見出し画像

おばちゃんが違和感を感じる最近の言葉

歳をとって頑固になったのか、偏屈になったのか、巷にあふれている言葉に違和感を感じることがちょくちょくある。「安心安全」と「勇気と感動を与えたい」だ。

「ヤバイ」「ほぼほぼ」は単に私が時代についていけていないだけなので良いとして、上の二つは前々から気になって仕方がないのだ。

「安心安全」

「安心」と「安全」がセットになって「安心安全」として使われるようになったのは、東日本大震災がきっかけだと思う。あの頃からあちこちで「安心安全なまちづくりを目指します」「安心安全にこのサービスを使っていただけるように…」「安心安全なオリンピックの運営を…」などなど、「安心とくれば安全」かのごとく、ひとつの単語として定着している。

私の感覚としては、「安心」と「安全」は決してセットではない。この言葉を聞くたび、「そこは安心だけでいいやろ!」「安全だけでいいやろ!」「思考停止やろー!」と突っ込む自分がまた、頭の固いおばちゃんを自覚させられて悲しくなってしまう。

「勇気と感動を与えたい」

これも違和感を感じる言葉だ。「夢と希望を与えたい」もしかり。よくスポーツ選手や高校球児がインタビューで語っている。もちろん、周囲に勇気と感動を与えるのは素晴らしいことだけれども、これまた偏屈なおばちゃんとしては「他人さまにそんな上から目線で言っちゃうの?」と思ってしまうのだ。個人的には、これが「私のプレーで皆さんが楽しんでくれたらとっても嬉しい」ならば、何の違和感もなく受け止められると思う。

世の中の言葉遣いにもの申せるような人間ではないけれど、とにかく私は頑固で偏屈なおばちゃんで困る。言葉は常に変化していくのだから、柔らかい頭でついていきたいものなのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?