエンテーリング復帰の機運はあったのだと思います。ただ、戻るきっかけがつかめない。どうしようか、というところに掛かった声が、前編で紹介したあひるの会でのCC7参戦と、復帰を加速させる出会いだった、というわけです。

 とあるデータによれば15年ぶりということですが、見るものすてが新しく、浦島太郎くんです。CC7という存在が無ければ、そのきっかけも掴むことも無かった。同窓会的取り組みとして、続くことを祈念します。

 当初はロードの大会はすっぱりやめてオリエン復帰のつもりでしたが、オリエンの大会はロードほど頻繁に無いことと、今のオリエンは走れることが前提になっていることを強く感じ、走りながら、少しずつ、オリエンテーリングの大会に出ていくのかな、なんて思っています。

6. 最後に、2024年の抱負

 Twitterにも書いたのですが、ちゃんと復帰と言える年にするために、以下の3点で楽しい生活を送りたいと思ってます。 

  1. 競技者登録して、Aクラスで楽しいと言える内容のレースをする。M50は元インカレエリート激戦区と聞いてるのでアレですが。

  2. CC7の全国同期(あひるの会)2チームエントリ。昨年は9名(2名は自クラブから出走)でした。正規で無ければワンチャン行けるか。

  3. NaviTabiを使って地元をテレイン化する。近所の公園とか、ガイドブック掲載のコースとか。スプリントがとにかく新鮮。

 あと、目標にするほどでも無い話ですが、飲みのネットワークも適宜作っていきます。TLでしかお目にかかってない方でお会いしたい方、結構いるんですよね。楽しみにしております。

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【予告】思いがけない出会いの糸はまだ続く。
年末から年始にかけての顛末記を次回掲載予定!
キーはこちら。

本当は今回の枕にするはずだったけど収まらなかった(爆)

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