8才の少女は、その歌を歌い続けた(後篇) 〜 SDGs・探究への招待 #135 ~

 9月、海音ちゃんは、学校で描いた一枚の絵を持って帰ってきました。絵は仲良くお月見をする3人の親子が描かれています。それから少し離れたところで一人泣く女の子の姿が描かれています。その間には、壁が描かれていました。
 
 気持ちを表に出さず、泣かない海音ちゃんに変化が見られたのは、祖父母の家でかわいがっていたポン太という犬が死んだときだそうです。死んだ犬を前に「ポン太、ポン太」と、いつまでも大声で泣いたそうです。そのときから、家族を亡くした気持ちを少しずつ話すようになったそうです。ポン太が、命と引き換えに海音ちゃんに、泣いてもいいんだよ、気持ちを話していいんだよ、と教えたようでした。

 番組のカメラの前で、海音ちゃんは、犬のぬいぐるみを持って来て、話します。

「お姉ちゃんたちは、うちが一年生だから探してくれたのに、うちだけただ逃げちゃったから。自分を責め続けた」
 たった8才の少女が、そう話します。そうして「わかんないなあ、ちょっとだけ」と首をひねって、うつむき加減に、両手でほっぺたをはさみました。その顔は今にも泣きそうになるのをこらえているような、苦しそうな顔でした。

 そして11月、担任の先生とやりとりしていた日記に、学校で行われたマラソン大会のことをこう書いていました。以下はその日記の引用です。

 もうダメ。走れないとおもいました。
 そんなとき、こんな声がしました。
「がんばれかのん」
 ママの声です。
「そうそう。うちの分までがんばれよ」
 おねえちゃんの声です。
「がんばれかのん、つなみにまけないおまえが、まけるわけがない」
 パパの声がしました。
 そのときわたしはこころの中でおもいました。
「うち、がんばっているからおうえんおねがいね」
 楽しかったけど、ちょっといま、ひとりになったことがくやしいです。

(引用ここまで)


 そして海音ちゃんは大好きだという歌を、繰り返し歌うようになります。

 きみって
 きみって
 泣いたりしないんだね
 思い出してごらんよ
 
 私は
 私は
 不器用だけど
 今はすべてを受け止めたいから
 ここにいるよ

 いつかこの歌を、海音ちゃんではない誰かが歌うのを、海音ちゃんが聴ける日が来ればいいと思います。

 海音ちゃんにとって、海の音は、お父さんお母さんが願いを込めて名づけてくれたとおり、それでも海音ちゃんに優しい響きを、きっと奏でてくれているのだと私は信じています。願っています。
 なぜなら名前というものは、この世に生を受けたすべての人に贈られた祝福の証であり、生まれて初めての、そして唯一無二のプレゼントなのですから。誰もが祝福を受け、この子の未来が倖せになりますように、と、親から祈りをたむけられた、初めての自分だけの言葉なのですから。

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