拝啓 あみ様(作詞のおすすめ)9

【これはシンガーソングライターの卵である「あみ」さんに、作詞のアドバイスをしたものです。ちなみに、私は別にプロの作詞家ではありません。】

歌詞をいただいたので、それを使って具体的にお話をしようと思います。


歩き続けて来た 色んなものを見てきた 沢山のことを考えてきた

大きく広がり増えていくのは 不確かなものばかりで
見極める目が無ければ騙されたり 無知のまま進めば躓いたり

知らなくちゃ 分からなくちゃ 進まなくちゃ

でも出来ないんだ ずっと目を見開けておくことも
明日を考え続けることも いつも自分のままでいることも

時には気を失ったように寝ていたい 全て時の流れに任せたい
穏やかに緩やかに溶けて 消えてもいいのかも知れない

知らなくちゃ 分からなくちゃ 進まなくちゃ

やっぱりできないんだ ずっと目を見開けておくことも
明日を考え続けることも いつも自分のままでいることも

手を握りしめて心から願ってる この靄がかる森から抜け出して
広がる澄んだ空を見上げたい 腐った切り株に蹲み込んだ
大樹の滴はそんな僕の頭に落ちた

でも今は出来ないんだ ずっと目を見開けておくことも
明日を考え続けることも いつも自分のままでいることも


LINEでも指摘したのですが、すごく抽象的なんですよね。
「言いたいこと」は分かるんです。もがいていること。焦っていること。現状を破りたいこと。大きくなりたいこと。でも、それをそのまま書いてもなかなか歌詞にならないんですよね。
何度も言ってきましたが、これは歌詞の「原材料」です。「ナマ」なんです。このままじゃ、なかなか食べにくい。
もちろん、「あえてナマのまま、むき出しのメッセージのままで歌詞にする」というテクニックもあるのですが、それはちょっと後にして、どうやったら歌詞っぽくなるか?
どうもあなたはドラマ仕立ては苦手なんですよね? まあ、無理やりドラマにしなくてもいいんだけど、メッセージを「理屈で説明する」のは避けたいですね。
ストレートなメッセージなんだけど、「説明じゃない」歌もあります。
古い歌ですが、「悲しくてやりきれない」という歌があります。「この世界の片隅に」の主題歌になってた歌です。これはサトウハチローという有名な詩人が書いてます。

胸にしみる空の輝き 今日も遠くながめ涙をながす
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて 今日も夢はもつれわびしく揺れる
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはないだろうか

深い森の緑にだかれ 今日も風の唄にしみじみ嘆く
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この燃えたぎる苦しさは 明日も続くのか

「何が悲しいのか?」「どのようにむなしいのか?」は一切語られていません。描かれているのはあくまで自然の風景です。「空の輝き」「白い雲」「森の緑」。なぜでしょう?
この歌で語られているのは、おそらく青年期特有の抽象的な「悲しさ」「むなしさ」です。「女の子に振られて悲しい」とか「貧乏生活でカップラーメンの日々がむなしい」とかいうのとは違います。「生きるって悲しいよね」とか「人間ってむなしいよね。」って感じ。
これを説明したらどうでしょう?
「長い月日、一生懸命生きる意味を考えてきた。でもわからないんだ。なぜ僕はここにいるのか?何をしているのか? 自分がここにこうして生きている意味なんかないんじゃないか? そんな風に思えてきて、悲しくてやりきれないんだ。」
こんな感じでしょうか? 言ってることはわかるんだけど、うざくないですか? 「ごちゃごちゃ言ってて鬱陶しいんだよ! どこかに行って勝手にぼやいてろよ!」って思いません?
「自然の描写」と「思いの説明」と。何が違うんでしょう?
たぶんね、そのキーワードは「共感」なんだと思います。
こういう「悲しさ」とか「むなしさ」とかを感じている人はけっこういると思うんですが、それを他人にペラペラしゃべられて「ねぇ、わかってよ! わかるでしょ?」と言われると、人間ってなぜか反発しちゃうんですよね。「うん、わかる。わかる。」とはならなくて、「うるせー! だまってろ!」って思っちゃう。
ところが「空って悲しいよね」とか「白い雲を見つめていると泣きたくなるよね」とか言われると、「悲しさ」とか「むなしさ」とかを感じるタイプの人は、同じような経験があるものだから、「ああ、それ、わかる。わかる。」って思う。つまり共感するわけです。
ここから引き出される教訓は、「語りすぎないこと」かな? 言い方を変えると「抑制した表現」でしょうか?
これをテクニカルに説明すると、あくまで「感じる主人公」は「聞く人(あるいは読む人)」なのであって、歌う人じゃないということ。だから、歌詞はあくまで「思いを引き出す言葉(=シカケ)」でなければならない。「こんなの感じたよ!」という「感想文」じゃダメということ。歌う人が自分の思いに熱くなっちゃうと、聞いてる方は白けて醒めちゃうということ。
言ってること、わかります? 「私、この映画を見て、感動しました!」という感想文をいくら読んでも、感動しないですよね? それより映画を見た方が早くないですか? だから「私、悲しいんです! むなしいんです!」っていくら言われても、その「悲しさ」「むなしさ」は伝わらない。それより空や雲を見た方が悲しかったりむなしかったりするわけで。だから、むしろ、何の説明もなく、ただ一言、「空って悲しいよね?」ってつぶやかれたりすると「ああ、そうだね」とわかる。共感する。‥‥それが歌詞であり、表現なんだと思うわけです。
これを端的に言うと、「評論者」と「表現者」の違いですね。「説明」はあくまで「評論の言葉」であって、「表現の言葉」ではない。「表現」はあくまで「共感の(動機付けの)シカケ」であって、「(感動の)結論」ではない。うーん、わかりにくいなあ。
じゃあ、料理に例えてみましょう。「表現」というのは「料理」なんです。「おいしい」って思うのは、「食べる人(聞く人)」なんです。そして「説明」は「グルメレポート」なんです。いくら上手なグルメレポートを読んでも、おいしくはないし、お腹はふくれませんよね? あなたの言葉は「想いのグルメレポート」になっていませんか? そういうことが言いたいんです。

こういうことは、実は芝居の台本を書いてても、しょっちゅう感じることなんです。
文化祭とかで台本探しをしていて「おもしろい台本がない!」という声をよく聞きます。ところが、実際の芝居を見た人が「ああ、こんなおもしろい台本だったんだ」って後で気づくことがよくあります。これはなぜか? それは、台本は「芝居の設計図」だからです。設計図だから、未完成品です。箱に入ったプラモデルのキットみたいなもんです。プラモデルを作り慣れてる人は、「きっとこういう風になるんだよな」ってわかるんですが、作ったことのない人には、ゴチャゴチャしたプラスチックの塊にしか見えません。だから「わからない」し「おもしろくない」んです。
そういう「わかりにくい台本」に対して、「わかりやすい台本」というのもあります。小説家が書いた台本なんかがそうです。そういう台本は、気持ちとか動作の理由とかがちゃんと説明してあってわかりやすかったりします。ところが、そういう台本で実際に芝居をやってみたりするとおもしろくないことが多いのです。なぜか? それはね、台本が読み物として完成しているからです。「設計図」じゃないからです。活字の段階で完成してるから、役者はそれを読むだけなんです。役者が考えたり演技したりする余地がないんです。だからおもしろくない。
ね? 似てるでしょ? つまりね、歌詞も台本とおんなじで、「完成品」じゃダメなんです。あくまで「感動(共感)の設計図」でなくっちゃいけないんです。歌詞は「思いを引き出す言葉(=シカケ)」と言ったのはそういう意味です。つまり、歌の「感動」は、歌い手と聞き手の共同作業なんです。歌が「きっかけ」を作って、聞き手がそれに「共鳴」して、その結果「感動」が生まれる。表現というのは、そういうシステムなんですね。
具体例で説明しましょう。
例えば、戦争に反対する、いわゆる「反戦劇」のセリフで考えてみましょう。
たとえば、こういうわかりやすいセリフ。

男  人が人を憎み、殺し合うなんて‥‥もう、こんな愚かな戦争はしてはいけない!

ね? わかりやすいでしょ? でも、私はこういうセリフは嫌いなんです。だから、ついつい、こんな風に書いてしまう。

女  あ、きれい。
男  あの光の下で人が焼け死んでるなんて、ウソみたいだな。
女  あ‥‥ごめんなさい。
男  いや‥‥いいんだよ。‥‥ほんと、きれいだ。
女  ‥‥うん。

わかりにくいよねぇ。一応説明すると、丘の上から空襲されてる街を見ているカップルの会話です。たぶん、下手をすると誤解を与える表現なんですが、私なら「戦争の愚かさ」は、こんな風に書いた方が「届く」と思えるんです。どうかな?

ということで、突然、最初の歌詞に戻ります。

歩き続けて来た 色んなものを見てきた 沢山のことを考えてきた

大きく広がり増えていくのは 不確かなものばかりで
見極める目が無ければ騙されたり 無知のまま進めば躓いたり

知らなくちゃ 分からなくちゃ 進まなくちゃ

「色んなものを見てきた」「沢山のことを考えてきた」って、その「色んなもの」「沢山のこと」って何なのかな? 「不確かなもの」って何だろう? それを表現するだけで、たぶん歌がね、3つも4つも書けると思うんですよ。書くべきところはそこなんじゃないかな? と思います。
それを「説明ではない言葉」で表現できないかな? 例えば「車にひかれた猫の死体」とか「友達が笑顔で話すウソ」とか「夜明け前の波の音」とか「人を本気で殺したくなったこと」とか「Fが弾けた時の喜び」とか‥‥。そういう「具象」「エピソード」を拾い集めて、そういう「もの」や「こと」たちに想いを語らせられるようになると、「共感を引き出すシカケ=表現」が生まれて来ると思うんです。後は、「数打ちゃ当たる」みたいに、試行錯誤して、一杯作ってみることかな?人生、何事も修行ですから。まあ、幸い、君はまだまだ若い。がんばりましょう。

ということで。

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