この目で、神様を見た日のことを語ろう
昨年の秋、親友に連れられて京都の美山町というところにドライブに行きました。
美山町は茅葺屋根で有名な、京都の山奥にぽつりとある村落です。
どこまでも続く山々と空。そして美しい紅葉のトンネル。
つらいことが重なり、まだ少しうつ状態を引きずっていたわたしに「その景色を見せてあげたい」という、親友からの愛情でした。
ただひたすらに、車を走らせて。
空を、山々の上を飛ぶ鳥たちを、紅葉からこぼれ落ちる木漏れ日を、車の窓から眺めながら「美しいね」「綺麗だね」なんて言い合いながら。
たまに気の向いたところに車を止めて、少し散策をしたり。
そんなおだやかな時間でした。
わたしの心が、少しずつ充足感や幸福感で満たされていくのを感じました。
京都の山に囲まれて育ったわたしは、元来、自然を感じる場所にいると元気になれるのです。
そうして一日中、美山町を何周もしながらドライブをしていたら、夕方になっていました。
陽が傾いて、山の端に夕日がかかります。
世界はセピア色に染まっていって。
吹く風も、なんだか朝やお昼よりも繊細でやさしくて。
そして、ススキ畑の横を通り過ぎました。
なんの気なしにススキたちを眺めていて。
太陽のやわらかい最後の光がススキに透けて、ススキはキラキラと発光して。甘い香りのする風に、さらさらと揺れて、光の粒子を振りまいていました。
その瞬間、すべてがあまりにも美しくて。
虹色にも見える、ススキのまわりにある光の輪っかを見て、「ああ、神様だ」と思いました。
そう思った瞬間、あつい涙が頬をこぼれ落ちました。
「ああ。わたしはこれをずっと前から知っている」と思ったのです。
それは、思い出せないほど遠い昔。
今世ではなく、記憶にもない、遠いとおい、どこか別の人生でのこと。
数年前、とある方のセッションを受けました。
ホリスティック・マッサージの施術をしてくださっていた方からのご紹介でした。
「理由はわからないけれど、ねうさんにとって必要な言葉を聞けると思うので、ぜひタイミングが合うときに、この方のセッションを受けてみてください」と言われたのでした。
その後、半年くらい経った頃でしょうか。
わたしはふと思い立って、その紹介を受けた男性のセッションに、内容の詳細もわからないまま、申し込んだのでした。
その方のセッションはスピリチュアルなものでした。
「エネルギーヒーリングをおこないながら、クライアントさんの過去世を見て、そのときに必要なメッセージをヒーリング後にお伝えする」という内容のセッションだったようです。
ヒーリング後、わたしはその方に3つの過去世を教えてもらいました。
そのうちの最後のひとつの過去世を話し出そうとするとき、その男性は少し間を置いて、考えるように目を閉じました。
そして、すっと目を開けると言いました。
「うん。やはり、とてもめずらしい過去世をお持ちですね。
あなたはこの過去世で、ヨーロッパの方の森の中に住んでいる女性でした。特になんの変哲もない、普通の人生を送っていらっしゃいました。
普通に大人になって、普通に結婚をして、普通に家庭をもって、子どもを育てて、そして普通におばあさんになって、亡くなりました。
平凡だけれど、しあわせな人生だったのだと思います。
ただ、この人生で、あなたがまだ幼かったとき、あなたは不思議な体験をしているのです。おそらく、4歳くらいのときに、あなたは家の裏の森の中に迷い込みました。そこで、あなたは…」
そこで、その方はまた目を閉じて、適切な言葉を探すように少し黙り込みました。
そしてまた目を開けると、わたしの目を真っ直ぐに見つめていいました。
「どういう風に表現すればいいのか、わかりません。
まだ小さかったあなたは、迷い込んだその森の中で、いわゆる "神様" のような存在に出逢っているのです。
それは宗教で描かれるような白くて長い髭を蓄えた男性のような神様ではなく…。どう表現すればいいのか分からないですが、それはまさに "神様" としか表現できない "なにか" でした。
まだ小さかったあなたは、森の中でその "神様" に出会いました。
ただ、それだけです。特別な啓示や対話があったわけではなさそうです。
その後、あなたはちゃんと家に帰ることができました。その話は誰にもすることはなく、そっと自分の胸の中にしまっておきました。大切な宝物のように。
ですが、その体験はその過去世のあなたの人生をとおして、大きな影響を与えました。いつもあなたを守り、導いてくれる灯火のようなものでした。
その後、先ほども言ったように、あなたは普通で平凡な人生を生きました。特別なことをしたわけではありません。ただ家庭を持ち、家族を愛し、そして天寿をまっとうしてしあわせに亡くなったのです」
この過去世の話は、当時のわたしにはあまりパッとするものではありませんでした。なぜ、このタイミングでこの過去世の話をされたのかもよくわかりませんでした。今のわたしの人生に対しての強いメッセージ性のようなものを感じなかったのです。
数年後、美山町で夕日に照らされたススキ畑を見ながら涙を流した日。
わたしは悟りました。
「これが、あの過去世の女の子が、森の中で出逢った神様だったんだ」と。
それは、特別なものでもなんでもなく。
ただの光です。"美しさ" です。
でも、普段の日常の中でなんの気なしに見えている太陽の光や、「きれいだな」と思う自然の美しさとは違います。
それよりも、もっと深くて。
まるで、時が止まるような。それでいて、永遠に続いているような。
刹那の瞬間と、永遠という終わることのない循環の輪が同時に存在していて、その中で「わたし」と、その「光」「美しさ」が完全に一体化するような。
その体験をしてから、わたしはふとしたときに、日常の中であの「光」と出逢うことができるようになりました。
いつもお世話になっている鞍馬山を歩いているとき、ふと木々に透ける木漏れ日を見たとき。
子どもの送迎をしながら、ふと見上げた空を飛んでいるトンビの羽ばたきを見たとき。
夕日が山の端にかかり、世界を繊細な光のベールで包み込む瞬間を目にしたとき。
これこそが、太古から日本人が「神」と呼び、崇めてきた存在なのだと理解しました。
それは、決して海外の人たちがいう「神様」ではなくて。
形もなければ、名前もありません。
ただ、そこに在る、どこまでも美しいなにか
この宇宙に満ちている目に見えないエネルギーそのもの、宇宙の働き、終わることなき螺旋の輝く一刹那、そしてその刹那の中に凝縮された永遠。
その美しさに一度でも触れれば、その美しさを忘れることはありません。
滋賀県にある賀茂神社の禰宜さんにお話をしていただいたことがあります。
そのときは、「なるほどなぁ〜」としか思わなかったのですが。
美山町のススキ畑で「神様」としか表現できない美しさを見た日、あの禰宜さんの言葉の本当の意味が分かったのでした。
そして、そのとき、わたしは伝統靈氣道をとおしてお伝えしていくべきわたしの使命を理解しました。
それは、レイキヒーリングというシンプルなヒーリング技法ではなくて。本当に伝えるべき真髄は、その奥にある目には見えず、触れることもできないもの。
この「美しさ」を見ることのできる「目」を養うということ。
この体験をした日、わたしの2年弱におよぶ「悟り」の体験が完結したのでした。
この2年弱におよぶ「悟り」の体験は、「悟りシリーズ」というマガジンで少しずつお話をしていっています。更新は不定期なので、興味のある方は、ぜひマガジンをフォローしておいていただけると嬉しいです。
この記事が、少しでも誰かにとっての気づきのきっかけとなりますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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