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今週読んだ本

こんにちは、漱々です。

今朝はなぜか2時頃に目が覚めてしまい、眠れず、読書をしました。

本日読んだ本はこちら。

「おいしいごはんが食べられますように」(著:高瀬隼子)
2022年上半期の芥川賞(第167回)受賞作です。

表紙とタイトルだけ見ると、ゆるい、丁寧、素朴、ほっこりといったキーワードが連想され、食のエッセイかしらなんて想像してしまいますが、
やはり芥川賞、そんなわけがありません。アクが強い。

始まりは、会社のお昼休みから。
主人公は二谷(にたに)という30代男性。
(ときおり主点が押尾という女性に入れ替わります)

「みんなで食べたほうがおいしい、男の子はいっぱい食べて立派にならなきゃ」
「お腹を空かせている人がどれだけたくさんいるか」
と親にありがちなことを言われて育った二谷ですが、
「1日3食カップ麺を食べて、健康に生きていけたらいいのに」
「1日1粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤ができれば」
なんて、食には一切興味がないようす。
「食事=嗜好品」ととらえています。

わたしは食べることが比較的好きではありますが、
出産してからは、二谷の価値観にたいへん共感できます。

食事に手間や時間をかけなくていいなら、
自分の時間をもっと増やせるのになあと。

二谷の恋人は食に関する価値観が真逆ともいえる女性・芦川。
芦川は二谷のために、手間暇かけて毎度ごはんを作ります。

「仕事から帰ってすぐ、一時間近くかけて作ったものが、ものの十五分でなくなってしまう。食事は一日に三回もあって、それを毎日しなくちゃいけないというのは、すごくしんどい。(中略)ただ毎日生きていくために、体や頭を動かすエネルギーを摂取するための活動に、いちいち「おいしい」と感情を抱かなければならないことに、そしてそれを言葉にして芦川さんに示さなければならないことに、やはり疲れる。」

二谷は芦川が作ったきちんとしたごはんを食べたあと、カップ麺が食べたくなる衝動を抑えられません。

迎合しないぞ、ということの表れでしょうか。
二谷、生きづらいなあ。

二谷の職場の同僚女性・押尾は、自分の先輩である芦川がいわゆる「ひ弱女子」として扱われていることに不満があり、
「この人は追い抜ける、時間もかからず、すぐに、簡単に。そう感じた人を尊敬するのは難しい。尊敬がちょっとでもないと、好きで一緒にいようと決めた人たちではない職場の人間に、単純な好意を持ち続けられはしない」と感じています。

そんな押尾と二谷は時折食事にいく仲。
二谷は芦屋との関係を押尾に明らかにはしていません。

「単に職場の人たちとみんなで食べるものってだいたいまずく感じるんですよね」(押尾)
「みんなで食べるものがだいたいまずいっていうのは分かる気がする」(二谷)

これ、わかります。
私も実はみんなで何かを食べることが好きではないということに気づき始めていました。
家族や友人と食事をすると、他のことに気を取られているからか(子どもがこぼさないか、私が作った料理はおいしいのか、明日は何を食べようか、友人との会話に集中しすぎて)味がよくわからないのです。

だから、本当はひとりで食べたい。

みんなで食べるとおいしいよね!という価値観が常識として、いつの間にか刷り込まれているような気がします。
みなさんは、どうでしょう。

食に関する話題や描写が終始張り巡らされるなか、
登場人物たちの生きづらさが見え隠れしていて、軽いけれど読み応えのある一冊でした。

最後に、タイトルについて、誰の言葉なのか考えてみると、
芦川の言葉だとしたら、二谷にとってはまるで呪いのようだし、
押尾の言葉だとしたら、異動して離れることになる二谷へのエールのようにも感じました(押尾はチアリーディングをしていた経歴があるので)

うまくまとまりません…

んでまず、おみょうぬづ!


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