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【双極性障害】心をレスキューする「書く瞑想」

ここ数か月、よくものを書いている。ものと言っても、小説やエッセイのような大層なものを書いているわけではない。ただ頭に浮かんだことをランダムにノートに書きつけているだけだ。それがとんでもない副産物を生み出していることに最近気が付いた。

こういう「ランダムに頭に浮かんだことをノートに書く」ことを「ジャーナリング」というらしい。ジャーナリングはまたの名を「書く瞑想」ともいい、頭と心にとても良い効果をもたらすといくつかのサイトに書いてあった。わざわざサイトで確認するまでもなく、自分で十分に効果を実感しているのだが。

そもそも、ジャーナリングをするようになったのは「ほめ日記」をつけ始めたことがきっかけだった。

最初は毎朝、自分をほめる言葉をノートに書いていた。その効果も絶大で、とかく自分に厳しく、完璧でなければ自分をこき下ろして自己嫌悪してしまう苦しみから解放され、ずいぶんと心が楽に毎日を過ごせるようになった。少しは自分を優しい目で見られるようになったのは大きな成果だ。

ある時、とてもイライラするけどはけ口がない!という状況で、とにかく吐き出したい一心で、ほめ日記のノートに気持ちを書きなぐってみた。自分をほめるポジティブな言葉で埋め尽くされた「神聖な」ノートにネガティブなことを書くのはちょっと気が引けたが、そんなことにかまっていられないほどの緊急事態だった。

何枚ものページに気持ちを吐き出したとき。

「もう落ち着いたかな?」

こんな言葉を書いている自分がいた。これには自分でもビックリした。小学生の時に絶対やってはいけないと教えられたこ○くりさんのように、どこかから誰かがやってきて、私の手を使って書いたような感じだった。

その後も「イライラする!」という自分と「まぁ落ち着いて」というもう一人の自分との会話が紙の上で続き、最後には「大丈夫だよ。心配いらないよ」という言葉でノートは終わった。

その日はとてもよく眠れた。

それから私は、イライラしたり怒ることがあると、ノートに書くようになった。夫にイライラしたときは、夫が横にいても書く。そうすれば余計な衝突をしなくて済む。気持ちを抑え込んでいるわけではなく、きちんと吐き出しているので問題ないと思ってる。書いていて自己完結するときもあるし、逆に別の自分が降りてきて夫に感謝の気持ちが湧いてくることもある。書いたうえで、やっぱりこれは直接夫と話し合うべきだと悟ったときには、ちゃんと夫と向き合う。とっても健康的なイライラ解消法なのだ。

躁鬱病の症状で理由もなくイライラしてしまうときには薬の力に頼らざるを得ないが、何か理由があってイライラしているときにはとてもいい。人や物に当たる必要もなくなる。気持ちが落ち着く。

それからもうひとつ。嫌なことを頭の中で繰り返し繰り返し考えて、嫌な気持ちにどっぷり浸かってしまうことがよくあるが(私は特にお風呂なんかで)、「これを考えるのはあとで書く時までお預け!今は考えない」と切り替えることができるようになったのだ。

また、毎朝(気が向いたときは日中や夜も)ジャーナリングするようになった。別に何も書くことがなくても、今の気持ちや、自分をほめる言葉、やってみたいこと、欲しいもの、本を読んでいいなと思った言葉など、思いつくままに何でも書いている。しめくくりはいつも、「いい一日にしようね」「とにかくゆっくりだよ」といったように自分に優しい言葉で終えている。すると本当に良い一日になる気がするし、気持ちが安定するのだ。

ジャーナリングが「書く瞑想」と知ったのは最近だが、私にとってこの効果は本当に絶大だ。緊急事態には心のレスキューになるし、ジャーナリングのために早起きが何か月も続いていることも、確実に自分の心に良いと分かったからだ。

そういえば、Elizabeth Guildbert 著 の "Eat, Pray, Love" のなかでも、うつ病の不安発作で苦しむ主人公がノートを開き「助けて」と書くと「私はここにいるよ。あなたを愛しているよ」という文章が降りてくるというシーンがあったのを思い出した。emergency notebook(緊急ノート)と呼んでいたような気がする。

普段は、思いついたことをランダムに書く。心が乱されているときもその気持ちを書く。ただそれだけ。

気持ちが不安定だと感じている人、気持ちを口に出して吐き出すことが苦手でつい抱え込んでしまうような人には、ぜひ試してほしいなと思う。自分の周りの空気が少し澄んでくるかもしれない。



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