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第2章#01 スープタウンという場と人のちからで「介護しない介護」に向かう。

介護が必要になったおじいちゃんやおばあちゃんのお引越し先に、ぬくもりを感じられるまちが広がっていると思うと、誰もが安心して年を重ねてゆける気がします。車のセールスマンから転身し、介護福祉の世界に十数年。ガスパッチョ隊長が描くスープタウンでの景色とは? ローリエ女史が思うスープタウンでの介護(ケア)とは?

はじめに登場人物紹介です!

★ガスパッチョ隊長★スープタウンの隊長。だいたい辛口だけど、疲れていたら「みんなケーキ食べてる?」などやさしい声をかけてくれる。スープタウンの住人たちの笑顔のために東奔西走。

★ローリエ女史★スープタウンのケア係。ガスパチョ隊長と同級生ゆえに、遠慮なく、ズバッと辛らつな発言が飛びかうことも。「スープ会議」では、いつも最高のスープを振る舞ってくれる。

第2章では、スープタウンでの介護(ケア)について、さまざまな角度から掘り下げていきますが、まずは、ガスパッチョ隊長とローリエ女史の想いを話していただきましょう。

スープタウン建設予定地にて開催された花見の宴
「さよならサクラ、またきてスープ」の様子(2023年4月)

いろんなことが自然発生していく場に。


ローリエ女史

――スープタウンは、ゆるっと、いろんなことが自然発生していく場になるといいな、と思っています。2023年春にスープタウンの建設予定地で、お花見をしたんですね。「スープ会議」で企画して、スープの屋台を出したり、お餅つきコーナーがあったり、和太鼓体験があったり。職員の家族や友人、建築家さんたちも集まって、総勢300名ぐらいかな。各事業所の利用者さんたちも「今日は外にいこう!」と誘い出しました。しばらくして、プルメリアちゃんたちフラトレ仲間が桜のしたで踊り始めたんです。みんなも見よう見まねで踊りに加わりました。あの光景が忘れられないぐらい美しくて、スープタウンでも「〇〇をしましょう」「〇〇を始めます」など決まったことをやるのではなくて、偶発的に何かがはじまって、地域の人も、働く人も、利用者さんもいろんな人が交わって在る状態が生まれたらうれしいな。
 
ガスパッチョ隊長
――「場のちから」を創出したいですよね。とにかく扉を開けば、なにか起きるという感じ。なにか起きるけど、そこをスープタウンで働いている介護職員が見逃しちゃいけない。

「見逃しちゃいけない」というのはどういう意味でしょうか?

隊長
――花見の場でのフラトレにしたって、意図したわけでなく自発的に前に出て踊った人、見て楽しんだ人、休憩していた人がいて、そこにいろんな選択肢があったわけでしょう?そこで介護職員たちは、前に出たいと思っているかもしれない利用者さんを見極めて、誘ってあげなきゃいけないし、その時には難しくても、その人の状態を記憶しておいて、次に活かさなきゃいけない。この人は、誘っても必ず一回断ったり、文句を言うけど、何度か誘うと参加するとか。文句を言いたいだけだな、とか(笑)、見てるだけでも満足してるタイプだな、とかね。
 
ローリエ
――私は、長年、介護福祉の世界で仕事をしてきました。さまざまな現場を見てきたうえでの話ですが、いわゆる高齢者を介護(ケア)する、というよりも、人と人として、共に日常を共有することが「究極の介護」だと考えるようになりました。介護、という言葉を使うと、人と人が対等じゃなくなっちゃう気がするんですよね。そうじゃなくて、スープタウンという「場のちから」があるうえで、介護職員同士が連携しながら、利用者さんの黒子になって支える。いっしょに笑って、いっしょにごはんを食べる。フラトレも「楽しいからいっしょにやろうよ~」という感覚がしっくりきます。

椅子に座ったまま、踊り始めた利用者さん。
建築家さんや庭師の男性陣もパウスカートがお似合いで。
2種類のお花見スープをサーブ。


隊長
――福祉業界のとある方が、「CARE(ケア)」とは=「関心を寄せること」と話されていました。スープタウンには有料老人ホームが設置されるのですが、デイサービスとの違いは、そこが「暮らしの場」であること。介護職員とも、接する時間が長くなりますから、住まう方たちの行動や発言から特徴をつかんで、それを日常にどう落とし込んでいくかがケアのポイント。長い目で見ながら、オペレーションを組んでいけるのがいいかなあ。

CARE=関心を寄せること。なるほど~。助ける、支えるというイメージが強かったのですが、その人に興味を持つ、ということですね。

隊長
――よく見て、よく知って、特徴をつかんで、活動量の落ちてきた高齢者さんの日常をどうやって活性化させていくか。これって、利用者さんに何かを「やってあげる」のが当たり前の施設だと難しいんです。ローリエ女史が、noteの第0章で話していた「こたつでみかんを食べながら笑っていたいな」というのは、実は「介護しない介護」、つまり介護しなくてもよい状態を保っていられている、という理想的な状態なんですよ。

介護しない介護!?

んんん? わかるようでわからない。わからないようでわかる(笑)。「介護しない介護」とは?もう少し詳しく教えてください!!

隊長
――たとえば、裁縫や編み物をするのが得意なおばあちゃんがいます。でも、高齢になって、針に糸が通らなくなったり、材料が自分の足で買いに行けないから、今はやっていません。そのことに関心を寄せて、「針に糸を通してあげるし、材料も買いにいってあげるから、やってみない?」と誘うとチャレンジすることがあります。さらに、そこから誰かに何かをつくってあげたいという気持ちに誘っていく。たとえば、孫やひ孫へのプレゼントを縫うとか、僕らが「こんなものをつくりたいんだけど、縫ってくれませんか?」と頼む。そうすると、その人に役割が生まれる。こういった一連の流れって、いわゆる「介護」には見えない。趣味活動のサポートのように見えますよね。それでいいんです。利用者さんが自然に、これまで生きてきた延長の時間を楽しく過ごしていただけることが大切。だから、「介護をしない介護」。
 
ローリエ
――利用者さんひとりひとりに正面から関わらなければできないことです。作業だと思っている職員には無理でしょうね。

隊長
――「マズローの欲求5段階説」をご存じですか?人間の欲求を生理的欲求~自己実現欲求までピラミッド型で表した図なんですが、介護施設は、下2段の「生理的欲求」「安全の欲求」を満たすことが大前提。しかし、スープタウンではそこに留まってはいけない。たとえば「社会的欲求(所属と愛の欲求)」とは、つながりの欲求。高齢になると組織に属さなくなるでしょう?男性は会社を定年すると急に老け込む人も多いです。地域に出ていくとまたつながりができて、何か役割が生まれて「ありがとう」と言ってもらえるような関係ができると、「承認の欲求」が満たされる。そこから、さらに上の一番上の「自己実現の欲求」まで満たすのが、これからの介護だと思っています。

【マズローの欲求5段階説】=アメリカの心理学者アブラハム・マズローの説。
「人間は自己実現に向かって成長する」と仮定し、「生理的欲求」→「安全の欲求」→「所属と愛・社会的欲求」→「承認の欲求」→「自己実現の欲求」という5段階があると提唱した。

ローリエ
もっと言うと、私自身、高齢者さんと接することを介護だとはあまり思っていないんですよね。
たとえば、おうちでごはんを食べていて、「お醤油とって~」とおばあちゃんが言うとする。で、たまたま近くに座っている人が「はい、どうぞ~」って渡すでしょ?それぐらいの感じがいいなと思っています。そういうのがやりたいことで、やっていきたいこと。友だちでもないし、家族でもないんだけど、スープタウンの住人として長い時間を過ごすわけだし、隣に座って「これ、美味しいよね~」「あー、きれいだねえ」など、同じ時間を共有できる関係が私としては理想です。そういう意味でも、一般的に言われる「介護」らしくない介護かもしれませんね。

その当たり前な風景の背景には、プロフェッショナルとしてのさまざまな技術や経験値があるのでしょうね。リアルなコミュニケーションが苦手な人も多い昨今、どうすれば利用者さんが自然に心を開いてくれるのでしょうか?

ローリエ
――一番は、その人との距離を縮めること。距離を縮めるためには話をしないといけません。経験の浅い介護職員には、なんでもいいから話をしようね、と指導します。隣に座っているだけでもいいんです。作業に追われるなかでも、ちょっとの時間だけでも手を空けるように努力をして、コーヒーを持って利用者さんの隣に座る時間をつくろうね、とも伝えています。

隣に座って、同じ時間を共有する。
いいね、たのしいね、おいしいね。そこに介護という言葉は
似合わない気もしている。

ローリエ
――認知症のある方の場合、会話を成り立たせるのが難しい場合もあります。でも、隣に座って、同じものを見てニコニコしているだけでも、「あーこの方は、これが好きなんだな」と思えたり、手を触りながらお喋りすると落ち着くんだなと、感じることができます。私、めちゃくちゃ認知症のあるおじいちゃんやおばあちゃんのことが好きなんですよ。

隊長
――ローリエさんは、重度の認知症の方とも、いつも楽しそうにお話していますよね。

ローリエ
――前職も高齢者施設にいましたが、その当時は余裕もなく、なんでこんな行動をするんだろうと悩んだこともあるんですが、スマイリングで働くようになって、認知症の知識を深めるために本や文献を読んだり、講演会にいったり、いろんな状態の方と接する中で、「あー、だからこういう行動になるんだな」ということが理解できるようになりました。それで心の余裕ができたこともあるし、認知症であろうがなかろうが、私にとっていっしょに日常を過ごすことになんら変わりはないです。ただ、想像もしない反応が返ってくることがあるから、それは私のなかでは愛しくてたまらない感覚です。

隊長

――最近思うんですけどね、介護現場を見ていて、高齢者になってきたときに本人にどれぐらいの意志があるのかについては、やっぱりわからないことも多く、悩ましいです。イベントなどに自分から参加する人もいれば、人から言われたら参加する人、2~3回は断る人、見ているのが好きな人、自分で決められない人、もともと何の意志もない人・・・さまざまですから。たとえ、昔好きだったことでもさんざんやってきたから、やりたくないという人もいるし。
 
ローリエ
――正解はないですね。その人にしかわからないことだらけなので、めいっぱい想像して対応していくしかありません。私だっていまでも手探りしながらやっています。ただ、なにか困ったことがあったら、解決のヒントは、普段からのその人との付き合いや会話の中にあるはず。介護職員には、そのひとの本質を見極めて、次の行動に誘っていくスキルが必要になってきますね。

スープタウンの住人たちが積み重ねてきた
ひとりひとりの人生のバッググラウンドを知ることから
新しいケアがはじまるのかも。


隊長
――他のところではうまくいかなかった方でも、スープタウンでならなぜか動けるし、なんとなくやれちゃうという環境がつくれるといいな、と思うんですよね
 
ローリエ
――スープタウンの空間だったり、道具だったり、感情に配慮したデザインだったり、多世代がそこに混ざり合って居ることだったり、そういった「場のちから」が、利用者さんひとりひとりにさりげなく作用して「あれ、なぜかわかんないけど、スープタウンでならやれちゃう、できちゃう」という状況に持っていくこと。まだ、うまく言葉に落とし込めてはいないんですが、私たちのやりたい方向性はそっちかなあ。

隊長
――「スープのさめない距離で暮らそう」という理念がスープタウンの核。介護(ケア)においても、それぞれ違う人生を歩んできた人と人の距離感をリスペクトしながら、「スープのさめないケア」、というものをみんなで考えて行けたらと思っています

他ではうまくいかなかった人も、なぜかスープタウンでは自然と動けちゃう、働けちゃう、笑顔になれちゃう・・・そういったことが、「場のちから」としてそこに存在するという考えには興味津々。ここから、高齢者の感情環境デザインを得意とするブイヤベースさんや、駄菓子屋さんや子どもの環境をつくっていくプルメリアさん、障がい者が働くスープ屋さんの切り盛りをしていくココットさんにも話を聞き、ケアの観点からさらにディスカッションしていきましょう。

つづく。

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