マガジンのカバー画像

日々想うこと、いろいろ。

36
色々とものを考えながら生きています。
運営しているクリエイター

#発達障害

指先の小さな切り傷が教えてくれたほんとうのわたし

双極性障害を患うまでの14年間、コンサルティング会社を経営していた。 時差の関係する仕事だったため、一人で24時間電話に応対していた。もっと業績を上げたい、もっと感謝されたい、もっと有名になりたい、ひとかどの人間になりたい、とひたすら上を目指して突き進む毎日だった。血が沸騰しているような高揚感が常に私を突き動かしていた。 双極性障害を発症して身体が全く動かなくなった当初は、病院で処方される覚醒剤を服用してでも仕事をこなそうと努力した。でも病には勝てなかった。会社を人に譲り

おばちゃんが違和感を感じる最近の言葉

歳をとって頑固になったのか、偏屈になったのか、巷にあふれている言葉に違和感を感じることがちょくちょくある。「安心安全」と「勇気と感動を与えたい」だ。 「ヤバイ」「ほぼほぼ」は単に私が時代についていけていないだけなので良いとして、上の二つは前々から気になって仕方がないのだ。 「安心安全」 「安心」と「安全」がセットになって「安心安全」として使われるようになったのは、東日本大震災がきっかけだと思う。あの頃からあちこちで「安心安全なまちづくりを目指します」「安心安全にこのサー

理不尽に自分を責める前に

月一の美容院に行ってきた。 先月は「これから髪を伸ばしたい」と伝えたにもかかわらず、過去最高レベルのショートカットになり、自分のコミュニケーション能力の低さを痛感した。そして今回は、しっかり意思を伝えなければと「できるだけ切りたくない」を連呼してみた。 すると、なんだか切ってもらっている間、美容師さんがそっけなく感じた。もともと美容師さんと世間話をしないので会話自体は少ないが、美容師さんの醸し出す雰囲気がとても冷たく感じてしまい、「切りたくないと言ったのが悪かったんだろう

誰も、決して自分の土俵には上げない

私は自己嫌悪がとっても得意だ。ある日はまともに働けない自分に落ち込み、またある日はブサイクな自分にがっかりし、絵が上手に描けないといってはクサクサし、英会話でうまく話せなかったといっては意気消沈し、いつもいつも自己嫌悪している。 そして暇な私は、「もう、自己嫌悪ってなんなんだろう」と考えるようになった。 そもそもどうして自己嫌悪するのか。それは考えてみれば、自分より優れている誰かさんと自分を引き比べているから落ち込むのだ。 まともに働けない自分に自己嫌悪するのは、バリバ

【双極性障害】イラっとしたら考えてみたいこと

生きていればイラっとすることは多々起こるのだが、先日読んだ「世界中の億万長者がたどりつく心の授業」にこのような記述があった。 イラっとしたら、そこに自分本位の気持ちがどれだけあるかを考える。イライラの正体は、自分中心の考え方から起こる勝手な理想。 先日も、なかなか痩せようとしない夫にイライラしたので、そこに自分本位の考え方がないかと内省してみた。 なかなか痩せようとしない夫にイライラ→→→なぜ夫に痩せてほしいのか→→→私の気分が良くなるから。 出た!自分の都合だ!これ

後悔しない選択術

DaiGoさんの「後悔しない超選択術」を読んだ。 日々のちっちゃな選択の一つ一つにいちいち失敗し、後悔している自分にはとても興味深い内容だった。 なかでも目から鱗だったのが、何かを選択しようとするとき「選択した10分後の自分はどうなっているか?10か月後の自分は?10年後の自分は?」とイメージするという方法だ。 これは何か物を買うときにすごく使える。先日、赤いバレエシューズを購入したときにも、この「10分10か月10年ルール」を使ってみた。買って10分後はワクワク、10

自己満足という生き方

12年ぶりに「バースデーサイエンス」で私の今年のサイクルを調べてみた。それによると、今年は「研究」の年。方向性を定める時だ。自分の原点に立ち返り、自分の存在意義を考え、何がしたいのか、何を目指すのかをはっきりさせる。付加価値(容姿やキャリア)ではなく人間性(内面)で勝負するとき、とある。 病気をするまではワーカホリックだった私。業界で有名になり、さらに高みを目指して努力を惜しまなかった。思えば長い長い躁状態だったのかもしれないが、とにかく全力疾走だった。そして病気でキャリア

コーヒー豆に思うこと

私が通っている作業所では、単純作業が中心ではあるものの、ほぼ毎日違う仕事が入ってくるので、飽きることなく毎日作業に当たっている。 ただ、なかには常に受けている作業もあって、その一つが「コーヒー豆の選別」である。どこか遠方の、とっても豆にこだわった喫茶店から受けている仕事だそうだ。 ローストする前の生のコーヒー豆をひとつずつひっくり返しながら、いいものと悪いものに分けていく。相当に根気のいる作業だ。 そうやってひたすらコーヒー豆をひとつずつ眺めているわけだが、よく考えてみ

コミュニケーション反省会

とにかくコミュニケーションがうまくいかない人の特徴だろうか。 人と話したあと、家に帰ると何度も何度も、時には数日にわたって一人反省会を開き、その会話の内容を反芻しては自己嫌悪に陥るのが私の常だ。 体調の良い時は、調子に乗って言ってしまった言葉がとてつもなく恥ずかしく、反省する。体調が普通の時は、ああ言えばもっと素敵だった、こんな言い方ではかっこ悪かった、と繰り返し考えては落ち込む。体調が悪い時は、笑えなかった、何も楽しい話ができなかったことに自己嫌悪する。 普段通ってい

身の回りに自然を探すこと

私はとても神経が過敏なので、ちょっとしたことで動揺したり、心が乱されてしまう。例えば、歩きタバコをしている人が溝にタバコをポイ捨てしたところを見てしまったとき(歩きタバコとポイ捨てはたいていセットで発生する)。せっかく気分よく朝のお散歩を楽しんでいるのに、それだけでもう爽やかな気分が台無し。心がかき乱され、その気持ちをずっと引きずってしまう。 声の大きな人と遭遇してしまったときにも、心が乱される。ただ話し声がでかいだけなのに、恐怖で縮こまったり、すれ違った後もその声が頭の中

「病気には見えない」は誉め言葉なのか?

今朝の情報番組で、今日は雅子さまのお誕生日だと知った。 一連の即位の行事を神妙な面持ちでこなされる様子、沿道の声援に笑顔で手を振られる様子が繰り返し映し出され、司会者が「雅子さまは今でも体調の波があるそうですが、とてもそんな風には見えませんねぇ。」と言っていた。 とてもお元気そうに見えて何より、という前向きな発言だったのだと思う。でも、同じような言葉を日常投げかけられている私にはとても引っかかるものがあった。 体調の波があるようには見えない。それは、元気に(普通に)見せ