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【つくる人】 樋口勇八郎さん (うきはの山茶)

はじめに

私の周りには、たくさんの素晴らしい「つくる人」がおられます。
そういった方々のことを書いてみようと思います。

この時期になると楽しみなのは「新茶」。
お茶をお急須で淹れるという習慣が無くなった家庭も増えていると聞きますが、ちょっと寂しい気持ちになります。

今回は福岡県うきは市で有機栽培でお茶を育て、製茶から販売までを手がける樋口勇八郎さんのことを書きます。
樋口さんは新川製茶の代表をお父様から受け継ぎ、「うきはの山茶」というブランドを立ち上げました。

樋口さんのお仕事

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福岡県のお茶の一大産地・八女。
その八女と耳納連山を挟んでお隣の場所に、樋口さんがお茶を作っているうきはという場所はあります。

うきは市は、飲用水の全てを地下水でまかなっている自治体で、日本名水百選にも選ばれた「清水湧水」もあります。

水資源豊かなうきはでは、質の高い柿やぶどう、桃などの果樹や養鶏や畜産が盛んです。
そして、うきはの秘境とも呼べるような場所・新川地区という標高の高い場所で樋口さんはお茶を栽培されています。その山深い場所にあることから「天空の茶園」と表現されることもあるようです。

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樋口さんの新川製茶では、お祖父様がお茶農家を始め、お父様の代からは有機栽培でお茶を栽培されています。これはとても大変なことなんです。
茶の木の間は狭くて除草機が入ることができないため、腰を落として分け入って、手で雑草を摘み取っていきます。その時に害虫がいたら駆除します。

以前、草を摘んでいるときに、スズメバチに刺されて死にかけたこともあると語っておられました。すぐに救急車が来れない場所にあるので、そういうことが起こるとすぐに命の危険があるわけです。

有機栽培をする中で重要なことは土作りです。
樋口さんは豚舎を改築して、ショベルカーを使って発酵肥料を作りそれを土に混ぜ込んでいきます。その丁寧な土作りこそ、樋口さんの作るお茶の優しい甘さや滋味を生む秘訣だと感じます。

日本茶といっても実は100を超えるほど様々な品種があります。その中から数十種類の品種を、それらに合わせた栽培法で丁寧に育てておられます。

でもなぜそんなに大変な有機栽培をされているのでしょう。
樋口さんの言葉が印象的でした。

「お茶を飲む人や農業をする私たちの身体のためというのもあります。ですが、山の上の方で農業をさせてもらっている私が農薬を使えば、下で暮らしている人々が使う水を汚してしまうかもしれない。それはしたくないんですよ。」

これを聞いた時、私は20世紀初頭、足尾銅山の鉱毒事件と闘った田中正造の言葉を思い浮かべました。

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「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。」

樋口さんの自分たちだけではなく、様々な人や生き物を想う気持ちは確かに私の胸を打ちました。
この方の作るお茶をずっと飲みたい。」そういう気持ちにさせてくれる言葉でした。

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このような機械で茶葉を刈り取っていくのだそうです。
茶葉を刈り取られた後の茶の木はこうなります。

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お茶を生産する人だけでなく、そのための機械が存在していること。その機械を開発する人。整備する人。
当然のことのように思えますが、現場を見るといろいろな人びとの仕事や営みが見えてきます。

樋口さんの仕事は、栽培だけではありません。製茶という美味しいお茶に仕上げる仕事があるのです。

栽培もして、製茶までする。「うきはの山茶」のホームページの「最後まで自園で」という言葉がそのことをよく表しています。
言葉で書くと短いですが、これってすごいことだと思います。

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樋口さんの作るお茶の特徴の一つが「深蒸し製法」によって作られることです。
特徴は、コクのある味と濃い水色が出せること。樋口さんのお茶の旨みを最大限に高める製法だと言えます。
濃い味とは言っても、決してえぐみがないのは、茶葉自体が丁寧に栽培されているからでしょう。

うきはの山茶さんのお茶には、緑茶だけでなく、焙じ茶や和紅茶、烏龍茶まであって、どれもこだわった製法で作られているので、それぞれの暮らしの場面で楽しむことができます

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これは焙じ茶を焙煎する機械。
焙じ茶は緑茶とは違ったお茶の楽しみ方ができる飲み方ですが、中には焦げ臭く、ただ茶色いだけの焙じ茶も出回っていることは事実です。

樋口さんの焙じ茶は、丁寧に芯まで火を入れていくので、焦げ臭さがまったくなく、茶色というより桃色に近い水色が特徴です。
これは珈琲の焙煎にもよく似ているなと思いながら聞いていました。

和紅茶もその甘さと風味が素晴らしく、綺麗な茜色の水色は飲んでいて嬉しくなります。

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なんとこの和紅茶は失敗から生まれた産物だそうです。

茶葉は摘み取った瞬間から発酵が始まります。したがって、摘み取ってすぐに製茶しないときは、風を当てて発酵するのを緩めておかないといけません。

樋口さんが摘み取ったお茶を工場に運び、次の朝に製茶をするために風を起こす機械を入れていたら、翌朝工場のシャッターを開けると煙だらけ、、、。茶葉は茶色くなっている、、、。
機械の不具合で風が止まり、一晩で発酵していたのだそうです。工場が煙だらけというぐらいですから、大量の茶葉が発酵したことがわかります。

「これじゃ売り物にならない。どうしよう。」
そう思いながら、飲んでみると、、、「いや、これは悪くないかも。

そうして色々と工夫しながら商品化まで辿り着いたのが和紅茶でした。
樋口さんのたくましさとお茶に関する知識が、美味しい商品を生み出したのです。

樋口さんには怒られるかもしれないけど、その煙もくもくの発酵現場、見てみたかったなぁ、、。

樋口さんのお人柄

最初に樋口さんと出会ったのは、主催している「おいしいはなし」というイベントで、2018年の1月にお茶をテーマにした会にお呼びしたのがきっかけでした。

この数年前から「うきはの山茶」さんを愛飲していた私は、どうしても樋口さんにゲストとして来て頂きたくて交渉しました。
紆余曲折ありましたが(笑)、ようやくお会いすることができ、直接お話しして、柔らかだけど信念のしっかりしたお人柄に惚れ込みました。

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そして何よりお酒が強い。笑
樋口さんはどんな人とも壁を作らずに、心で対話をされる方なので、当然周りにも素敵なお仕事をされる方が集まってきます

この写真に一緒に写っているのは、素晴らしい仕事をされる和菓子職人の中澤力さんという方なのですが(また詳しくはいずれ書きたいと思います)、樋口さんとは切っても切れない間柄です。

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うきはの山茶さんの様々なお茶の魅力を、余すところなく一流の職人さんが表現した一品。
この他にも、樋口さんのお茶を使った様々な美味しい商品が生まれています。

私が印象的だったのは、この和菓子職人の中澤さんは樋口さんのお茶だけでなく、そのお人柄に惚れ込んでいるということでした。
また逆に樋口さんも中澤さんを尊敬しており、見ていてとても気持ちのいい関係性です。

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2019年10月に、私がお世話になっている北九州市のセレクトショップで、かつて武士が楽しんでいたという「茶歌舞伎」というお茶を使った遊びを再現したイベントの写真です。

「人前で話すのは苦手」と謙遜される樋口さんですが、お茶の話になると止まりません。柔和ながらも熱のこもった語り口は、聞く人を惹きつけ、参加者の方からの質問にも的確に丁寧に答えておられました。

それは考え込んだり、取り繕ったりしているという風ではなく、自身の仕事に誇りを持っているからこそ話せる自然な口ぶりでした。普段から常にお茶と真剣に向き合い、たくさん考えながら仕事をしておられることがよく分かります。この方が作るお茶が飲めて幸せだと感じました。

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うきは市の山北という地区に、「うきはの山茶」のお店があります。
私も月に何度かお茶を買いに行きます。新茶が始まり、7月下旬までは樋口さんはほとんど畑におられますが、それ以外の時期は運が良ければお店におられることがあります。

私は赤い車が停まっているのが見えたら、「お!樋口さんいる!」と嬉しくなって心の中で呟きます。
樋口さんとは、お茶だけでなく、車の話、私と共通の趣味のプロ野球の話など、話していて飽きません。

親しくなると、柔らかな語り口調からいきなりブラックな言葉も飛んできます。
先日、私の数少ない幼なじみの友人とお店に行った時、「太郎くん、友達いたんだね。」と笑顔で一言。ただそれがいつも全く嫌味な感じではなく、不思議と笑顔になって和むんです。本当に面白い方です。

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そんな樋口さんの周りの方に会うのも楽しみのひとつです。
奥様の朋恵さんと長年スタッフとしてお店を支えておられる内山恭子さん。

美味しいお茶を淹れて、丁寧にお話しを聞いてくださる朋恵さんとうきは市でその時々にやっているお祭りや花の情報を教えてくださる内山さん。

このお二人がしっかりと販売のことをやっておられるので、樋口さんは安心して栽培や製茶に力を入れることが出来るのです。

選ぶのが楽しくなるディスプレイ。わからないことは何でもお二人が教えてくださいます。

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お茶を飲むという生活

私はかなりの日本茶好きだと思います。小さいころから、お急須で自分で淹れてお茶を飲んでいました。お茶は他の飲み物よりも、一日に多く飲めるような気がします。

近代を生きた芸術評論家・指導者の岡倉天心(覚三)の大きな仕事の一つは、海外に日本や東洋の美を紹介したことでした。

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岡倉は1906年に"The Book of Tea "(『茶の本』)を記し、お茶とその周りの文化について紹介しました。次のような一文があります。

It has not the arrogance of wine, the self- consciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa.
(茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、
またココアのような気取った無邪気もない。)

他の飲み物を貶めているというわけではなく、お茶の中に存在する「微妙な魅力」を見出しているわけです。
お酒もコーヒーもココアも好きだけど、一日にたくさんお茶を飲む私には、この言葉がなんとなく理解できる気がしています。

私は、まず朝起きたら、必ず熱い焙じ茶を飲みます。そして朝食後に二煎目を。
焙じ茶はこの「プレミアム有機焙じ茶」。
これは白折を使った焙じ茶で、棒茶と呼ばれる焙じ茶の最高峰です。

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そして職場に着くと、煎茶を飲みます。煎茶は色々で、有機特上煎茶有機特上白折単種の煎茶を気分に合わせて淹れます。

白折は優しく柔らかい味。そして、うきはの山茶さんのラインナップで特徴的なのが単種の煎茶があること。「在来種・やまかい・つゆひかり・おくひかり・さきみどり」の種類を購入できます。

一般的に「煎茶」と呼ばれるものは、数多くある品種からお茶屋さんがそれぞれに美味しくブレンドしたものだそうです。コーヒーみたいですよね。
この単種は、コーヒーでいうところの「シングルオリジン」。
「エチオピア・イルガチェフェ」や「インドネシア・マンデリン」という感じです。

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そして昼食後はだいたい15時ぐらいになると、和紅茶を頂きます。
お気に入りは「プレミアム有機和紅茶」と「有機焙煎紅茶」です。

香りまで甘い、上質な茶葉を丁寧に発酵した紅茶とさらにそれを焙じて香ばしく仕上げた焙煎紅茶。どちらも違った風味を楽しめます。

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そして夕飯の後にはまた煎茶か「有機秋摘み番茶」を頂きます。

番茶といっても、うきはの山茶さんの番茶は一味違います。秋の新芽はカテキンが多く含まれており、独特の甘みと風味が食後に嬉しい一杯です。
(夏の気候の状況で作れない年もあるそうです。今年は完売してしまっています。)

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こうしてみると、やっぱり私が一日に何度もお茶を飲んでいることが分かります。

最近では周りにいる若い大学生もお急須で樋口さんのお茶を楽しんでくれるようになりました。
それに「お茶いれましょうか?」と言ってくれると、それだけで嬉しくなりますし、一緒にお茶を飲むことで会話やアイディアが浮かんでくるものです。

自分でお茶を淹れて楽しむこと、それを人に振舞うことが出来ることは、ちょっとした生活の豊さにつながると思います。

「お茶にしようか。」

料理研究家の土井善晴さんは、信州の方では「お茶番」という子どものお手伝いがあると著書に書いておられます。

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「長野の子どもたちは、「お茶番しなさい」と客間に座らされて、お客様の様子を見てお茶がなくなればお茶をさすように教えられるらしい。こういったことで、大人の話も聞けるし、気遣いを覚えていくのだろう。」

この話を読んで私も幼少期のことを思い出しました。
祖父母と同居していた私も、最初に覚えたお手伝いは「お茶汲み」でした。

母や祖父母が隣についてお湯で火傷をしないように気遣ってくれながら、適切な茶葉の量やお湯の温度、お湯呑みに注ぐ手順などを教えてくれた記憶があります。

昔は祖父を訪ねてお客様が多くきていましたから、そういうときは練習の成果を発揮するチャンスでした。
幼稚園ぐらいの子どもが淹れるお茶ですから、正直なところ本当に美味しかったかは分かりませんが、皆さん「美味しいね、えらいね。」と褒めてくださって、とても嬉しかったことを思い出します。

これが重要なのだと思います。自分の振る舞いが、大人に褒められる、喜んでもらえるということは、子どもにとって立派な成功体験であり、社会経験のひとつではないでしょうか。

やっぱり褒められると嬉しいので、お客様がお茶を飲み切ったら、次を淹れようと待ちます。
その時に、祖父に何か話しかけると、祖母から「大人の話に割って入ってはいけない」と戒められるのです。今になって思うと、それは大切なしつけだったと感じます。

お茶

お茶にしようか。
これは亡くなる直前の祖母との思い出の言葉です。

祖母は私が生まれる前から、がんという病気を克服しながら、生きていました。
最後は体力的な制限もあり、大きな治療もせずに、がんと上手く付き合いながら5年前の冬に御仏様の下に還っていきました。

在宅で看取りをしたので、私もほぼ毎日顔を見に行っていましたが、秋ぐらいから次第に弱っていくのが分かりました。

それでも気分がいい時には、居間に来て座って、昔話や祖母が好きな食べ物の話をしました。
そのお喋りの時間の合図が、「お茶にしようか」でした。

祖母との残り少ない時間を、もっと話したいことはあったと思いつつも、それでも亡くなる直前までいろんな話をして過ごした、その中心にはお茶がありました。祖母が教えてくれたお茶汲みのおかげで、最後にかけがえのない時間を過ごせたことは私にとって大きな財産だと思います。

こういった経験を通して、私はお茶を中心に、生活や子育て、人との関係がうまく回っていくといいなと思っています。

さて、もうすぐ樋口さんのお茶が一番美味しい時期を迎えます!
新茶の情報は以下のページから確認できますので、どうぞご覧になってください。
オンラインショップが充実しておりますので、こういう時期にご活用ください。)

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2018年7月、大切な仲間たちと樋口さんの茶園にて。

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