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私が変わると・・・(児童思春期病棟 私が育てられた話)

児童思春期病棟での話。

みーちゃんは小学3年生の女の子。
でも気分はきっと幼稚園児。
大柄で正直かわいくない。
大人の関心を買うためにいつもいたずらばかり。
毎晩おねしょもしていた。
それも、おねしょ?した寝床に看護師を添い寝させて
絵本や漫画を読み聞かせさせていた。

頭ではみーちゃんが愛情を欲しているとわかっていても、
心が受け付けなかった。
「なんで愛してほしいのに、人の嫌がることばっかりするんだろう!?」
だからみーちゃんとの時間は心地悪かった。
一緒に遊んでいても、手を繋いで散歩しても。

夜勤で彼女に本の読み聞かせをするときは
  私   「おねしょしてない?怒らないから正直に言ってね」
みーちゃん 「してない」
布団を触ってもわからないので横になって読み始める。しばらくすると
下半身がじわーっと生暖かく湿ってくる。
  私   「あれ?ほら、やっぱり!濡れてるじゃん!」←怒っている
みーちゃん 「えへへ」
  私   「えへへじゃないよ!
      怒らないから正直に言ってって言ったじゃん!」←怒っている
の繰り返し。
私が彼女を抱きしめるときは顔で笑って心は冷めたものだった。
みーちゃんに抱きつかれた先輩が慈愛の微笑みで彼女の頭を撫でている時、
何だか傷ついた気がしたものだ。

ある時、先輩に誘われて交流分析というものを学びに行った。
難しくて間違って覚えているかも知れないけれど、
そこで子どもは赤ちゃんの頃から人生脚本というものを作ると学んだ。
抱かれている腕の筋肉の柔らかさ、こわばり、温度、匂い、おっぱいの味、
聞こえてくる声の高さ、口調、声かけの量、周りの音、光etc.
どう振る舞えば生き抜けるのか、色んな情報を察知して決めているのだと。
そして、ストロークのこと。ストロークは存在認知の一単位とされ、
ポジティブとネガティブなものがあるが、
問題は何も無いこと(つまり無視)であり、
何も無いよりはネガティブなストロークでもあった方がマシということ。

先生の話を聞きながら私はずっとみーちゃんのことを思い出していた。
そして帰宅する頃には何となく
頭ではなくて心でみーちゃんのことがわかり始めた気がした。

それから徐々に私が変わった。
みーちゃんに対するイライラや嫌悪感が減っていった。
「もー!」が「も~♡」になり、2人で過ごす時間が楽しくなった。
多分、繋ぐ私の手の力も筋肉のこわばりも温度も変わったのだろう。
抱きしめるときのそれも。
するとみーちゃんもリラックスして甘えてくれるようになったと感じた。
みーちゃんが抱きついてくれたときの、身の委ね方、体重の任せ方や
筋肉の柔らかさが変わったと感じた。
それまで以上に仲良しになり、私は今までになくみーちゃんが
愛おしくてたまらない存在になった。

2人の時間は更に安らぎの時間へと変わっていった。
そして私の前でみーちゃんがいたずらをすることも減っていった。

頭だけでもダメ、心だけでもダメ。
人と人の関わりって・・・人が人を看るって・・・。

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