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指先の小さな切り傷が教えてくれたほんとうのわたし

双極性障害を患うまでの14年間、コンサルティング会社を経営していた。

時差の関係する仕事だったため、一人で24時間電話に応対していた。もっと業績を上げたい、もっと感謝されたい、もっと有名になりたい、ひとかどの人間になりたい、とひたすら上を目指して突き進む毎日だった。血が沸騰しているような高揚感が常に私を突き動かしていた。

双極性障害を発症して身体が全く動かなくなった当初は、病院で処方される覚醒剤を服用してでも仕事をこなそうと努力した。でも病には勝てなかった。会社を人に譲り、私はあっさりと無職になった。

仕事も肩書も失ったら、私は自分が何者なのか分からなくなった。ただ戸籍上の名前があるだけの存在。何の能力もない、何の特徴もない、どこにも属していない存在。持っているのは病気と自己嫌悪だけ。私は空っぽだった。

それから10年以上、私は完全に「無」の状態で過ごした。そして、少しだけ体調が落ち着いてきた頃に、小さな障害者向けの作業所に出会った。ここに通い始めて4年になる。もうここでは古株だ。

主治医の指示で、働けるのは一日2時間、週に3日のみ。箱を組み立てたり、紙を折ったり、機械でやった方がずっと早そうな、時にどういう目的があるのか首をかしげたくなるような軽作業をしている。

作業所の時給は300円。一ヶ月働いて7,000円ほどのお給料だ。ここで私は「通う場所」と「すること」を与えてもらっているだけで、働いていると言うよりむしろ「支援を受けている」と言った方が正しいかもしれない。来ても来なくても誰も困らないし、休んでも何も言われない。

それでも私は真面目に通う。体調によって2~3か月休むこともあるが、体調が許す時期はきちんと通い、まっすぐに作業に取り組む。

所属する場所があって、する作業があるというのは、今の私にはとても心地よい。私は単純作業が好きなので、無心になって手を動かすことは気分転換になるし、作業しながらいろんな考え事をするにもうってつけの環境だ。

紙を扱う作業が多いので、私の指先はいつも小さな切り傷でいっぱいだ。この小傷を見て思う。私はいま、働いている。

入退院を繰り返し、ただ息をするだけの毎日だった暗黒の十数年を考えれば、いま作業所に通えている状況はまるで夢のようだ。

ただ、作業所に通うようになってからも「自分は何者なのか」は分からずにいた。昔からの知人に「いま何しているの?」と聞かれるのは恐怖だった。「作業所に通っている自分」を心のどこかで卑下し拒絶していたからだ。

「作業所で働いている」と何のわだかまりもなく答えられるようになったのはここ一年ぐらいだろうか。何かきっかけがあったわけではない。仕事を続けていたら、いつの間にかこうなった。

「これが私の仕事。作業所に通えているだけでも私にとってはすごいことで、本当に感謝している」と胸を張って人に話せるようになったのには、我ながら感動した。あぁ、やっと私は自分の在り方を認めたんだ、と。

私には他にも、家事という仕事がある。子供のいない夫婦だけの家庭の家事などたかが知れているが、家の中をきれいに整えたり、美味しいご飯を作ったり、植物を育てたり、インコの世話をしたり。そういうことも私の立派な仕事だ。発達障害でこだわりの強い私には、家事にも一定の工夫が必要だが、なんとかこなしている。自営していたころは「多くの人に感謝されたい」と欲張っていたが、今は目の前にいる夫ただ一人が喜んでくれたらそれでいい。

精神障害を持つ女性のサークルも主催して3年半になる。これはボランティアワークとしてずっと続けていきたいし、これからもメンバーさんと楽しい時間をたくさん持ちたいと思っている。

作業所で黙々と手を動かし、家事をこなし、ボランティアワークを楽しむこと。これが今の私に合った、私らしい働き方なのだと思う。

これから先も、私は何者にもなれないかもしれない。ただ、病気をして働き方がすっかり変わった今、「特徴も特技もない平凡な人間、これが私なんだ」と認められるようになって初めて、私は私として、私の人生を生きる覚悟ができたのではないかと思う。

作業所で働き始めた頃、ある人に「あなたは病気に甘えている」と言われてとても辛い思いをした。「甘え」は精神疾患を患う者にとって一番傷つく言葉だ。でも、今の私は知っている。Softbankの孫さんであれ、私のような者であれ、誰もが自分の事情の中でできる限りの最善を尽くして生きているのだ。

双極性障害が変えた私の働き方は、時間をかけて私の「存在意義」も変えてくれた。過去の私にとって、それは「名声を得ること」だった。それが今では「暮らしを楽しむこと」に変わった。

楽しいことをして、自分を喜ばせる。暮らしに小さな楽しみをたくさん持つ。肩の力を抜いて自然体でいる。自分のできることに心を尽くす。一日一日を心穏やかに生きる。学び続ける。持てるもので満足する。それが私の目指すこれからの在りかただ。

今思えば、自営していた当時から自分は空っぽだということに気づいていたのかもしれない。だから、肩書や功績で自分の表面を飾ろうと必死だったのだろう。でも、小さな芯がなければ金平糖が作れないように、空っぽの私をいくら窯で転がしたところで、何もでき上がらなかったに違いない。

今の私は表面を飾ることに価値を感じない。それよりも、自分にも他人にもとびきり優しいまなざしを送れる人でありたいと思っている。

これから先、また新しい何かが見つかれば嬉しい。今のままでも、じゅうぶんありがたい。

平凡で小さな存在でいい。私らしく働きながら、毎日を心穏やかに生きていこう。これからは、海辺で小さな貝殻を拾い集めるように、私は私の新しい生き様を手のひらにひとつずつ載せていくつもりだ。

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