実家がちょっと怖いお話・・・と、空間、建築、町の話。

子供の頃から、オカルトや心霊写真、ホラー映画などが大好きだった。「ハロウィン」というホラー漫画の雑誌を購読したり、ホラー漫画を集めたりもした。今日は実家の怖い話、それと空間、そしてちょっと建築の話。

「骸骨取り」

小さい頃、父に、子供ふたり(私と兄)で「骸骨取り」という肝試しをさせられていて、夜、家のすごく怖いところに置いてあるレプリカの骸骨を取りに行く、というものだった。家は江戸時代から続いている木造の古い旅館(旅籠)で、その旅館のもっとも古い場所の奥にやれた物置があってそこに骸骨が置いてある。それを取りに行ってもどってくる。それが本当に怖くてどうしようもなかったけど、我慢して取りに行った。兄は小さい時は本当に怖がりだったので泣き叫びながら嫌がった。(今の時代ならちょっと虐待を疑われるかもしれない・・・笑)

「にいさん」

旅館の古いところは、実家なのに今でもちょっと怖い。昼間でも一人では行きたくない。「にいさん」と呼ばれるところが特に怖かった。「にいさん」は、もっとも古い木造三階建ての部分の、二階と三階の間にある階段の踊り場から入れる低い天井の押入れのような場所である。二階と三階の間にあるから、「にいさん」なのだろうと思う。そこは実は本当には入ったことがなく、奥行きがどのくらいあるのか知らない。真っ暗で、いつからあるのかわからないくらい古いものがたくさん置いてある。

小さい頃は、悪いことをしたら、「にいさんに入れるぞ!」と怒られて震え上がった。

「骸骨取り」は、その「にいさん」の前を通って行かねばならない。それが一番怖かった。

実家にまつわる「目撃談」

私は見たことはないけれど、実家では「目撃談」が結構ある。

うちの父も何度か「見た」らしい。はっきりとではないけれど。

うちの甥(兄の息子)が小さい時、兄と同じくとても怖がりだった。それでもまだ小さくて怖いという感情が少ない幼い時に、いるはずのない「おじさん」がいたよ〜と、家族に言った事があるそうだ。

それから、テレビの取材が時々入るのだけれど、そのテレビ局の人が泊まっているときに、その人たちが寝ていた上の部屋で一晩中だか足音がしたと。もちろん上の階には誰も泊まっていない。ちなみにその上の階の部屋はもともととても良い部屋で、与謝野晶子が泊まったこともある、歴史的な部屋である。

そんなことで、私は実家である旅館のある部分がずっと怖かった。今でも怖い。

ファントム

実家はそんなわけで旅館だから、大抵、お客さんはその町の人ではなく、外から来る人である。(宴会などを除いて)

小さな町には鬱屈した感情もたくさん渦巻いていて、とても保守的なので、旅館を悪くいう人も当然いた。

それが本当かは知らないが、実家にはジンクスがあり、両親の話では、旅館を悪く言う人は必ずのちに不幸が起こっている・・・らしい。

私自身は実家で変なものを見たこともないし、怖くとも悪い感じを受けた事がないけれど、実家にいる何か見えない存在について個人的に名前をつけていて、「〇〇ファントム」(〇〇は旅館の名前)と呼んでいる。

私にとって、ファントムは、どちらかと言うと、守り神である。旅館を生かしている何かである。

これだけ長く旅館が続くと言うことは、何かそういう力があるからだと思っている。それがファントム。

城下町と方言、岡山という場所。

その小さな町自体も、昔は風情のある城下町として観光も盛んだった(今でもお城があって観光の街だ)が、だんだんと近代化してしまって今は町の中の小さな路地やコーナー、町家の風情はなくなってしまった。

自然環境は霧と川、風情はかなりある。

そういう町、そして旅館。私は小さな頃からそういう場所に育ったからか、何かそういう雰囲気、もしくは霊的な何か、力というか、そういったものをずっと感じてきた。それは幽霊を見たとかそういう単純なことでは全くない。(むしろそういうのは一度も見た事がない)

それは、建築で言えば、「ゲニウス・ロキ」のようなものかもしれない。

場の霊、とでも言おうか。それを、空間の中にそれを感じるのである。

昔、「ぼっけえきょうてえ」(岩井志麻子著)と言うホラー小説(映画)があった。それは実家のある岡山の話であり、その中に表現されているものが、まさに私が実家の旅館で感じる怖さに通ずるものがある。

ぼっけえ=とても、ものすごく、きょうてえ=怖い と言う意味であり、岡山弁で「とても怖い」と意味になる。

ちなみに、私の実家周辺では、この「きょうてえ」は、「強てえ」と言う感じで、恐怖というよりも、「強い」という意味になる。だから、ぼっけえきょうてえ というと、「とても強い」という意味になる。小説では恐怖の方なので、岡山でも地方によってはニュアンスが違って来るのだろう。この本の作者は和気の方で、どちらかというと兵庫、山陰よりなので、私の実家からはかなり遠い。

話が少し変わるが、以前、ある曰く付きの神社(龍神系)に行った事があり、私自身いくつかそれにまつわる話があるのだが、それも岡山の山奥に本殿がある。今では大阪に移っている。少し、その怖さにも繋がっている。

岡山は、古い古い場所だ。南西の方面には吉備路という場所がありここはある意味岡山県の「」をなす場所だと思う。桃太郎伝説の場所であり、ひらけた明るく牧歌的な平坦な場所にいにしえの五重の塔が立っており、古墳もあり、こじんまりした、非常に清廉な、美しい場所である。

北側は山になる。山間部は岡山の「隠」をなす場所、と私は感じている。先の小説も、おそらくその「隠」を十分に表現したものだと思う。

そういうわけで場所にはそれぞれの、なんというか場所の霊とでも言える「雰囲気」というのがあり、私にとってはそれはかなり強い印象でインパクトを与える事がある。

どんなところに行っても、まずはそういう感覚で空間を捉えている・・・そういう感じがしている。

ちょっと長くなったので、この後、北海道について感じていることも書いて見たいなと思う。


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