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親友、 そして愛しい日々│Riverside.

Oct.2021

 " 親友 " って 、なんだろう 。


幼い頃には 難しかったことだけれど、大人になって
「一生付き合えるだろう」と思える友人たちと、
たくさん 出会えるように なった。

けれど 彼・彼女たちを、わざわざ『親友』と呼ぶことはない。とくに名前をつけることはないけれど、心から大切だと思える 友人たちだ。

そんな わたしには、たった一人だけ『親友』がいる。


 「 海ちゃーん!  友だちが きてるよ!」

小学生の頃、休み時間にクラスの友だちとおしゃべりをしていたら、2つ隣のクラスの女の子に呼び出された。


 「 海ちゃん 。急に ごめんね 」

出ていってみると、女の子は 1年生のときに仲の良かった友だちだった。当時のクラスの『背の順』で、彼女は いちばん 背が高くて、わたしは 2番めの隣どうし。

そのためなのか、お互いの家にも何度か遊びに行ったりしていた。けれど同じクラスだったのは 1年生の時だけで、それからずっと、遊んだことはなかった。


 「 ひさしぶりだね! どうしたの? 」

突然の来訪に驚きつつ、数年ぶりに 彼女に会えたことが嬉しくて笑いかける。ところが彼女は、なにやら深刻そうな顔をしていた。下を向いて黙っているので ちょっと不安になっていると、意を決したように顔を上げた彼女は突然、こう切り出した。


 「 海ちゃん 。わたしと 親友に なってくれない? 」


 突然の来訪に続き、突然の告白(?)に 面食らう。


え、急に?  どうして 私なんだろう。そもそも 親友って、なろうと言われてなるものなんだろうか… など、幼いながらに 色々思ったことを覚えているが、とくに断る理由もなかったので 「 うん、いいよ 」と答えた。


  そんなわけで、はじめての 出会いから 20年ほど
  経った いまも、彼女は  わたしの 『 親友 』だ 。




「 え、私  そんなこと言ったの?  全然 覚えてない。
 てか " 親友になろう って きもくない? まじごめん」

「 いや、全然 。 ちょっと  びっくりしたけど 」


きらきらと輝く 清流のなかを、水音をたてながら歩いていく。もう十年以上も前になる、少女時代の思い出を話しながら。

バレンタインでも手紙でも、受け取った方は覚えていても、渡した方は忘れている… なんてことは、よくあることかもしれない。


 うだるような暑さの 夏が過ぎて、
 季節は  ゆるやかに、秋に 近づいていく頃だった。

まだ 気温は あたたかく、美しい清流に 足をひたせば
ひんやりとしていて 気持ちがいい。

そして この川のなかには、わたしの行きたいカフェに続く『遊歩道』が、隠れている。

水の底に 沈む道


いつもであれば  川面から 顔を出しているのであろう
" 飛び石 " は、水位が上がったことで、綺麗な川の底に沈んでいた。

道を見つけられずに 引き返す人もいたけれど、水のなかをよく見ると、ちゃんと道がつづいている。とはいえ今日は、なかなかに流れは速い。

遠くから見ると、水の上を歩いているみたいだった。


  「 こうやって 散歩しながら 向かったら 、
       ランチに  ちょうどいい 時間 じゃない ? 」


 わたしの すこし先を歩く彼女が、振り返って笑った。

こうして彼女と出かけたり、いっしょに旅行に出かける場所は、いつも わたしが リクエストした場所だった。

水族館でも、レストランでも、遠くの海でも。


けれど 不思議なことに、友人のなかで唯一といっていいほど、彼女は わたしと、趣味も嗜好も違っていた。

わたしの好きな アートや本に、彼女は まったく触れていない。そして わたしもテレビや SNSを 見ないため、彼女が話してくれる ドラマや映画の話を、共有することができない。

それでも彼女は、そのストーリーや あらすじを丁寧に教えてくれて、わたしが「うんうん」とか「そうなんだ」くらいの 相槌しか打てなくても、楽しそうに話してくれる。


わたしは めったに 映画館には行かないけれど、彼女が誘ってくれたときだけ、一緒に見に行くことがある。

意外とサスペンスが好きだという彼女だけど、見ていて なんとなく分かる 犯人の目星が 全然つかないらしく、ちょっと面白い。

そして彼女も、わたしが勧めた本を もう翌日には買っていて、「難しいけど、面白いね」と、わたしの読んでいない 続編まで買ったりしている。そして まだ自分が読んでいないのに、それを貸してくれたりする。


アートのことも、人生のことも、旅のなかで感じたことも、哲学めいた話も…  ほかの友人とは 何時間でも話すようなことも、彼女とは ほとんど話すことはない。

いつも話すのは、仕事のことか、彼女の ちょっとした悩み相談か、恋人の惚気話くらいだろうか。


彼女と話したことは、何故か あまり覚えていないけれど、彼女が ずっと海を見ていたこと や、車窓からの景色、毎回 勝手に(いつのまにか) わたしのスマホに、おかしな 自撮りを残していること …

 言葉ではない、視覚や 脳裏にある 『映像』として
 彼女は わたしの記憶に、残っているように思う。


彼女は 話していると いちいちボケるので、わたしは
律儀に、いつもツッコミを入れてしまう。

「毎度これやってるよね」と呆れて言うと、「だって、海は ちゃんと突っ込んでくれるから」と笑う。( たまに 無言を貫くと「 え。」と言ってくるので、こちらは繰り返されるそれに、付き合うしかないのだけれど )


 記憶にも 残らないような、どうでもいい話をして
「 今日も楽しかったな 」と 一日が終わる。


 
  けれど 一度だけ 、
 「 海の言葉は 重い 」と 言われたことがある。


ほかの人からの言葉なら聞き流すことができるけれど、大切な 海からの言葉は、胸に刺さって痛いと。


小さい頃は、曲がったことが嫌いだった。

たとえ嫌われたり、周りに敵を作ってでも、自分が
「間違っている」と思ったことは、したくなかった。

年齢を重ねていけば  そうした我の強さは薄れていったけれど、相変わらず「本心を隠すこと」は苦手だった。言葉では出さなくても、どうしても表情に出てしまう。たぶん あまり、器用な方ではない。


そして相手が親しい人であるなら、それは尚更だった。感情表現が豊かだと言われる分、思ったことや、感じた違和感を、素直に相手に伝えてしまう。


けれど 大人になった今ならば、それが 全てでないと
分かる。


  というよりも 、"  正しいこと "  なんて、
  きっと この世界には 存在しない。



幼い頃のように、押し通さなければならない「我」も、守りたい「私」も、今は もうない。


それでも、たとえ嫌われてでも、「いま伝えなければ」と思うときがある。それこそどうでもいい他人であれば聞き流したり、黙っていることでも、大切なひとであるならばと。


いくら 誰かのためを思っての言葉だとしても、それを伝えたいと思うのは、自分のエゴなのかもしれない。


 それでも、伝えてしまうことがある。
 すこしでも  幸せになってほしいと、願ってしまう。


長い時間のなかで 友人を失ったこともあるし、彼女と離れたことも、一度や二度ではなかった。わたしが嫌になったり、逆に彼女が わたしの未熟さに、距離を置いたこともあった。

それでも、 ちゃんと わたしの言葉を受け止めてくれる彼女だからこそ、わたしの幼さに気がつかせてくれる存在であるからこそ、たった一度しか同じクラスにならなかったのに、大人になった 今日まで ずっと、互いが尊重しあえる関係を、築いてくることができたのかもしれない。


「 海だけなんだよね。こんな風に 素のままの自分でいられたり、格好つけずに本心を話したりできるのは 」


自分と似た世界観や価値観をもつ 友人が多いなかで、考え方や価値観のちがいで  本気でぶつかったり、話をしたりするのは、彼女だけかもしれない。


子どもの頃には 難しいことだけれど、大人になれば、合わない人と付き合う必要はない。たとえ友人だったとしても、愛のない言葉をかけてくるようになってしまった人と、一緒にいる必要もない。

  きっと その人にだって  大切な人がいるように、
  わたしには  わたしの、大切にしたい人がいる。

 その人たちを、愛することができれば  それでいい。



 川のなかの 散歩を終えて  たどり着いた カフェは、
 清流の せせらぎを聴く、とても素敵な場所だった。

お店のなかには、店主が世界中から集めてきた 骨董品や絵画といったアートが溢れている。まるでちいさな、美術館のようだった。

店主さんからの、素敵なメッセージ。



わたしは写真を撮ることが好きだ。けれど身軽でいたいという理由から、カメラには手を出していない。そのためいつも持ち歩くスマートフォンだけれど、愛情だけは たくさん込めている。

わたしの写真の ほとんどは、風景や建築、カフェなどの美味しい料理を撮ったものだ。けれど彼女と一緒のときだけは、ポートレイトの写真が増える。


  彼女は いつも、たくさんの 写真を撮ってくれる。
  二人で 写った、たくさんの 写真たち。

自分が嫌いだった頃は、写真を撮られることが苦手だった。けれど なにも気にすることがなくなった今では、思い出が増えていくことが  ただ嬉しい。

春、小田原城の花筏


小学校の頃から今日までの十数年、プリクラや自撮りが好きだった彼女の写真に、何百枚も付き合ってきた。

けれど、本当は、いつも 付き合ってもらっているのは
わたしの方なのだ。


わたしが 行きたい場所へ誘ったとき、彼女は たとえ
それが どこであっても、二つ返事で「 行こう!」
答えてくれる。

それが  " 日本一危険な国宝 " と呼ばれる場所でも、一生に一度は 泊まってみたかった 高級旅館でも、彼女がまったく興味がないであろう、美術館であっても。


ほかの友人からは断られることも 当然あるので、もう少し悩みそうなものなのに、彼女はいつも即答する。

いつも わたしが行きたい場所へ、何時間でも車を走らせて一緒に行ってくれるので、「いつも わたしの行きたいところばかりで、いいのかな。ありがとうね」と、伝えたことがある。


  すると 彼女は、さらりと 答えた。

  「 だって 海が 行きたいところなら 、
       絶対 楽しいし  私も 行きたいと 思うから
  



 入学式後の『背の順』で、隣どうしでなかったら
 あの日 彼女が、わたしに 会いに来なかったら

 きっと今、こうして 隣にいることはなかっただろう。



  " 親友 "って 何なのか、それは 未だに わからない 。

 
   けれど  すっかり 背が高くなった、大人の今も
   彼女の となりで  遊べる日々を、嬉しく思う 。


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